2011年07月25日
命日
今日は林直人くんの8回目の命日だった。
林くんは関西パンクシーン、アンダーグラウンドロックシーンのゴッドファーザー的な存在の人物で、1978年に関西初のパンクのミニコミ誌を創刊したり、大阪で最初のパンクギグを開催。1979年以降、その後の関西のパンクやハードコアなどの初期のライブをブッキングしたり、バンドを育てたりした立て役者である。インディーズレーベルも創立、私とアルケミーレコードを立ち上げたのは1984年だった。
1993年に自らのバンド・アウシュビッツを解散してからは一線から身を引いていたが、2003年に癌で亡くなる直前はソロやセッションなどでシーンに少し帰ってきていた時期があった。
林くんに世話になった人間は多い。
もちろんトラブル(多くは酒の上での)もあったが、林くんを悪く言う人はそんなには多くない。
関西の音楽シーンの基礎を作った人物、という肩書きはあまりにも大きい。
今日は彼の墓参ということで四天王寺に出向いた。
墓を前に少し話をしたよ。
心斎橋のライブハウスで追悼イベントも行われた。
心がちょっと、さわいだ。
林くんは関西パンクシーン、アンダーグラウンドロックシーンのゴッドファーザー的な存在の人物で、1978年に関西初のパンクのミニコミ誌を創刊したり、大阪で最初のパンクギグを開催。1979年以降、その後の関西のパンクやハードコアなどの初期のライブをブッキングしたり、バンドを育てたりした立て役者である。インディーズレーベルも創立、私とアルケミーレコードを立ち上げたのは1984年だった。
1993年に自らのバンド・アウシュビッツを解散してからは一線から身を引いていたが、2003年に癌で亡くなる直前はソロやセッションなどでシーンに少し帰ってきていた時期があった。
林くんに世話になった人間は多い。
もちろんトラブル(多くは酒の上での)もあったが、林くんを悪く言う人はそんなには多くない。
関西の音楽シーンの基礎を作った人物、という肩書きはあまりにも大きい。
今日は彼の墓参ということで四天王寺に出向いた。
墓を前に少し話をしたよ。
心斎橋のライブハウスで追悼イベントも行われた。
心がちょっと、さわいだ。