2011年03月
2011年03月21日
感傷的?
私の3月14日のブログ「いつか、音楽が聞こえてくるから」と、大友良英さんのブログ「大友良英のJAMJAM日記」の3月15日分
「2011-03-15 少しでも状況がよくなりますように」、そしてやはり3月15日のFMNサウンドファクトリーの石橋くんのブログ「理由と「たかが音楽」について」の3つを紹介しているブログやツィッターの発言を多くみかける。
私の「いつか、音楽が聞こえてくるから」は、その日の朝のツィッターの発言をまとめたもので、その文章に反応するかのように大友さんと石橋くんが答えてくれたような形になっている。
私の文章の中にも大友さんの文章の中にも「たかが音楽」という言葉が出てくるが、これは石橋くんの「理由と「たかが音楽」について」でも言及されているように、石橋くんがツィートしたややキツめの発言をうまく自分の文章に使わせてもらったものだ。
前に書いたように私のブログアクセスは2万を超え、自分の書いた記事の中では最高のアクセス数となった。
この記事についての反論や悪評はあまり見かけないが、もちろん万人に受け入れられていると慢心しているつもりもない。むしろもっと他のミュージシャン、特にもっとメジャーなミュージシャンたちの意見をもっと聞きたいと思っている。私や大友さんは万人に受けるミュージシャンではない。
だって国内外の有名なミュージシャンが「日本を愛しています」「みんながんばろう」「助け合って」というごく普通の言葉しか出てこないのはおかしいでしょう。どう思っているのか、もっと発信してほしいところである。
私の文章を感傷的だと批評したツィートをみかけたが、どこがどう感傷的なのか、よくわからない。というか、きっとこの人は私のことをよく知らないのだと思う。私のことを知っている人は、私のことや私の文章を感傷的だとは思わないし、もしも思う時は広重さんはそう読めるように意図的に書いているのだろうと理解するはずだと思っている。
もちろん私だってすべてのミュージシャンが音楽は無力だと落ち込んでいるとは思っていない。ただ、この状況で落ち込んでいないミュージシャンの方が少ないくらいだろうとは思っている。元気でガンガンがんばっているミュージシャンもいますよ、ほうそうかい、そんな人は私のブログなんか読まないし、必要としていないでしょ。
音楽は無力だと思わないような非感傷的なミュージシャンに、私はこれっぽっちも興味がない。
ただ、石橋くんが後日ツィートしていたように、面と向かって"ブログ読みました"と言われると恥ずかしい、と思う気持ちはよくわかる。
きっと私の文章を感傷的と評した人は、私や石橋くんがこういうことに対して恥ずかしいと思う気持ちはきっと永久にわからないだろう。でも、それでもいいと思っている。
京都・カフェアンデパンダンの方からメールをいただき、私の先のブログを自主出版物に引用したいという。もちろんOKである。他にも自分のブログや出版物などで引用したいという要望があれば全部OKするつもりですので、遠慮なくどうぞ。
最後に「感傷的に」書いておこう。
私のブログなど、そのうちみんな忘れるから。
でもこの3月11日の地震のことや、その時にみんなが思ったこと、考えたことは忘れないでほしいな。どんなに時間がたっても。
「2011-03-15 少しでも状況がよくなりますように」、そしてやはり3月15日のFMNサウンドファクトリーの石橋くんのブログ「理由と「たかが音楽」について」の3つを紹介しているブログやツィッターの発言を多くみかける。
私の「いつか、音楽が聞こえてくるから」は、その日の朝のツィッターの発言をまとめたもので、その文章に反応するかのように大友さんと石橋くんが答えてくれたような形になっている。
私の文章の中にも大友さんの文章の中にも「たかが音楽」という言葉が出てくるが、これは石橋くんの「理由と「たかが音楽」について」でも言及されているように、石橋くんがツィートしたややキツめの発言をうまく自分の文章に使わせてもらったものだ。
前に書いたように私のブログアクセスは2万を超え、自分の書いた記事の中では最高のアクセス数となった。
この記事についての反論や悪評はあまり見かけないが、もちろん万人に受け入れられていると慢心しているつもりもない。むしろもっと他のミュージシャン、特にもっとメジャーなミュージシャンたちの意見をもっと聞きたいと思っている。私や大友さんは万人に受けるミュージシャンではない。
だって国内外の有名なミュージシャンが「日本を愛しています」「みんながんばろう」「助け合って」というごく普通の言葉しか出てこないのはおかしいでしょう。どう思っているのか、もっと発信してほしいところである。
私の文章を感傷的だと批評したツィートをみかけたが、どこがどう感傷的なのか、よくわからない。というか、きっとこの人は私のことをよく知らないのだと思う。私のことを知っている人は、私のことや私の文章を感傷的だとは思わないし、もしも思う時は広重さんはそう読めるように意図的に書いているのだろうと理解するはずだと思っている。
もちろん私だってすべてのミュージシャンが音楽は無力だと落ち込んでいるとは思っていない。ただ、この状況で落ち込んでいないミュージシャンの方が少ないくらいだろうとは思っている。元気でガンガンがんばっているミュージシャンもいますよ、ほうそうかい、そんな人は私のブログなんか読まないし、必要としていないでしょ。
音楽は無力だと思わないような非感傷的なミュージシャンに、私はこれっぽっちも興味がない。
ただ、石橋くんが後日ツィートしていたように、面と向かって"ブログ読みました"と言われると恥ずかしい、と思う気持ちはよくわかる。
きっと私の文章を感傷的と評した人は、私や石橋くんがこういうことに対して恥ずかしいと思う気持ちはきっと永久にわからないだろう。でも、それでもいいと思っている。
京都・カフェアンデパンダンの方からメールをいただき、私の先のブログを自主出版物に引用したいという。もちろんOKである。他にも自分のブログや出版物などで引用したいという要望があれば全部OKするつもりですので、遠慮なくどうぞ。
最後に「感傷的に」書いておこう。
私のブログなど、そのうちみんな忘れるから。
でもこの3月11日の地震のことや、その時にみんなが思ったこと、考えたことは忘れないでほしいな。どんなに時間がたっても。
2011年03月20日
石井利信・さいがようへい展

オシリペンペンズのボーカリスト・モタコくんのお父さん(故人)が家族に送った自筆の絵葉書、マンガなどを展示した展覧会。
心斎橋の小さなギャラリーで開催されていたので、ちょっとのぞいて見た。
石井利信さんの絵葉書展は梅田で開催された時にうかがったが、その時よりも展示点数は多い。展示されている以外にもストックが年度別アルバムでおいてあり、手にとって見ることができる。
家族を思う心、なんでもない日常。
それをさらりとした絵とさりげない言葉で綴った1000枚以上もの絵葉書。圧巻でした。そして、心が洗われる気分でした。
3月26日まで開催しています。
よかったら、ぜひ。
Artist Space CERO
大阪市西区北堀江1-3-11友成ビル2F
電話06-6538-0077
日曜休館(21日祝日は開いています)
午後1:00-7:00
2011年03月19日
ブログ、平常に戻る
3月14日に書いたブログ、twitterを始めあちこちで紹介されたせいか、2万アクセスもあり、ずいぶん驚きました。
でも今は平常の数値に戻っており、ずいぶん安心しています。
なんせ、非常階段のJOJO広重のブログなわけで、ぜんぜん立派でもなく、メジャーでもなく、アンダーグラウンドでマイナーな人間の書くようなブログに2万アクセスはふさわしくないです。
私はいい人でもなければ、立派な人でもありません。一部の人にとっていい人、一部の人にとってはおもしろい人であっても、万人向けにはできていませんから。
でないとパーソナルなつきあいができないでしょうから。
いつも読んでくれている人、ありがとうございます。
また明日もよろしく。
3/14のブログだけ読んでくださった方々、ありがとうございました。
またいつか、どこかで。
でも今は平常の数値に戻っており、ずいぶん安心しています。
なんせ、非常階段のJOJO広重のブログなわけで、ぜんぜん立派でもなく、メジャーでもなく、アンダーグラウンドでマイナーな人間の書くようなブログに2万アクセスはふさわしくないです。
私はいい人でもなければ、立派な人でもありません。一部の人にとっていい人、一部の人にとってはおもしろい人であっても、万人向けにはできていませんから。
でないとパーソナルなつきあいができないでしょうから。
いつも読んでくれている人、ありがとうございます。
また明日もよろしく。
3/14のブログだけ読んでくださった方々、ありがとうございました。
またいつか、どこかで。
2011年03月18日
2011年03月16日
マニさんと大阪でライブ
日付が変わってしまった。15日の夜はGURU GURU のドラマー、マニ・ノイメイヤーさん、アシッド・マザーの河端くんと難波ベアーズでライブでした。
マニさんはさぞ日本の地震や原発事故にショックを受けているだろうと思っていたら案の定で、ドイツの友人から連日早く帰国してこいと電話があり、本人もニュースなどをテレビで見て、やはりメンタルな面でつらかったようだ。
で、今回の国内ライブツアーはまだまだ先があったのだけれど、今日のライブでうち切りにしてあさって急遽ドイツに帰国することにしたという。
ライブは河端くんとマニさんのDUO、私とマニさんのDUO、最後は三人でのセッションとなった。
私とマニさんのDUOの時、来場者へのメッセージとしてギターで『上を向いて歩こう』のフレーズを弾いた。
今日はたくさんの来場者があった。若いお客さんがいっぱい。
きっとみんな鬱屈した気分があって、なにかはじけたくて、ベアーズのライブに来てくれたんだなあと思ったよ。
お客さん、みんな笑顔だった。みんなはじけてた。
音楽って、無力だけど、無力じゃないよ。
自粛もひとつの選択肢だけど、やっぱり音楽やライブはあったほうがいい。
「たかが音楽」なんでしょ。だったら音楽聞いたっていいじゃん。ライブやったっていいじゃん。たかが音楽なんだもの。音楽のパワーを信じようよ、もっと。
今日はそんなふうに思ったよ。
マニさんはさぞ日本の地震や原発事故にショックを受けているだろうと思っていたら案の定で、ドイツの友人から連日早く帰国してこいと電話があり、本人もニュースなどをテレビで見て、やはりメンタルな面でつらかったようだ。
で、今回の国内ライブツアーはまだまだ先があったのだけれど、今日のライブでうち切りにしてあさって急遽ドイツに帰国することにしたという。
ライブは河端くんとマニさんのDUO、私とマニさんのDUO、最後は三人でのセッションとなった。
私とマニさんのDUOの時、来場者へのメッセージとしてギターで『上を向いて歩こう』のフレーズを弾いた。
今日はたくさんの来場者があった。若いお客さんがいっぱい。
きっとみんな鬱屈した気分があって、なにかはじけたくて、ベアーズのライブに来てくれたんだなあと思ったよ。
お客さん、みんな笑顔だった。みんなはじけてた。
音楽って、無力だけど、無力じゃないよ。
自粛もひとつの選択肢だけど、やっぱり音楽やライブはあったほうがいい。
「たかが音楽」なんでしょ。だったら音楽聞いたっていいじゃん。ライブやったっていいじゃん。たかが音楽なんだもの。音楽のパワーを信じようよ、もっと。
今日はそんなふうに思ったよ。
2011年03月15日
今、長谷川きよしさんのライブを思い出す
アメリカの9.11テロのあった少し後、佐井好子さんと一緒に都内の長谷川きよしさんのライブに行きました。
確か、吉祥寺のライブハウス。会場はガラガラ。
でも長谷川さん、MCでテロにこころを痛めている旨の発言があり、その後のギター演奏は鬼気迫るパッションのものすごい演奏でした。
ギターに、歌に、異常なほどのテンション。あの演奏は一生忘れられないです。
盲目のギタリスト、長谷川きよしさんが、テロという現実の悲惨な出来事に対しての悲しみ、怒り、音楽というものの無力感もなにもかもの気持ちを一気にギター演奏にのせたようなプレイ。
私も佐井好子さんも、身震いするような感動を受けました。
ミュージシャンは楽器に、歌手は自分の声に、悲しみも慈しみも希望も絶望も怒りも、あらゆる気持ちをこめることができます。
言葉にならない気持ちも音や声にのせることができます。
それは聞き手のこころの奥に届くはずです。こうして形や言葉にならない気持ちを伝えることがミュージシャンの使命です。
音楽の大先輩である長谷川きよしさんに、私はあるシチュエーションの時に、ミュージシャンが何をすべきなのか、あの夜のギター演奏でしっかり教えてもらいました。そんなふうに思っています。
地震でとてつもな被害を受けたこの国、被災者の気持ちはもちろん、被災を受けなかった人たちの気持ちも、ぜんぶ重いです。
そういった現実をふまえて、ミュージシャンである私は、あの時の長谷川きよしさんと同じように、自分の気持ちのこもった演奏をするつもりです。
先週の浜松ではそれはできた気がしています。
もちろん、今夜の大阪ベアーズでのライブもしっかり演奏します。
がんばります。
確か、吉祥寺のライブハウス。会場はガラガラ。
でも長谷川さん、MCでテロにこころを痛めている旨の発言があり、その後のギター演奏は鬼気迫るパッションのものすごい演奏でした。
ギターに、歌に、異常なほどのテンション。あの演奏は一生忘れられないです。
盲目のギタリスト、長谷川きよしさんが、テロという現実の悲惨な出来事に対しての悲しみ、怒り、音楽というものの無力感もなにもかもの気持ちを一気にギター演奏にのせたようなプレイ。
私も佐井好子さんも、身震いするような感動を受けました。
ミュージシャンは楽器に、歌手は自分の声に、悲しみも慈しみも希望も絶望も怒りも、あらゆる気持ちをこめることができます。
言葉にならない気持ちも音や声にのせることができます。
それは聞き手のこころの奥に届くはずです。こうして形や言葉にならない気持ちを伝えることがミュージシャンの使命です。
音楽の大先輩である長谷川きよしさんに、私はあるシチュエーションの時に、ミュージシャンが何をすべきなのか、あの夜のギター演奏でしっかり教えてもらいました。そんなふうに思っています。
地震でとてつもな被害を受けたこの国、被災者の気持ちはもちろん、被災を受けなかった人たちの気持ちも、ぜんぶ重いです。
そういった現実をふまえて、ミュージシャンである私は、あの時の長谷川きよしさんと同じように、自分の気持ちのこもった演奏をするつもりです。
先週の浜松ではそれはできた気がしています。
もちろん、今夜の大阪ベアーズでのライブもしっかり演奏します。
がんばります。
2011年03月14日
いつか、音楽が聞こえてくるから
音楽関係者、特にミュージシャンの方々は音楽の無力感を痛烈に感じられていると思います。
音楽では人を救えない、なにもできないと。そんなふうな気持ちを感じるのはしかたないですが、自分自身や自分がやってきたことを否定することは解決への糸口ではないと思います。
一見なにも意味のないこと、なんの価値もないようなことが、人の心を救い、前向きになり、人生の大きなステップになった例はいくらでもあります。音楽はそもそも目に見えない、形のないエネルギーです。現実の目に見える物質や事象と比較することが間違っています。
今目の前の現実に対しては確かに音楽は無力です。誰かが言っていたように「たかが音楽」です。でもそれは意味も価値もないという意味で「たかが音楽」と言われたのではないでしょう。音楽や歌に励まされたりなぐさめられたり癒される瞬間は必ず来ます。
音楽関係者、ミュージシャン、プロであってもアマであっても、ロックでもノイズでもインディーズでも一緒です。目の前の現実に比較して無力感を感じて、あきらめたり自分を卑下したりしないでください。音楽に関わってきた人で、間違っている人などひとりもいません。でも休むのも、今はほかのことをするのも、家族や友人を大切にするのも、それもひとつの選択肢です。こんな状況で音楽を演る続けることだけが正しいわけではありません。ただ、音楽を否定したり、自分を否定したり、あまりに悩みすぎたりはしないでください。
歌や音楽がなんなのか、自分の音楽がなんだったのか、なにができるのかは、今すぐ答えを出さなくてもいいんじゃないでしょうか。誰かに頼まれて音楽を始めたわけではないでしょう。自分の気持ちの奥から音楽がわいてきたから始めたのでしょう。それを思い出して、信じてほしい。
今すぐにではなくても、音楽はいつか必要とされます。人のこころに届きます。音楽を聞いている人だって、本当は自分の歌をこころの中で歌っているのです。みんなが歌手であり、ミュージシャンなのです。その音楽への気持ちを否定したりしないでください。
今日は音楽や歌はできないかもしれません。CDを聞くことすらできないかもしれません。ライブもツアーもできないかもしれません。中止もあるでしょう。でも明日なら、あさってなら、来週なら、来月ならできるかもしれないです。それでいいんじゃないですかね。音楽はなくなったり死んだりしません。
ミュージシャンは自分が演奏できる状態に心身ともになったら、演奏をしましょう。リスナーは音楽が聞きたい気分になったら、遠慮なく聞いてください、ライブに来てください。今はできないなら、遠慮なく休んでください。その時に自分を責めたり卑下したりはしないでください。
いつか、音楽は聞こえてきます。それは信じてもいいでしょう?救援物資を届けるように、人のこころに歌や音楽を届ける時がきます、必ず。ミュージシャンの人たち、その時は本気で、必死で、全力でがんばりましょう。ね、がんばろうね。
音楽では人を救えない、なにもできないと。そんなふうな気持ちを感じるのはしかたないですが、自分自身や自分がやってきたことを否定することは解決への糸口ではないと思います。
一見なにも意味のないこと、なんの価値もないようなことが、人の心を救い、前向きになり、人生の大きなステップになった例はいくらでもあります。音楽はそもそも目に見えない、形のないエネルギーです。現実の目に見える物質や事象と比較することが間違っています。
今目の前の現実に対しては確かに音楽は無力です。誰かが言っていたように「たかが音楽」です。でもそれは意味も価値もないという意味で「たかが音楽」と言われたのではないでしょう。音楽や歌に励まされたりなぐさめられたり癒される瞬間は必ず来ます。
音楽関係者、ミュージシャン、プロであってもアマであっても、ロックでもノイズでもインディーズでも一緒です。目の前の現実に比較して無力感を感じて、あきらめたり自分を卑下したりしないでください。音楽に関わってきた人で、間違っている人などひとりもいません。でも休むのも、今はほかのことをするのも、家族や友人を大切にするのも、それもひとつの選択肢です。こんな状況で音楽を演る続けることだけが正しいわけではありません。ただ、音楽を否定したり、自分を否定したり、あまりに悩みすぎたりはしないでください。
歌や音楽がなんなのか、自分の音楽がなんだったのか、なにができるのかは、今すぐ答えを出さなくてもいいんじゃないでしょうか。誰かに頼まれて音楽を始めたわけではないでしょう。自分の気持ちの奥から音楽がわいてきたから始めたのでしょう。それを思い出して、信じてほしい。
今すぐにではなくても、音楽はいつか必要とされます。人のこころに届きます。音楽を聞いている人だって、本当は自分の歌をこころの中で歌っているのです。みんなが歌手であり、ミュージシャンなのです。その音楽への気持ちを否定したりしないでください。
今日は音楽や歌はできないかもしれません。CDを聞くことすらできないかもしれません。ライブもツアーもできないかもしれません。中止もあるでしょう。でも明日なら、あさってなら、来週なら、来月ならできるかもしれないです。それでいいんじゃないですかね。音楽はなくなったり死んだりしません。
ミュージシャンは自分が演奏できる状態に心身ともになったら、演奏をしましょう。リスナーは音楽が聞きたい気分になったら、遠慮なく聞いてください、ライブに来てください。今はできないなら、遠慮なく休んでください。その時に自分を責めたり卑下したりはしないでください。
いつか、音楽は聞こえてきます。それは信じてもいいでしょう?救援物資を届けるように、人のこころに歌や音楽を届ける時がきます、必ず。ミュージシャンの人たち、その時は本気で、必死で、全力でがんばりましょう。ね、がんばろうね。