2009年05月
2009年05月20日
Mちゃんのこと
先日、占いのお客さんと話をしている中で、Mちゃんのことを思い出した。
Mちゃんは私が高校3年生の時に3ヶ月だけおつきあいをさせてもらった女の子だった。私は17才、彼女は16才だったと思う。
私と彼女の通う学校は同系列ではあったが別々の高校で、毎年催されている演劇部の合同発表会の打ち合わせで出会った。私は共学高校の演劇部・副部長、彼女は女子校の演劇部・副部長だった。
打ち合わせは彼女の通う女子校の部室で行われた。女子校に入るのは初めてで緊張したが、後日話を聞くと彼女の方も女子校に男の子がやってくるというシチュエーションに部員全員がきゃあきゃあ言っていたようで、なんのことはない、青春もののドラマにでもありそうな、当たり前の学校生活の一場面だったわけである、
どうやってつきあい始めたかは記憶がないが、たぶん2度目の打ち合わせはお互いの部長が出席せず、副部長同士でなにか話をしたのだろう。そしてお互いからひかれていったのだったと思う。
Mちゃんとはずいぶんたくさん話をした。17才と16才。当時思うことは本当にたくさんあったろう。自分のこと、家庭のこと、読んでいる本のこと、聞いている音楽のこと、夢や愛について、当時思っていることはお互いに全部包み隠さず話したかもしれない。
どれだけ話すことがあったのだろう、毎日のように放課後に会っていたにもかかわらず、彼女とは交換日記をしていた。
日記を持ち帰るのは私。朝、学校に行く時に、7時30分に京都・河原町今出川のマクドナルドの前にあった公衆電話ボックスの、電話帳の下に日記ノートを置く。Mちゃんはその交差点を7時45分に通るので、その日記を回収。そして学校にいる時間に返事を書き、また放課後に私にその日記帳を手渡す、というスタイルだった。
なんとも甘酸っぱい記憶で、彼女と別れた後に、その演劇部の部長女史とあった時『広重さんとMちゃんの交換日記はクラブのみんな知っていたのですよ』と言われ、ずいぶん赤面した。
女子高生なんて今も昔も変わらないのかもしれないが、背伸びしたことを口にしながらも、それは相手を試しているだけなのかもしれない。
Mちゃんは大阪でアパートを経営する大家さんの娘だった。彼女が言うには、自分は家にいる時にはパンツ1枚にノーブラ+Tシャツ1枚でいる、そんな時にアパートの住人で若い独身の男が家賃を払いに来た時、そのままの格好でお金を受け取りに行くのだという。その時に男の人が目線のやり場にこまってドギマギしているのを見て笑っているのだ、という話をしてくれたのをよく覚えている。
じゃあ私とも男女の進んだ恋をしたのかというとまるでそんなことはなく、ずいぶんプラトニックな関係だった。せいぜい手をつなぐ程度で、性的な関係がないからこそ信じあえるのだという錯覚のようなものがふたりの間にあったのかもしれない。それにしてはMちゃんからは「今日、私、ノーブラなんですよ」とか、ずいぶんセクシーなネタで何度もからかわれたが。
Mちゃんが教えてくれた漫画に、倉多江美のものがあった。お気に入りの倉多作品は「ジョジョの詩」で、その作品に登場する主人公に私が似ているらしいことから、私のニックネームは「ジョジョ」になった。その後、30年以上もジョジョを名乗ることになるとは、当時は夢にも思っていなかった。
私はプログレッシブロックやフリージャズに傾倒していたから、彼女を連れてロック喫茶やジャズ喫茶によく行った。最初はこちらのペースにあわせてくれていたが、どうもこういった音楽は好きではない模様。よく話を聞くと、カントリーが好きだという。私が持っていた数少ないカントリーロックのアルバムを貸すと、ずいぶん気に入ってくれていた。最終的にMちゃんのフェイバリットになったのはアタウアルパ・ユパンキで、フォルクローレの素晴らしさは私も認めるものの、彼女との趣味の違い、温度差を感じるきっかけとなった。
ユパンキの話から、私が聞いていたロックという音楽がレベルが低いという話に私がカチンときたのかもしれない。もしくは彼女が落ち込んでいる時に、私が発言した不用意な言葉がMちゃんの気持ちを傷つけたのかもしれない。6月からつきあい始めたふたりは、8月にはもう別れていた。3ヶ月たらずの短い恋だった。
1年後、私は大学生となった。その頃に1度だけ、交換日記をしていた電話ボックスの近くで偶然Mちゃんと出会ったことがある。彼女は高校3年生だったと思う。少し大人びた雰囲気になっていたMちゃんは私を見て顔をこわばらせた。
早川義夫の歌「サルビアの花」の『ほほをこわばらせ/僕をチラッと見た』という歌詞を聞くたびに、あの時のMちゃんの表情を思い出す。
彼女とは言葉をかわすこともなく、会釈だけをしてそのまま別れた。Mちゃんとはそれ以来会っていない。
その1年後、Mちゃんが副部長だった時の演劇部部長女史とは、大学の演劇サークルで再会した。「Mちゃんのこと、知ってます?」とニヤニヤして私の顔を見る。何?と聞くと、Mちゃんは大学1年生になった夏、知り合ったサーファーの男の子とつきあって妊娠した、子供を産むといって大学も辞めたのだという。
そうですか、となにげない顔を私はしたと思うが、実際はどんな心境だったのだろう。今となっては思い出せないが、そうかいおめでとう、という気持ちではなかったと思う。
さらに数年後、Mちゃんがサーフショップを開店して旦那と経営しているという話をきいた。たぶん部長女史から聞いたのだろう。彼女はMちゃんとその後も親交があったのかもしれない。
その15年後?いや、17年後かな。90年代。
私が大阪のスタジオで想い出波止場やエンジェリン・ヘヴィ・シロップのレコーディングをしていた頃。小谷さんが経営していた大阪のスタジオにはよく足を運んだ。何度も足を運んだ。何度も。駅からスタジオまでは5分ほど歩く。コンビニに寄って飲み物を買って、さてスタジオへ。
おや、喫茶店の横にサーフショップがありますね。
え。
え。
Mちゃんのことを久しぶりに思い出す。
彼女の住んでいたのは確かこの駅だ。
彼女の家はアパートを経営していたよな。
わりと大型のアパートの棟の一角にそのサーフショップはあるよ。
え。。。
この長いエピソードのエンディングはこのサーフショップの閉店で、終わる。
そのアパートはもちろんMちゃんの実家だったし、サーフショップはたぶんMちゃんとそのご主人のお店だったのだろう。何度も前を通ったが、いつも誰もいないかアルバイト風の女の子がいるだけで、Mちゃんにも、Mちゃんのご主人らしき人にも出会うことはなかった。
でも、なんだか、とても嬉しい気持ちになったことを覚えている。
正直に言えば、1度くらいはMちゃんの顔を見たかったな。今度は顔をこわばらせなかったかもしれないから。
そのサーフショップもやがて閉店し、貸し店舗の札がかかるようになった。
時を同じくして、小谷さんのスタジオも移転し、私もその駅で降りることはなくなった。
その駅にはもう、10年ほど降りていない。
『とびらを開けて出てきた君は/ほほをこわばらせ/僕をチラッと見た...』
Mちゃんは私が高校3年生の時に3ヶ月だけおつきあいをさせてもらった女の子だった。私は17才、彼女は16才だったと思う。
私と彼女の通う学校は同系列ではあったが別々の高校で、毎年催されている演劇部の合同発表会の打ち合わせで出会った。私は共学高校の演劇部・副部長、彼女は女子校の演劇部・副部長だった。
打ち合わせは彼女の通う女子校の部室で行われた。女子校に入るのは初めてで緊張したが、後日話を聞くと彼女の方も女子校に男の子がやってくるというシチュエーションに部員全員がきゃあきゃあ言っていたようで、なんのことはない、青春もののドラマにでもありそうな、当たり前の学校生活の一場面だったわけである、
どうやってつきあい始めたかは記憶がないが、たぶん2度目の打ち合わせはお互いの部長が出席せず、副部長同士でなにか話をしたのだろう。そしてお互いからひかれていったのだったと思う。
Mちゃんとはずいぶんたくさん話をした。17才と16才。当時思うことは本当にたくさんあったろう。自分のこと、家庭のこと、読んでいる本のこと、聞いている音楽のこと、夢や愛について、当時思っていることはお互いに全部包み隠さず話したかもしれない。
どれだけ話すことがあったのだろう、毎日のように放課後に会っていたにもかかわらず、彼女とは交換日記をしていた。
日記を持ち帰るのは私。朝、学校に行く時に、7時30分に京都・河原町今出川のマクドナルドの前にあった公衆電話ボックスの、電話帳の下に日記ノートを置く。Mちゃんはその交差点を7時45分に通るので、その日記を回収。そして学校にいる時間に返事を書き、また放課後に私にその日記帳を手渡す、というスタイルだった。
なんとも甘酸っぱい記憶で、彼女と別れた後に、その演劇部の部長女史とあった時『広重さんとMちゃんの交換日記はクラブのみんな知っていたのですよ』と言われ、ずいぶん赤面した。
女子高生なんて今も昔も変わらないのかもしれないが、背伸びしたことを口にしながらも、それは相手を試しているだけなのかもしれない。
Mちゃんは大阪でアパートを経営する大家さんの娘だった。彼女が言うには、自分は家にいる時にはパンツ1枚にノーブラ+Tシャツ1枚でいる、そんな時にアパートの住人で若い独身の男が家賃を払いに来た時、そのままの格好でお金を受け取りに行くのだという。その時に男の人が目線のやり場にこまってドギマギしているのを見て笑っているのだ、という話をしてくれたのをよく覚えている。
じゃあ私とも男女の進んだ恋をしたのかというとまるでそんなことはなく、ずいぶんプラトニックな関係だった。せいぜい手をつなぐ程度で、性的な関係がないからこそ信じあえるのだという錯覚のようなものがふたりの間にあったのかもしれない。それにしてはMちゃんからは「今日、私、ノーブラなんですよ」とか、ずいぶんセクシーなネタで何度もからかわれたが。
Mちゃんが教えてくれた漫画に、倉多江美のものがあった。お気に入りの倉多作品は「ジョジョの詩」で、その作品に登場する主人公に私が似ているらしいことから、私のニックネームは「ジョジョ」になった。その後、30年以上もジョジョを名乗ることになるとは、当時は夢にも思っていなかった。
私はプログレッシブロックやフリージャズに傾倒していたから、彼女を連れてロック喫茶やジャズ喫茶によく行った。最初はこちらのペースにあわせてくれていたが、どうもこういった音楽は好きではない模様。よく話を聞くと、カントリーが好きだという。私が持っていた数少ないカントリーロックのアルバムを貸すと、ずいぶん気に入ってくれていた。最終的にMちゃんのフェイバリットになったのはアタウアルパ・ユパンキで、フォルクローレの素晴らしさは私も認めるものの、彼女との趣味の違い、温度差を感じるきっかけとなった。
ユパンキの話から、私が聞いていたロックという音楽がレベルが低いという話に私がカチンときたのかもしれない。もしくは彼女が落ち込んでいる時に、私が発言した不用意な言葉がMちゃんの気持ちを傷つけたのかもしれない。6月からつきあい始めたふたりは、8月にはもう別れていた。3ヶ月たらずの短い恋だった。
1年後、私は大学生となった。その頃に1度だけ、交換日記をしていた電話ボックスの近くで偶然Mちゃんと出会ったことがある。彼女は高校3年生だったと思う。少し大人びた雰囲気になっていたMちゃんは私を見て顔をこわばらせた。
早川義夫の歌「サルビアの花」の『ほほをこわばらせ/僕をチラッと見た』という歌詞を聞くたびに、あの時のMちゃんの表情を思い出す。
彼女とは言葉をかわすこともなく、会釈だけをしてそのまま別れた。Mちゃんとはそれ以来会っていない。
その1年後、Mちゃんが副部長だった時の演劇部部長女史とは、大学の演劇サークルで再会した。「Mちゃんのこと、知ってます?」とニヤニヤして私の顔を見る。何?と聞くと、Mちゃんは大学1年生になった夏、知り合ったサーファーの男の子とつきあって妊娠した、子供を産むといって大学も辞めたのだという。
そうですか、となにげない顔を私はしたと思うが、実際はどんな心境だったのだろう。今となっては思い出せないが、そうかいおめでとう、という気持ちではなかったと思う。
さらに数年後、Mちゃんがサーフショップを開店して旦那と経営しているという話をきいた。たぶん部長女史から聞いたのだろう。彼女はMちゃんとその後も親交があったのかもしれない。
その15年後?いや、17年後かな。90年代。
私が大阪のスタジオで想い出波止場やエンジェリン・ヘヴィ・シロップのレコーディングをしていた頃。小谷さんが経営していた大阪のスタジオにはよく足を運んだ。何度も足を運んだ。何度も。駅からスタジオまでは5分ほど歩く。コンビニに寄って飲み物を買って、さてスタジオへ。
おや、喫茶店の横にサーフショップがありますね。
え。
え。
Mちゃんのことを久しぶりに思い出す。
彼女の住んでいたのは確かこの駅だ。
彼女の家はアパートを経営していたよな。
わりと大型のアパートの棟の一角にそのサーフショップはあるよ。
え。。。
この長いエピソードのエンディングはこのサーフショップの閉店で、終わる。
そのアパートはもちろんMちゃんの実家だったし、サーフショップはたぶんMちゃんとそのご主人のお店だったのだろう。何度も前を通ったが、いつも誰もいないかアルバイト風の女の子がいるだけで、Mちゃんにも、Mちゃんのご主人らしき人にも出会うことはなかった。
でも、なんだか、とても嬉しい気持ちになったことを覚えている。
正直に言えば、1度くらいはMちゃんの顔を見たかったな。今度は顔をこわばらせなかったかもしれないから。
そのサーフショップもやがて閉店し、貸し店舗の札がかかるようになった。
時を同じくして、小谷さんのスタジオも移転し、私もその駅で降りることはなくなった。
その駅にはもう、10年ほど降りていない。
『とびらを開けて出てきた君は/ほほをこわばらせ/僕をチラッと見た...』
2009年05月19日
Said it’s all for the sake of future days.
今日は同門の占い師3名と私を加え、計4名で占いの勉強会。
世間の占い師とか、占い師の組合とか、協会とか学会とかがどうなのかはしりませんが、私どもの断易・大阪組の勉強会は、めちゃくちゃおもしろいです。
秘伝、極意、まじない、供養法、そのほかお互いがトップクラスの占い師ならではの情報交換のオンパレード5時間。ここにはその内容は、もう、ぜんぜん書けません!(笑)
今日の話をまとめただけでも、本は数冊書けますね。
普通の占い師なら一生食っていけるだけの「技」が何本もありました。
というか、街角に立つ普通の占い師は絶対知らない「上級の技」ばかりでしたが。
私もたいへん勉強になりました。
この極意は、鑑定に来られたお客さんの未来のためになるよう、有効に活用します。
昨日アップしました「6月東京鑑定会」のさっそくのお申し込み、ありがとうございます。各日ともまだ空いている枠がありますので、お早めにお申し込みください。
私も関東のお客さんの鑑定を楽しみにしています!
世間の占い師とか、占い師の組合とか、協会とか学会とかがどうなのかはしりませんが、私どもの断易・大阪組の勉強会は、めちゃくちゃおもしろいです。
秘伝、極意、まじない、供養法、そのほかお互いがトップクラスの占い師ならではの情報交換のオンパレード5時間。ここにはその内容は、もう、ぜんぜん書けません!(笑)
今日の話をまとめただけでも、本は数冊書けますね。
普通の占い師なら一生食っていけるだけの「技」が何本もありました。
というか、街角に立つ普通の占い師は絶対知らない「上級の技」ばかりでしたが。
私もたいへん勉強になりました。
この極意は、鑑定に来られたお客さんの未来のためになるよう、有効に活用します。
昨日アップしました「6月東京鑑定会」のさっそくのお申し込み、ありがとうございます。各日ともまだ空いている枠がありますので、お早めにお申し込みください。
私も関東のお客さんの鑑定を楽しみにしています!
2009年05月18日
JOJO広重・第三回東京鑑定会・6月開催のお知らせ
4月、5月とアップリンク・ファクトリー前「TABELA」での占い鑑定会に多数の御参加ありがとうございました。
おかげさまで好評で、次回はいつ東京で開催するのか、続きをお願いしたい、友人を紹介したい、というご要望もいただいております。本当にありがとうございます。
6月は以下の日程で開催します。
ご希望の方はメールにてご予約ください。
<場所>
渋谷・アップリンクファクトリー前・レストランTABELA
地図はこちら↓
アップリンクファクトリー
<日程>
6月18日(木) 14:00-18:00
6月19日(金) 14:00-18:00
6月20日(土) 12:00-14:00、16:00-18:00(14:00-16:00はすでに予約済)
木曜、土曜日は18時以降も鑑定は可能ですが、場所を変更する必要がありますので、18時以降ご希望の場合は別途場所を設定・打ち合わせさせていただきます。
また場所の変更がOKであれば各日とも午前中の鑑定も可能です。
<料金>
30分5000円、1時間10000円。時間内なら何件でも占います。2名1組で来ていただいてもかまいません。3名以上同時は不可能です。ご了解ください。
お名前、生年月日、希望の日程と時間、鑑定時間30分 or 1時間の希望をメールください。
futuredays@mail.goo.ne.jp
例えば鑑定内容がご自身の恋愛運の1件のみなら30分くらいで収まりますが、ご家族の運気や病気など内容が広がりますと30分ではなかなか難しいです。そのあたり内容によってはご相談ください。
ご希望の日程と時間に添うようにしますが、予約が重なった場合、調整をお願いする場合があります。ご了解ください。
直前まで予約が入らなかった時間帯があれば、そこは予約なしで当日受付できるようにします。
そのインフォメーションは6月15日ころにブログに掲載します。
ではご検討よろしくお願いします。
JOJO広重
おかげさまで好評で、次回はいつ東京で開催するのか、続きをお願いしたい、友人を紹介したい、というご要望もいただいております。本当にありがとうございます。
6月は以下の日程で開催します。
ご希望の方はメールにてご予約ください。
<場所>
渋谷・アップリンクファクトリー前・レストランTABELA
地図はこちら↓
アップリンクファクトリー
<日程>
6月18日(木) 14:00-18:00
6月19日(金) 14:00-18:00
6月20日(土) 12:00-14:00、16:00-18:00(14:00-16:00はすでに予約済)
木曜、土曜日は18時以降も鑑定は可能ですが、場所を変更する必要がありますので、18時以降ご希望の場合は別途場所を設定・打ち合わせさせていただきます。
また場所の変更がOKであれば各日とも午前中の鑑定も可能です。
<料金>
30分5000円、1時間10000円。時間内なら何件でも占います。2名1組で来ていただいてもかまいません。3名以上同時は不可能です。ご了解ください。
お名前、生年月日、希望の日程と時間、鑑定時間30分 or 1時間の希望をメールください。
futuredays@mail.goo.ne.jp
例えば鑑定内容がご自身の恋愛運の1件のみなら30分くらいで収まりますが、ご家族の運気や病気など内容が広がりますと30分ではなかなか難しいです。そのあたり内容によってはご相談ください。
ご希望の日程と時間に添うようにしますが、予約が重なった場合、調整をお願いする場合があります。ご了解ください。
直前まで予約が入らなかった時間帯があれば、そこは予約なしで当日受付できるようにします。
そのインフォメーションは6月15日ころにブログに掲載します。
ではご検討よろしくお願いします。
JOJO広重
2009年05月17日
気になっていました
今日の高円寺ショウボートのライブ、どうだったんだろうと一日中気になっておりました。
すると、さっそくブログにUPしておられるお方が。
ひろしげさんちの四姉妹
おお、こういう出演順、こういうセットリストだったのですね。
ありがとう!
しかし「ひろしげさんちの四姉妹」とは、言い得て妙ですなあ。(笑)
すると、さっそくブログにUPしておられるお方が。
ひろしげさんちの四姉妹
おお、こういう出演順、こういうセットリストだったのですね。
ありがとう!
しかし「ひろしげさんちの四姉妹」とは、言い得て妙ですなあ。(笑)
2009年05月16日
壁の向こう側
今日は大阪ベアーズで「ノイズ・メーデー」という、毎年恒例のノイズバンドばかりを集めたライブ企画にJOJO広重+BusRatchで出演。
BusRatchとは非常階段とのスプリットCDを出したあたりからのつきあいで、特にメンバーのモウリカツラさんには何度も京都でのライブ企画にさそっていただいた縁もあり、いつかセッションしたいですねという話はしていたので、ようやく実現。
出演前、楽屋にモウリさんと私だけがいて、なにげない話をしている間にモウリさんから『広重さんは"壁"につきあたったことはないんですか?』と訊かれる。
例えば、非常階段は30年やってきたけれども、何度もやめようと思ったことはありますよ、という話は、モウリさんも私のトークイベントかなにかで聞いたことがあった様子。では具体的には1983年は非常階段としてのライブは1本もなく、唯一、スターリンとの合体バンド「スター階段」のライブがあったのみ。
その後ライブ活動がまた復活していったことを話すと『それはどういうきっかけで?』という質問。それは友人やバンド仲間にさそわれたからだ、という答えを私はしていた。
そう、非常階段を半ば完全にやめたような気持ちでいたのに、またバンドを再開したり、ノイズを追求したり、ライブをしたり、レコードを出したりするようになったのは「やっぱり音楽が本当に好きだったから」なんていうかっこいいものではなく、「友達にさそわれたから」なんていう、なんでもないことがきっかけだったりする。
スター階段はそういう意味でも、なにかのきっかけ、再スタート、なにかの始まったライブだったと思う。この企画でスターリンには乾ジュンが戻って活動が再開したりしたし、私は林くんやしのやんやランコさんに再会して音楽シーンに戻ることになった。観客にはRAPESの新谷やOUTOのカツミやミッチュンやSOBのTOTTUANがいたはずだ。彼らがこのスター階段のライブでなにかを感じ、その後のバンドに影響を与えたことは間違いないはずだ。
"壁"というものは誰にだって必ずある。壁につきあたる時期というのも、必ずある。もうやめだ、もう終わった、解散だ、お別れだ。そう思うのは、実は別にかまわないことなのだ。
しかし、壁の向こう側というものも、必ずある。その壁を乗り越えるのか、壊すのか、横からスルリとぬけていくのかはわからないが、それは自分ひとりでというよりは、誰かの言葉や行為やなんでもないことがきっかけだったりするものなのではないかな。
例えば1本のライブ、歌の歌詞の一小節、なんでもない小説の1ページ、すてきな映画、友人がなにかにさそってくれたこと、占い師の一言、やってきたメールの中の言葉、誰かの背中、ひとつの風景、ちょっとした旅。そんなものが、壁の向こう側をかいま見せることがある。
今日のライブは私にとっては何百と演奏してきたライブの1本だけれども、誰かにとってのなにか壁をこえる特別なライブになっているかもしれない。例えばいつもはクールにターンテーブルでノイズをコラージュするモウリカツラさんが、テーブルの上に飛び乗ってハイヒールのカカトでレコードをまわしながらマイクで絶叫する姿は、誰もが初めて見る光景だったろう。私が手にしたブロックは、いったい誰の内側のなにを叩き壊したのか、それは私にはわからない。
おもしろいライブでしたね。またやりましょう。出演者のみなさん、雨の中わざわざ見に来てくれたみなさん、ありがとうね。
BusRatchとは非常階段とのスプリットCDを出したあたりからのつきあいで、特にメンバーのモウリカツラさんには何度も京都でのライブ企画にさそっていただいた縁もあり、いつかセッションしたいですねという話はしていたので、ようやく実現。
出演前、楽屋にモウリさんと私だけがいて、なにげない話をしている間にモウリさんから『広重さんは"壁"につきあたったことはないんですか?』と訊かれる。
例えば、非常階段は30年やってきたけれども、何度もやめようと思ったことはありますよ、という話は、モウリさんも私のトークイベントかなにかで聞いたことがあった様子。では具体的には1983年は非常階段としてのライブは1本もなく、唯一、スターリンとの合体バンド「スター階段」のライブがあったのみ。
その後ライブ活動がまた復活していったことを話すと『それはどういうきっかけで?』という質問。それは友人やバンド仲間にさそわれたからだ、という答えを私はしていた。
そう、非常階段を半ば完全にやめたような気持ちでいたのに、またバンドを再開したり、ノイズを追求したり、ライブをしたり、レコードを出したりするようになったのは「やっぱり音楽が本当に好きだったから」なんていうかっこいいものではなく、「友達にさそわれたから」なんていう、なんでもないことがきっかけだったりする。
スター階段はそういう意味でも、なにかのきっかけ、再スタート、なにかの始まったライブだったと思う。この企画でスターリンには乾ジュンが戻って活動が再開したりしたし、私は林くんやしのやんやランコさんに再会して音楽シーンに戻ることになった。観客にはRAPESの新谷やOUTOのカツミやミッチュンやSOBのTOTTUANがいたはずだ。彼らがこのスター階段のライブでなにかを感じ、その後のバンドに影響を与えたことは間違いないはずだ。
"壁"というものは誰にだって必ずある。壁につきあたる時期というのも、必ずある。もうやめだ、もう終わった、解散だ、お別れだ。そう思うのは、実は別にかまわないことなのだ。
しかし、壁の向こう側というものも、必ずある。その壁を乗り越えるのか、壊すのか、横からスルリとぬけていくのかはわからないが、それは自分ひとりでというよりは、誰かの言葉や行為やなんでもないことがきっかけだったりするものなのではないかな。
例えば1本のライブ、歌の歌詞の一小節、なんでもない小説の1ページ、すてきな映画、友人がなにかにさそってくれたこと、占い師の一言、やってきたメールの中の言葉、誰かの背中、ひとつの風景、ちょっとした旅。そんなものが、壁の向こう側をかいま見せることがある。
今日のライブは私にとっては何百と演奏してきたライブの1本だけれども、誰かにとってのなにか壁をこえる特別なライブになっているかもしれない。例えばいつもはクールにターンテーブルでノイズをコラージュするモウリカツラさんが、テーブルの上に飛び乗ってハイヒールのカカトでレコードをまわしながらマイクで絶叫する姿は、誰もが初めて見る光景だったろう。私が手にしたブロックは、いったい誰の内側のなにを叩き壊したのか、それは私にはわからない。
おもしろいライブでしたね。またやりましょう。出演者のみなさん、雨の中わざわざ見に来てくれたみなさん、ありがとうね。
2009年05月15日
歌だけがのこる
今日は埋火/見汐さんのソロ・ライブだったんですね。
●5月15日(金) @古本酒場コクテイル(高円寺)/見汐麻衣投げ銭LIVE
どんなだったんだろ!
で、明日からは埋火3連チャンライブ。
●5月16日(土)@池袋鈴ん小屋
●5月17日(日)@高円寺Showboat
●5月18日(月)@高円寺UFOCLUB
じゃあ、見汐さん、4日連続ライブですか!
タフですねー!
5月17日(日)高円寺ショウボートは
中山双葉
とうめいロボ
埋火
という組み合わせですので、関東のみなさん、よろしくお願いします。
新潟の方も、ぜひ遠出して見に来てあげてね!
とうめいロボはHPでスケジュール欄更新していましたね。
とうめいロボ schedule
なかでも注目は
◆2009.06.07(日)下北沢lete
とうめいロボワンマンライブ
「鉄のキリンと森の1羽」
Open 19:00 / Start 20:00
Charge 予約 \2,000 + drink / 当日 \2,300 + drink
※限定20名。ご予約は http://www.l-ete.jp/ まで。
おお、ついに東京でもワンマンですかー。
がんばってますね!
アルケミーレコードHPでもコラムでとうめいロボ取り上げました。
こころの歌・最後の歌
中山双葉ちゃんもドイツでのライブ、好評だった模様。さすがです。
中山双葉日記
みんながんばってるなあ。
広重さんも、がんばらなきゃね!
●5月15日(金) @古本酒場コクテイル(高円寺)/見汐麻衣投げ銭LIVE
どんなだったんだろ!
で、明日からは埋火3連チャンライブ。
●5月16日(土)@池袋鈴ん小屋
●5月17日(日)@高円寺Showboat
●5月18日(月)@高円寺UFOCLUB
じゃあ、見汐さん、4日連続ライブですか!
タフですねー!
5月17日(日)高円寺ショウボートは
中山双葉
とうめいロボ
埋火
という組み合わせですので、関東のみなさん、よろしくお願いします。
新潟の方も、ぜひ遠出して見に来てあげてね!
とうめいロボはHPでスケジュール欄更新していましたね。
とうめいロボ schedule
なかでも注目は
◆2009.06.07(日)下北沢lete
とうめいロボワンマンライブ
「鉄のキリンと森の1羽」
Open 19:00 / Start 20:00
Charge 予約 \2,000 + drink / 当日 \2,300 + drink
※限定20名。ご予約は http://www.l-ete.jp/ まで。
おお、ついに東京でもワンマンですかー。
がんばってますね!
アルケミーレコードHPでもコラムでとうめいロボ取り上げました。
こころの歌・最後の歌
中山双葉ちゃんもドイツでのライブ、好評だった模様。さすがです。
中山双葉日記
みんながんばってるなあ。
広重さんも、がんばらなきゃね!
2009年05月13日
とうめいロボ / 埋火 / 中山双葉 ライブ at 東京
次の日曜日です。
「とうめいロボ / 埋火 / 中山双葉 ライブ at 東京」
開催日:2009年5月17日(日)
open / start:18:00 / 19:00
at:高円寺 ShowBoat
出演:とうめいロボ / 埋火 / 中山双葉
チケット:¥2,500 / 前売 ¥2,800 / 当日
お問合せ先:Tel 03-3337-5745 / 高円寺ShowBoat
アルケミーがおすすめ、すべてP−ヴァインからセカンドアルバムをリリースしたとう同じシチュエーションの20代女性シンガー3組が一気に見れる&聞ける好企画!
関東在住の方で私のブログを読んでおられる方ならぜひ来場してくださいね。
私は...行けません。なので会場で占いもできませんが。(笑)
で、私のファンは土曜日に大阪でお会いしましょう!
「NOISE MAYDAY 09」
開催日:5月16日(土)
会場:難波BEARS
出演;
・MASONNA
・JOJO広重 with BUS RATCH
・CROSSBRED feat. TAKAYAMA
・SOLMANIA
チケット:前売り¥2000・当日¥2500
開場:6時30分OPEN・7時START
6月の占い東京鑑定会は、6月中旬を予定しています。数日以内に予定UPしますね。たぶん渋谷アップリンクファクトリー・TABELAです。
こちらもよろしくお願いします。
非常階段30周年記念30枚組CDボックス、続々予約いただき、ありがとうございます。
高い!と二の足をふんでおられる方もいらっしゃると思いますが、どうぞためらわずに。
まだまだ予約受付中です。よろしくお願いします。
非常階段結成30周年記念CD 30枚組 BOX 『THE NOISE』 先行予約
「とうめいロボ / 埋火 / 中山双葉 ライブ at 東京」
開催日:2009年5月17日(日)
open / start:18:00 / 19:00
at:高円寺 ShowBoat
出演:とうめいロボ / 埋火 / 中山双葉
チケット:¥2,500 / 前売 ¥2,800 / 当日
お問合せ先:Tel 03-3337-5745 / 高円寺ShowBoat
アルケミーがおすすめ、すべてP−ヴァインからセカンドアルバムをリリースしたとう同じシチュエーションの20代女性シンガー3組が一気に見れる&聞ける好企画!
関東在住の方で私のブログを読んでおられる方ならぜひ来場してくださいね。
私は...行けません。なので会場で占いもできませんが。(笑)
で、私のファンは土曜日に大阪でお会いしましょう!
「NOISE MAYDAY 09」
開催日:5月16日(土)
会場:難波BEARS
出演;
・MASONNA
・JOJO広重 with BUS RATCH
・CROSSBRED feat. TAKAYAMA
・SOLMANIA
チケット:前売り¥2000・当日¥2500
開場:6時30分OPEN・7時START
6月の占い東京鑑定会は、6月中旬を予定しています。数日以内に予定UPしますね。たぶん渋谷アップリンクファクトリー・TABELAです。
こちらもよろしくお願いします。
非常階段30周年記念30枚組CDボックス、続々予約いただき、ありがとうございます。
高い!と二の足をふんでおられる方もいらっしゃると思いますが、どうぞためらわずに。
まだまだ予約受付中です。よろしくお願いします。
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