2013年02月19日

一番古い記憶

ぼくは1959年9月、京都で生まれた。

自分自身の一番古い記憶は、おそらく3才くらいの時のものだろうか。

ぼくの母方の遠縁だったのだろうと思う。
ぼくが「大丸のおばちゃん」と呼んでいた、60代くらいの叔母さんがいた。
彼女の家は京都市の四条通りと高倉通りの交差点を少し南に行ったところにあり、やはり四条通にあった大丸百貨店に近かったことから「大丸のおばちゃん」と呼称していたのだろう。叔母さんはご主人を早く亡くしたようで、ひとりで住んでいた。

当時は京都市民にとっては四条通りの大丸百貨店、高島屋、京都駅前の丸物デパートが三大デパートだったはずだ。当時の待ちの中にはゲームセンターのような遊戯施設はほとんどなかったので、子供にとってはデパートの屋上に設置されていた遊具は最高に楽しい遊園地だった。

当時洋品店を営んでいた両親にとっては、この叔母さんにはぼくを安心して預けることができたのだろう。よくひとりでこの叔母さんのところで過ごした記憶がある。

3才の頃の記憶は、この叔母さんの家の2階にあった、洋裁部屋のものである。どうも刺繍やミシン掛けなどを生業にしていたようで、洋服の生地や針、刺繍板、足踏みミシンなどが部屋にあったのを記憶している。当然、刺繍針などは子供にとって危険なアイテムであるから、触れるのは禁止されていたように思うが、この部屋にあったソファに座って絵本などを読んでいたことを今でも覚えている。

この叔母さんの家には、当時は珍しかった電話機があった。いわゆる黒電話で、大きなダイヤルが子供のぼくには珍しく、触らせてほしいと何度もねだった。
叔母さんは「受話器おいたままならダイヤルを回してもいいよ。受話器をとってダイヤルをまわすとつながってしまうからダメよ」と教えてくれ、ぼくは時々ダイヤルに触らせてもらっていた。
ある時、ぼくはまたその叔母さんの家にひとりで預けられていた。叔母さんは夕飯の用意をしていた。ぼくは電話機のダイヤルが触りたくなり、電話機に向かったが、さて、受話器をおいたままダイヤルを回せばいいのか、受話器をとってから回せばいいのか、わからなくなった。どちらかがOKでどちらかがNGなのはわかっているのだが、さてどうだったかが思い出せない。ぼくは受話器をとってからダイヤルを回す方を選んでしまった。回したダイヤルは119番。当然電話は通じ、「はい、消防署です」と受話器から音声が聞こえてきたからぼくはびっくりした。
「おばちゃーん!電話かかってきてるでー」
叔母さんはあわててぼくのそばに駆け寄り、受話器を取り上げて相手が消防署だということに驚き、「すみません、子供のいたずらです!」と謝っていた。
ぼくは受話器をおいたままダイヤルを回せばよかったのだということに気がついたが、時すでに遅しだった。この事で迎えに来た母親に叱られるのではないかとビクビクしていたが、叔母さんは私の両親にはぼくの失敗を伝えなかったようで、叱られた記憶は無い。

この「大丸のおばちゃん」は、ぼくが中学生の頃、四条通の横断歩道をはしょり、信号機がないところを横断しようとして車に跳ねられ、亡くなった。
幼少のころは散々世話になったぼくだったが、中学の頃にはほとんど交流がなかったので、急死の連絡を受けた時は悲しいというよりはとてもあっけない気がしていたことを覚えている。

しかし葬儀に参列し、祭壇に飾られた写真は、ぼくが子供の頃に世話になった「大丸のおばちゃん」そのままの顔だった。その写真を見て、ぼくは懐かしさと悲しみが一気に押し寄せてきて、号泣した。


kishidashin01 at 23:59│clip!日常