2009年07月09日
声を出して、立つこと
DOLLやスタジオヴォイスの休刊について、残念だとか、いや当然だとか、いくつかの声を聞いた。
もちろん時代は変わるし、なにかは終わり、去りゆくものもあれば、寿命あるものもあり、志し半ばでやめなくてはいけないものもあるさ。
でもね、そんなに残念がるならさ、DOLLやスタジオヴォイスに代わるものを、自分で作ればいい。
こんなものがあればいいなあと思ったなら、自分で作ればいいのだ。自分ひとりじゃ無理だったら、友達と一緒に組んで取りかかればいい。
DOLLだって、元々はZOOという、ペラペラのミニコミだったよ。森脇さんが音楽ライターとしてかけ出しの頃、もっともっと自分の言いたいことがあって、自腹で作ったんじゃないかな。
ロッキング・オンだって、最初は渋谷さんとその友人で立ち上げたミニコミだった。自費出版だったよ。私もその頃、京都にそういった自費出版のミニコミをおいている小さな書店で手に取り、購入した記憶がある。
スタジオヴォイスは確かに企業が発行していたものだった。母体はハナエ・モリさんの会社だったかな。でも「こういった雑誌を作りたい」と、企画書をあげたヤツが絶対にいるはずだ。それは個人の思いこみだったかもしれないし、つきつめれば究極の自己満足だったかもしれない。
思えばTwitterだって、いや、グーグルだって、マイクロソフトだって、個人や数人の仲間で始めた「こんなものがあればおもしろいのに」といった気持ちからスタートしたものだったろう。夢というよりも、もっともっと小さなレベルの"思い"からスタートしているに違いない。そして思っているだけでなく、実際に始めること、作ることをしただけのことだ。
沈黙は、罪だよ。
例えば、JOJO広重はクズだ、バカだ、最低だ、さっさと死ねよとどこかに書き込みすることからだって、いいのだ。日頃の自分の気持ちを綴るブログだってかまわない。Twitterのつぶやきだっていいのだ。どんな思いであれ、発言すること、そこから波紋がおこったり、見た人がなにかを思うこと。そこから始まるのであって、無言のままではなにも始まらない。
例えば、電車に乗っていて、座席に座っている時にお年寄りが乗車してきた。どんなに「席を譲ろうかな」と思っていても、思っているだけでは、無視して座っている人となにもかわらない。「どうぞ!」と声を出して立ち上がること。それが相手が「いえ次で降りるのでけっこうです」と言われようが、声を出して立ったことには絶対に意味がある。君がお年寄りに席を譲ろうとしたことを見ている人たちが車内には絶対にいるから。そしてその気持ちは、その人にも伝わるから。
無言で座っていたら、どんなにやさしい気持ちを持っていても、誰にも伝わらない。
かっこわるくてもいい。ヘタクソでもいいのだ。誰かのまねごとでもかまわない。そのうちに自分の言葉に、自分の歌になるから。失敗したってかまわないから。
誰だって最初は、そんなことから始まっているのだから。
誰だって、自分の歌を歌う資格がある。権利がある。
懸命にやれば、どこかにわかってくれる人が必ずいて、そしてちゃんとその人に伝わる。それはひとりかもしれないし、10人かもしれないし、100人かもしれないし、何千人かもしれないが、数ではなく、伝えること、届けることに意味がある。
声を出して、立つこと。
最初はそれからなんだ。
もちろん時代は変わるし、なにかは終わり、去りゆくものもあれば、寿命あるものもあり、志し半ばでやめなくてはいけないものもあるさ。
でもね、そんなに残念がるならさ、DOLLやスタジオヴォイスに代わるものを、自分で作ればいい。
こんなものがあればいいなあと思ったなら、自分で作ればいいのだ。自分ひとりじゃ無理だったら、友達と一緒に組んで取りかかればいい。
DOLLだって、元々はZOOという、ペラペラのミニコミだったよ。森脇さんが音楽ライターとしてかけ出しの頃、もっともっと自分の言いたいことがあって、自腹で作ったんじゃないかな。
ロッキング・オンだって、最初は渋谷さんとその友人で立ち上げたミニコミだった。自費出版だったよ。私もその頃、京都にそういった自費出版のミニコミをおいている小さな書店で手に取り、購入した記憶がある。
スタジオヴォイスは確かに企業が発行していたものだった。母体はハナエ・モリさんの会社だったかな。でも「こういった雑誌を作りたい」と、企画書をあげたヤツが絶対にいるはずだ。それは個人の思いこみだったかもしれないし、つきつめれば究極の自己満足だったかもしれない。
思えばTwitterだって、いや、グーグルだって、マイクロソフトだって、個人や数人の仲間で始めた「こんなものがあればおもしろいのに」といった気持ちからスタートしたものだったろう。夢というよりも、もっともっと小さなレベルの"思い"からスタートしているに違いない。そして思っているだけでなく、実際に始めること、作ることをしただけのことだ。
沈黙は、罪だよ。
例えば、JOJO広重はクズだ、バカだ、最低だ、さっさと死ねよとどこかに書き込みすることからだって、いいのだ。日頃の自分の気持ちを綴るブログだってかまわない。Twitterのつぶやきだっていいのだ。どんな思いであれ、発言すること、そこから波紋がおこったり、見た人がなにかを思うこと。そこから始まるのであって、無言のままではなにも始まらない。
例えば、電車に乗っていて、座席に座っている時にお年寄りが乗車してきた。どんなに「席を譲ろうかな」と思っていても、思っているだけでは、無視して座っている人となにもかわらない。「どうぞ!」と声を出して立ち上がること。それが相手が「いえ次で降りるのでけっこうです」と言われようが、声を出して立ったことには絶対に意味がある。君がお年寄りに席を譲ろうとしたことを見ている人たちが車内には絶対にいるから。そしてその気持ちは、その人にも伝わるから。
無言で座っていたら、どんなにやさしい気持ちを持っていても、誰にも伝わらない。
かっこわるくてもいい。ヘタクソでもいいのだ。誰かのまねごとでもかまわない。そのうちに自分の言葉に、自分の歌になるから。失敗したってかまわないから。
誰だって最初は、そんなことから始まっているのだから。
誰だって、自分の歌を歌う資格がある。権利がある。
懸命にやれば、どこかにわかってくれる人が必ずいて、そしてちゃんとその人に伝わる。それはひとりかもしれないし、10人かもしれないし、100人かもしれないし、何千人かもしれないが、数ではなく、伝えること、届けることに意味がある。
声を出して、立つこと。
最初はそれからなんだ。