2009年05月29日
ZOO/DOLL
パンク・ハードコアの専門誌「DOLL」が7月1日発売号を最後に廃刊するという情報をもらう。
おそらく近日編集部の方から公式発表もあると思うが、パンクはもちろんインディペンデントな音楽を愛好してきた人々がショックを受けるのは明白で、これも時代の流れと言ってしまうのは一抹の寂しさを隠せない。
「DOLL」の前身は「ZOO」というミニコミに近いスタイルの雑誌で、森脇美貴夫編集長の文章はもちろん、間章の文章が読みたくて、1976年ころに手にとった思い出がある。きっと実家の倉庫を探せばバックナンバーは出てくるはずだ。確かジャーマン・ロックの特集号もあったはずで、今のようなパンク専門誌ではなかった。
「DOLL」というパンク専門誌になり、もちろんインディーズ黎明期から我々の仲間の多くの面々が関わり、広告やインタビュー、アルバムレビュー、ライブレビューを掲載してもらった。お約束のようにトラブルもあったりはしたが、雑誌というメディアである以上、我々がお世話になったことのほうが圧倒的に多いわけで、森脇さんや相川さんにはずいぶん感謝している。
インディーズ絶頂期に、「DOLL」編集部の人間がごっそりととある会社に引き抜かれた事件があった。つまりは金、欲、そして不義理という、普通の世の中の普通の事件で、パンクだインディーズなんて言っていても所詮は金のことという現実を突きつけられた出来事で、林くんやフジヤマの渡辺さんと『ずいぶん生臭いね』とがっかりしたことを覚えている。そして編集長だった森脇さんが病に倒れられ、その後を支えてがんばった相川さんたちのことは、誰がなんと言おうと立派だと思う。やがてその引き抜きをした会社はろくでもないことになり、会社を移った面々も霧散し、その後は音楽業界でチラホラ名前を聞く程度に至ったのに対し、「DOLL」はしぶとく生き残り、いくつかの音楽誌が消えていく中で立派に黒字の会社になっていたはずだ。2000年にフールズメイトの石井くんとギズムのライブで会った時、「DOLL」の経営の見事さを聞いた。
2004年に「GET THE PUNK」というパンク・コンピレーション・CDをテイチク・エンタテインメントで制作した時、相川さんと電話をしたのが最後かな。それとも赤痢のベスト盤のライナーを書いてもらった時だろうか。お元気ですか。
最近は西村くんの原稿でオリジナル・ウルトラビデのインタビューを掲載してもらいましたね。
お疲れさまでした。またいつか、どこかで。
おそらく近日編集部の方から公式発表もあると思うが、パンクはもちろんインディペンデントな音楽を愛好してきた人々がショックを受けるのは明白で、これも時代の流れと言ってしまうのは一抹の寂しさを隠せない。
「DOLL」の前身は「ZOO」というミニコミに近いスタイルの雑誌で、森脇美貴夫編集長の文章はもちろん、間章の文章が読みたくて、1976年ころに手にとった思い出がある。きっと実家の倉庫を探せばバックナンバーは出てくるはずだ。確かジャーマン・ロックの特集号もあったはずで、今のようなパンク専門誌ではなかった。
「DOLL」というパンク専門誌になり、もちろんインディーズ黎明期から我々の仲間の多くの面々が関わり、広告やインタビュー、アルバムレビュー、ライブレビューを掲載してもらった。お約束のようにトラブルもあったりはしたが、雑誌というメディアである以上、我々がお世話になったことのほうが圧倒的に多いわけで、森脇さんや相川さんにはずいぶん感謝している。
インディーズ絶頂期に、「DOLL」編集部の人間がごっそりととある会社に引き抜かれた事件があった。つまりは金、欲、そして不義理という、普通の世の中の普通の事件で、パンクだインディーズなんて言っていても所詮は金のことという現実を突きつけられた出来事で、林くんやフジヤマの渡辺さんと『ずいぶん生臭いね』とがっかりしたことを覚えている。そして編集長だった森脇さんが病に倒れられ、その後を支えてがんばった相川さんたちのことは、誰がなんと言おうと立派だと思う。やがてその引き抜きをした会社はろくでもないことになり、会社を移った面々も霧散し、その後は音楽業界でチラホラ名前を聞く程度に至ったのに対し、「DOLL」はしぶとく生き残り、いくつかの音楽誌が消えていく中で立派に黒字の会社になっていたはずだ。2000年にフールズメイトの石井くんとギズムのライブで会った時、「DOLL」の経営の見事さを聞いた。
2004年に「GET THE PUNK」というパンク・コンピレーション・CDをテイチク・エンタテインメントで制作した時、相川さんと電話をしたのが最後かな。それとも赤痢のベスト盤のライナーを書いてもらった時だろうか。お元気ですか。
最近は西村くんの原稿でオリジナル・ウルトラビデのインタビューを掲載してもらいましたね。
お疲れさまでした。またいつか、どこかで。