2009年07月01日
アルケミーレコード25周年
1984年6月30日、私が当時住んでいた東京・目黒のアパートで、林直人くんと「アルケミーレコード」を設立した。昨日で満25年を迎えた。
設立したといっても、特に設立式をやったわけでもなく、林くんが我が家に泊まり込み、ふたりで幾晩も話し合った結果、アルケミーレコードという名前でレーベルをスタートさせようと決意しただけのことだ。
でも6月30日だったという日のことはよく覚えている。
アルケミーレコードとしての第一弾リリースは1984年8月25日、「ウルトラビデ/ジ・オリジナル」のLPで、ARLP-001という番号だった。第二弾がSSで9月25日、第三弾は10月25日でINUの、3バンドともそれぞれ1979年の録音源を形にしたものだった。
我々が後世に形にして残しておくべきだと思う音源を、記録媒体に残して一般に流通させること。古い音源、今のバンド、新しいアーティスト、問わず。
もちろんいいことも悪いこともいいかげんなこともあったけれど、自分たちがやるべきことのベースはこれで、そのポリシーは25年たった今も変わっていない。
形にして残すこと、記録して対世間に流通させること。そのことがしょせん自己満足であったり、稚拙であったり、力がたりなかったり、非常に繊細で弱いものであったとしても、形にして外に向けて発信することの重要性、そこからつながっていくことの未来を、私も林くんもとことん信じていたのだと思う。
一番つらいのは精神面であり、そして現実的な金銭面だった。それは今も変わらない。もうレーベルなどやめてしまいたい。何度も何度もそう思ったし、25年たった今もそう思っている。こんなことなど何の意味もない、徒労だ、むしろ害悪だ、JOJO広重など、アルケミーなどこの世界にいないほうがいい、何度もそう思う。
しかしこういったことは私だけでなく、レーベルオーナーなら誰だってそう思うはずだろう。いやレーベル運営者だけでなく、バンドをやったり、人前で歌を歌うような連中も同じようなことを1度や2度は思う。ライブハウスオーナーも、ミニコミやフリーペーパー発行者も、ライブ企画者も、レコード屋もだ。
音楽と関わることと、こういったネガティブな思いは必ずセットになっている。
そしてそう思わないヤツに、音楽と関わる資格はない。
20周年の時はテイチク・エンタテインメントから記念アルバムが出たり、PSFと連携して一緒に20周年記念アルバムを出したり記念ライブをしたりしたが、今年はなにもなさそうだ。よく考えてみれば何周年だからといって何もめでたいことではない。ただ数を数えただけの話で、じゃあ19周年はめでたくないのか、24周年はどうだったんだ、という話である。
まあ、でもね。
25年目の6月30日であった昨夜は、ひとりで祝杯をあげた。
本音を言えば、25年もやってきたんだからもういいですよね、という弱音を吐きたいのだということは自分でわかっている。
何かのため、なんていう理由は、もういらない。
どうしてこのレーベルが継続してきたのかと言えば、それは自分の強靱な意志などではまるでなく、ただ、タイロウくんがいたからとか、高野や山崎や須原がいるからとか、ちひろちゃんや見汐さんと出会えたからとか、エンジェリン・ヘヴィ・シロップやサバート・ブレイズが過去にあったからとか、手水や夜邪の思い出とか、ほぶらきんの青木さんや森下くんのこととか、美川・コサカイ・ナカヤ・河端・津山などのロック&ノイズヤクザの連中のこととか、モタコやSINRYOや、新谷やチェリーやイノベのこととか、マニッシュトーンやフォークテールズやメスカリンドライブや赤痢のこととか、つまりは友情と思い出と未来への漠然とした「つづいていくもの」にささえられてきたからにすぎない。
それはほとんどは顔の見えない"リスナー"というものとの、本当に細い一本の糸でつながっていることを信じているということと、同意だ。
そして今日始まった26年目に、別に決意をあらたにするなどという気持ちは一切なく、次のリリースのための、ゆうさりゆうさればのミックスのあがった音源を聴き、見汐麻衣のソロ作品をチェックし、ほぶらきんの未発表ライブのリリースのための準備をし、今進めている企画の参加者へのメールを準備している。
たまたま、アメリカの音楽リスナーで、アルケミーレコードのことを応援してくれているブログを見つけた。
THE ELEGANCE FILTER
JOJO広重がやっているこのレーベルは、世界最大のプライベート・レーベルだと評してくれているのは、なんだか嬉しい。そして全作品の中から「スラップ・ハッピー・ハンフリー」が一番好きだと書いてくれてるのも、嬉しいな。
「スラップ・ハッピー・ハンフリー」が好きです、と言ってくれるファンにたまに出会うが、そう言われると実は心底嬉しかったりします。
25年やってて、これだからね。(笑)
この程度の男です。許してね。
設立したといっても、特に設立式をやったわけでもなく、林くんが我が家に泊まり込み、ふたりで幾晩も話し合った結果、アルケミーレコードという名前でレーベルをスタートさせようと決意しただけのことだ。
でも6月30日だったという日のことはよく覚えている。
アルケミーレコードとしての第一弾リリースは1984年8月25日、「ウルトラビデ/ジ・オリジナル」のLPで、ARLP-001という番号だった。第二弾がSSで9月25日、第三弾は10月25日でINUの、3バンドともそれぞれ1979年の録音源を形にしたものだった。
我々が後世に形にして残しておくべきだと思う音源を、記録媒体に残して一般に流通させること。古い音源、今のバンド、新しいアーティスト、問わず。
もちろんいいことも悪いこともいいかげんなこともあったけれど、自分たちがやるべきことのベースはこれで、そのポリシーは25年たった今も変わっていない。
形にして残すこと、記録して対世間に流通させること。そのことがしょせん自己満足であったり、稚拙であったり、力がたりなかったり、非常に繊細で弱いものであったとしても、形にして外に向けて発信することの重要性、そこからつながっていくことの未来を、私も林くんもとことん信じていたのだと思う。
一番つらいのは精神面であり、そして現実的な金銭面だった。それは今も変わらない。もうレーベルなどやめてしまいたい。何度も何度もそう思ったし、25年たった今もそう思っている。こんなことなど何の意味もない、徒労だ、むしろ害悪だ、JOJO広重など、アルケミーなどこの世界にいないほうがいい、何度もそう思う。
しかしこういったことは私だけでなく、レーベルオーナーなら誰だってそう思うはずだろう。いやレーベル運営者だけでなく、バンドをやったり、人前で歌を歌うような連中も同じようなことを1度や2度は思う。ライブハウスオーナーも、ミニコミやフリーペーパー発行者も、ライブ企画者も、レコード屋もだ。
音楽と関わることと、こういったネガティブな思いは必ずセットになっている。
そしてそう思わないヤツに、音楽と関わる資格はない。
20周年の時はテイチク・エンタテインメントから記念アルバムが出たり、PSFと連携して一緒に20周年記念アルバムを出したり記念ライブをしたりしたが、今年はなにもなさそうだ。よく考えてみれば何周年だからといって何もめでたいことではない。ただ数を数えただけの話で、じゃあ19周年はめでたくないのか、24周年はどうだったんだ、という話である。
まあ、でもね。
25年目の6月30日であった昨夜は、ひとりで祝杯をあげた。
本音を言えば、25年もやってきたんだからもういいですよね、という弱音を吐きたいのだということは自分でわかっている。
何かのため、なんていう理由は、もういらない。
どうしてこのレーベルが継続してきたのかと言えば、それは自分の強靱な意志などではまるでなく、ただ、タイロウくんがいたからとか、高野や山崎や須原がいるからとか、ちひろちゃんや見汐さんと出会えたからとか、エンジェリン・ヘヴィ・シロップやサバート・ブレイズが過去にあったからとか、手水や夜邪の思い出とか、ほぶらきんの青木さんや森下くんのこととか、美川・コサカイ・ナカヤ・河端・津山などのロック&ノイズヤクザの連中のこととか、モタコやSINRYOや、新谷やチェリーやイノベのこととか、マニッシュトーンやフォークテールズやメスカリンドライブや赤痢のこととか、つまりは友情と思い出と未来への漠然とした「つづいていくもの」にささえられてきたからにすぎない。
それはほとんどは顔の見えない"リスナー"というものとの、本当に細い一本の糸でつながっていることを信じているということと、同意だ。
そして今日始まった26年目に、別に決意をあらたにするなどという気持ちは一切なく、次のリリースのための、ゆうさりゆうさればのミックスのあがった音源を聴き、見汐麻衣のソロ作品をチェックし、ほぶらきんの未発表ライブのリリースのための準備をし、今進めている企画の参加者へのメールを準備している。
たまたま、アメリカの音楽リスナーで、アルケミーレコードのことを応援してくれているブログを見つけた。
THE ELEGANCE FILTER
JOJO広重がやっているこのレーベルは、世界最大のプライベート・レーベルだと評してくれているのは、なんだか嬉しい。そして全作品の中から「スラップ・ハッピー・ハンフリー」が一番好きだと書いてくれてるのも、嬉しいな。
「スラップ・ハッピー・ハンフリー」が好きです、と言ってくれるファンにたまに出会うが、そう言われると実は心底嬉しかったりします。
25年やってて、これだからね。(笑)
この程度の男です。許してね。