2008年12月27日
ケーキカット
モタコくんと隔月で開催している「飲み会」を「お茶会」に変更し、枡本航太くんもさそって、ついに本日まめぴよちゃん&お母さんと5人でお茶会。
みんな忙しいスケジュールの合間をぬって、ということになるので年内は無理かなと思っていたが、モタコくんの采配で無事開催できた。2時間半くらいだったかな実質は。
15才の高校生がオシリペンペンズや枡本航太やマゾンナやほぶらきんや私などの音楽を好きになって、なにをどう思っているのかはずいぶん気になっていたので、今日はずいぶん話を聞けて嬉しかった。モタコくんや枡本航太くんの話もおもしろかったが、今日はまめぴよ親子の話が最高におもしろかった。おそらく彼女たちも我々のことがおもしろかったに違いない。
つまりは、我々が15才の時に何を考えていたのか、ということだ。モタコくんも枡本航太くんも私も、まめぴよちゃんと話すことによって、その頃の自分が何を考え、何を思い、何に苦悩していたのかを一気に思い出したのである。
もちろんもう大人になってしまった我々は『なんにも考えてなかった』『学校がおもしろかった』『あほな仲間がいた』などと話したのだが、それはそれで事実なのだけれど、それとは別にまめぴよちゃんと同じく、自分が何をしたいのかを見つけることなどできず、自分とまわりとの考え方のギャップや、いごこちの悪さにとまどっていたのである。
そりゃあ高校1年生の女の子がほぶらきんと言っていても学校のクラスで話のあう同級生などいないことは容易に想像できるが、例えば私の時代だって、クラスで三上寛だ早川義夫だ佐井好子だと言っていたのは私ひとりだったわけで、今も昔もそんなに感覚に大差はないものだ。
じゃあどうしていたのかというと、クラス以外に話のあう連中を見つけてつるんだり、ロック喫茶などに行って学校以外の年上の連中の世界に首をつっこんんだり、時にはそういった場所の人にもバカにされ、時にはくじけながらも、自分の選択が正しいのだということを検証する作業をしていたのだと思う。自分の居場所は自分で作るしかなかったからだ。
高校のクラスでの友人は今はほとんどつきあいがないが、クラブ(演劇部だった)の仲間はいまだに一緒に遊んでいるし、ロック喫茶やバンドで知り合った連中の多くはいまだに友人である。
ようするに、そんなものなのだ。
例えばまめぴよちゃんの今のクラスの仲間は10年後にはもうほとんどつきあいがないかもしれないが、モタコくんや枡本航太くんや私とはそんな年月がたってもきっといい友人・知人の関係でいられるだろう。そして今日のお茶会の話がこうだったああだったと、笑いながら話せるんじゃないかな。
それでいいんじゃあないかなあ。
今日はみんなで来年2月に発売されるとうめいロボの新作アルバム「とうめいなじかん」を聞いた。夜、そのとうめいロボのちひろちゃんから私に電話があり、今年あったレコーディングやライブのことを話した。
ちひろちゃん、今日の電話であなたに伝えるのを忘れました。まめぴよちゃんが今年見たたくさんのライブの中で、一番よかったのはぼくらの『とうめい階段』だったそうです。ありがたいね、そう言ってもらえて。
なにかを思い、なにかをすれば、誰かに伝わる。
それでいいんだよねえ。
今日の空は、紺碧に晴れていたよ。
今日のことは5人が5人とも、きっと一生忘れないさ。
みんな忙しいスケジュールの合間をぬって、ということになるので年内は無理かなと思っていたが、モタコくんの采配で無事開催できた。2時間半くらいだったかな実質は。
15才の高校生がオシリペンペンズや枡本航太やマゾンナやほぶらきんや私などの音楽を好きになって、なにをどう思っているのかはずいぶん気になっていたので、今日はずいぶん話を聞けて嬉しかった。モタコくんや枡本航太くんの話もおもしろかったが、今日はまめぴよ親子の話が最高におもしろかった。おそらく彼女たちも我々のことがおもしろかったに違いない。
つまりは、我々が15才の時に何を考えていたのか、ということだ。モタコくんも枡本航太くんも私も、まめぴよちゃんと話すことによって、その頃の自分が何を考え、何を思い、何に苦悩していたのかを一気に思い出したのである。
もちろんもう大人になってしまった我々は『なんにも考えてなかった』『学校がおもしろかった』『あほな仲間がいた』などと話したのだが、それはそれで事実なのだけれど、それとは別にまめぴよちゃんと同じく、自分が何をしたいのかを見つけることなどできず、自分とまわりとの考え方のギャップや、いごこちの悪さにとまどっていたのである。
そりゃあ高校1年生の女の子がほぶらきんと言っていても学校のクラスで話のあう同級生などいないことは容易に想像できるが、例えば私の時代だって、クラスで三上寛だ早川義夫だ佐井好子だと言っていたのは私ひとりだったわけで、今も昔もそんなに感覚に大差はないものだ。
じゃあどうしていたのかというと、クラス以外に話のあう連中を見つけてつるんだり、ロック喫茶などに行って学校以外の年上の連中の世界に首をつっこんんだり、時にはそういった場所の人にもバカにされ、時にはくじけながらも、自分の選択が正しいのだということを検証する作業をしていたのだと思う。自分の居場所は自分で作るしかなかったからだ。
高校のクラスでの友人は今はほとんどつきあいがないが、クラブ(演劇部だった)の仲間はいまだに一緒に遊んでいるし、ロック喫茶やバンドで知り合った連中の多くはいまだに友人である。
ようするに、そんなものなのだ。
例えばまめぴよちゃんの今のクラスの仲間は10年後にはもうほとんどつきあいがないかもしれないが、モタコくんや枡本航太くんや私とはそんな年月がたってもきっといい友人・知人の関係でいられるだろう。そして今日のお茶会の話がこうだったああだったと、笑いながら話せるんじゃないかな。
それでいいんじゃあないかなあ。
今日はみんなで来年2月に発売されるとうめいロボの新作アルバム「とうめいなじかん」を聞いた。夜、そのとうめいロボのちひろちゃんから私に電話があり、今年あったレコーディングやライブのことを話した。
ちひろちゃん、今日の電話であなたに伝えるのを忘れました。まめぴよちゃんが今年見たたくさんのライブの中で、一番よかったのはぼくらの『とうめい階段』だったそうです。ありがたいね、そう言ってもらえて。
なにかを思い、なにかをすれば、誰かに伝わる。
それでいいんだよねえ。
今日の空は、紺碧に晴れていたよ。
今日のことは5人が5人とも、きっと一生忘れないさ。