2008年12月29日

お前はただの現在にすぎない

おととい、自分の15才の頃を思い出した話を書いた。あの時、まめぴよちゃんのお母さんに、私は中学から大学までの10年間、演劇部に所属していたことを話したが、他にもクラブに入っていたことを思い出した。

高校の時には新聞部や美術部にも所属していたが、中学生の時は文芸部と社会問題研究部にも入っていた。
この社会問題研究部のことはほとんど忘れていたが、中学校の卒業記念アルバムにはしっかり「社会問題研究部」のメンバーの中に写真で写っているので所属していたのは間違いない。しかしほとんど活動をした記憶がない。

それもそのはずで、私がクラブの研究題目として提議したアイデアは、クラブの部長(なかなかいけすかない女性だった)にことごとく却下されたからである。当時はもう消耗戦となっていた末期の学生運動のことや、被差別部落の問題、水俣病を中心とした公害問題を研究しようと意見したのだが「内容が過激すぎる」として、部長には頭から取り上げてもらえなかった。結局は京都の風致地区の景観問題や、当時はまだ市内を走っていた市電(路面電車)の問題など、京都の学校らしい、そして当たり障りのない研究題目に決定していったのである。

当然私としてはおもしろくなく、部員のいない時間帯に部室に閉じこもり、もっぱら読書室として使っていた。その頃発刊されたばかりの安部公房の戯曲「愛のメガネは色ガラス」に傾倒し、演劇部の方の仕事をこなしていた。
社会問題研究部の部室は、先生も使用する私設の図書室のような部屋だった。中学生にはまだ難しいような古めかしい本がいくつかあったが、そこで読んだのが「お前はただの現在にすぎない」だったように思う。
はっきりとした記憶はないが、当時はまだメディア論(という言葉すらなかったが)の本は新聞関係のものくらいしかなく、テレビの裏事情のようなこの本はなんだかわからないがすごい本のように思ったものだ。そして大きなものには結局は敗北していく個人、というシチュエーションに妙に正義感が燃えたのを覚えている。

お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か (朝日文庫)
お前はただの現在にすぎない〜テレビになにが可能か (朝日文庫)



しかし「お前はただの現在にすぎない」とは、すごいタイトルだ。
弱冠14才の中学生には難しく、結局は斜め読みしかできていなかったと思う。

先日、徳島の小西さんにお会いした時、最近この本が復刊され文庫で出ていることをチラときいていたので、大阪の書店をいくつか探したがこんな本はなかなか見つからず、結局アマゾンで買った。もう出だしからしてワクワクするような本だが、たまらなく硬派な本ですね。

そう、軟派な中学生だったと思うが、硬派なものにはたまらなくあこがれていた。
この本が出たのは40年前、私が読んだのは35年前。時代はまだ硬派のほうが多かったかもしれない。


kishidashin01 at 23:59│clip!日常