2008年03月
2008年03月21日
廃墟の隙間から
BalzacのHIROSUKEくんが店に寄ってくれた。

彼と会って話すのはもう10年以上ぶりだろうか。
アルケミーから彼らの1stアルバムをダンスマカブラのチェリーのプロデュースでリリースしたのが1995年。もう13年前だ。
今日は彼は18周年を迎えるBalzacのCDやDVD、コンプリートブックなどを持ってきてくれた。律儀にアルケミーからの音源使用許可の件で電話をくれたのが数ヶ月前で、それがあがったので持参してくれたのだ。
自分たちの音源はもちろん、キャラグッズなどのマーチャンダイジングも自分たちで見事に管理し、お店やデザイン事務所も運営しているHIROSUKEくんは本当に偉い。
きっと彼らは残っていくバンドとなるだろう。
彼はまだ30代だという。なんという若さだ。
コンプリートブックはオールカラーで、見事なバンドヒストリック本とディスコグラフィー、グッズ総カタログになっている。バージョン違いなどの小さな差異にこだわっているところもマニアックで今風である。
彼らのこだわりは、言い換えれば自分たちそのものへのこだわりでもある。
このご時世、「まあいいや」と流されずに生きるのはきつい。彼らのモチベーションの高さとその継続には学ぶところがたくさんある。
HIROSUKEくんとチェリーや岡野くんの話、RAPESの新谷や大坪の話なども。
またライブハウスで、みんなと会いたいな。
Balzacの海外での評価の話もきいて、いろいろな日本のバンドが海外で歓迎され、日本以上にライブの動員や評価を受けている話もした。
例えば灰野さんや、アシッドマザー、LSDマーチなどは日本より海外で圧倒的に評価が高い。それで良い部分もどうかと思う部分もあるけれど、例えば欧州のプログレバンドが地元では人気がないのに、日本に来て10000円を超えるような入場料でホールを満員にしている様子と似ているのかもしれない。
海外にはいろいろな日本の音楽マニアがいて、オーストラリアにもアルケミーの全タイトルを持っているというアルケミーマニアがいるが、彼がアルケミー関連で一番好きなのがマニッシュトーンだと言う。どうしてマニッシュトーンのフルアルバムがないのかとか、コウヘイはマニッシュトーンのあとアウシュビッツに参加しているが今はどうしているとか、言う。なんでオーストラリア人がそんなことを気にしているのだ。
ついついマニッシュトーンの「廃墟の隙間から」を久しぶりに聞いてしまった。
メンバーは今はどうしているのだろう。

彼と会って話すのはもう10年以上ぶりだろうか。
アルケミーから彼らの1stアルバムをダンスマカブラのチェリーのプロデュースでリリースしたのが1995年。もう13年前だ。
今日は彼は18周年を迎えるBalzacのCDやDVD、コンプリートブックなどを持ってきてくれた。律儀にアルケミーからの音源使用許可の件で電話をくれたのが数ヶ月前で、それがあがったので持参してくれたのだ。
自分たちの音源はもちろん、キャラグッズなどのマーチャンダイジングも自分たちで見事に管理し、お店やデザイン事務所も運営しているHIROSUKEくんは本当に偉い。
きっと彼らは残っていくバンドとなるだろう。
彼はまだ30代だという。なんという若さだ。
コンプリートブックはオールカラーで、見事なバンドヒストリック本とディスコグラフィー、グッズ総カタログになっている。バージョン違いなどの小さな差異にこだわっているところもマニアックで今風である。
彼らのこだわりは、言い換えれば自分たちそのものへのこだわりでもある。
このご時世、「まあいいや」と流されずに生きるのはきつい。彼らのモチベーションの高さとその継続には学ぶところがたくさんある。
HIROSUKEくんとチェリーや岡野くんの話、RAPESの新谷や大坪の話なども。
またライブハウスで、みんなと会いたいな。
Balzacの海外での評価の話もきいて、いろいろな日本のバンドが海外で歓迎され、日本以上にライブの動員や評価を受けている話もした。
例えば灰野さんや、アシッドマザー、LSDマーチなどは日本より海外で圧倒的に評価が高い。それで良い部分もどうかと思う部分もあるけれど、例えば欧州のプログレバンドが地元では人気がないのに、日本に来て10000円を超えるような入場料でホールを満員にしている様子と似ているのかもしれない。
海外にはいろいろな日本の音楽マニアがいて、オーストラリアにもアルケミーの全タイトルを持っているというアルケミーマニアがいるが、彼がアルケミー関連で一番好きなのがマニッシュトーンだと言う。どうしてマニッシュトーンのフルアルバムがないのかとか、コウヘイはマニッシュトーンのあとアウシュビッツに参加しているが今はどうしているとか、言う。なんでオーストラリア人がそんなことを気にしているのだ。
ついついマニッシュトーンの「廃墟の隙間から」を久しぶりに聞いてしまった。
メンバーは今はどうしているのだろう。
2008年03月20日
フル・サークルから阿部怪異まで
ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズの「フル・サークル」をニジェール帰りのTくんからもらって、日がな聞いていた。
うーん、このボーカル、キャラヴァンですね、などと思っているのは私だけ?かもしれないが、「夜ごと太る女のために」を聞きたくなってしまう。
でも、これ、いいアルバムですね。
「フル・サークル」は1972年発表のザ・ドアーズのラストアルバムのタイトルでもあって、林くんがこのアルバム、好きでした。私も西日本ドリーム産業のセールとか、カット盤をDUNで買った気がします。

ジム・モリソン死後の2枚のアルバム「アザー・ヴォイセズ」「フル・サークル」はなぜか英米日本ではCD化されておらず、ロシア盤のみでリリースされている程度。ぜひアルカンジェロで紙ジャケCD化されたらいかがでしょう。売れないかな。
Tくんの話だと、ブライアン・イーノが70年代にやっていたレーベル「オブスキュア」も全タイトルはCD化されていないようで、これもアルカンジェロに全作品紙ジャケットでCD化&BOX仕様して欲しい。
Tくんは、画家のトム・フィリップスが描いたインプロヴィゼーション・オペラ「IRMA」(オブスキュア9番)も持ってきてくれたが、これも懐かしかった。当時LPで聞いたが、こんなだったんだなあ。確かAMMが再演したバージョンも1980年代にあったはずで、残念ながらそれももう手元には無い。
もうこうなったらディスクユニオンには70年代の雑誌「ロックマガジン」や「ロッキンボールズ」も、吉祥寺マイナーの「アマルガム」や、「JAM」や「HEAVEN」も全部復刻してもらって、なんでもかんでもどんどん出してください。
そういえばピナコテカも全作品はCD化されていない。DEWあたりでどうですか、Kさん。まずは「阿部怪異」あたりから、どうでしょう。
うーん、このボーカル、キャラヴァンですね、などと思っているのは私だけ?かもしれないが、「夜ごと太る女のために」を聞きたくなってしまう。
でも、これ、いいアルバムですね。
「フル・サークル」は1972年発表のザ・ドアーズのラストアルバムのタイトルでもあって、林くんがこのアルバム、好きでした。私も西日本ドリーム産業のセールとか、カット盤をDUNで買った気がします。

ジム・モリソン死後の2枚のアルバム「アザー・ヴォイセズ」「フル・サークル」はなぜか英米日本ではCD化されておらず、ロシア盤のみでリリースされている程度。ぜひアルカンジェロで紙ジャケCD化されたらいかがでしょう。売れないかな。
Tくんの話だと、ブライアン・イーノが70年代にやっていたレーベル「オブスキュア」も全タイトルはCD化されていないようで、これもアルカンジェロに全作品紙ジャケットでCD化&BOX仕様して欲しい。
Tくんは、画家のトム・フィリップスが描いたインプロヴィゼーション・オペラ「IRMA」(オブスキュア9番)も持ってきてくれたが、これも懐かしかった。当時LPで聞いたが、こんなだったんだなあ。確かAMMが再演したバージョンも1980年代にあったはずで、残念ながらそれももう手元には無い。
もうこうなったらディスクユニオンには70年代の雑誌「ロックマガジン」や「ロッキンボールズ」も、吉祥寺マイナーの「アマルガム」や、「JAM」や「HEAVEN」も全部復刻してもらって、なんでもかんでもどんどん出してください。
そういえばピナコテカも全作品はCD化されていない。DEWあたりでどうですか、Kさん。まずは「阿部怪異」あたりから、どうでしょう。
2008年03月19日
おなかへりました
昨夜は京都の「花灯籠」に連れていかれた。
http://www.kyoto-okoshiyasu.com/see/hanatoro08/index.html
2003年からこんな催しが行われているらしい。夜の大谷祖廟に続く石畳と灯籠が美しかった。23日までやっているらしいので、京都観光に行かれる方は良いかも。でも観光客でごった返しているので、あまり風情はありませんが。
京都には意外なおいしいお店がたくさんあります。
<うなぎ>
京都は夏のハモ料理が有名ですが、嵐山のあるうなぎのお店「廣川」のうなぎは格別においしい。
http://www.unagi-hirokawa.jp/
というか、ここ以上においしいうなぎ屋さんを私は知りません。
食べたら迷わずお向かいの「老松・嵐山店」へ。
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_oimatu-arashiyama
夏の間だけ販売している「夏柑糖」は最高です。
<お好み焼き>
お好み焼きは大阪、と思われがちですが、京都のほうがおいしいと思います。
お腹イッパイに食べたいなら等持院にある「ジャンボ」がお薦め。
http://www.onozomi.com/univ_gourmet/topic01_r_janbo.html
というか、ここ以上に大きなお好み焼きを私は知りません。そしておいしくて、安くて、おにいちゃんもおばちゃんも楽しくて、最高です。赤痢のみゆちゃんやニヒリストスパズムバンドも連れて行ったことあります。
もっと上品にお好み焼き食べたい、という方ならここかな。
http://www.digistyle-kyoto.com/gourmet/eat/kitasan/senzai.html
元芸妓さんがしているお店で、知る人ぞ知るお店。味も雰囲気も最高です。
あまり人には教えたくないお店だったりしますが、たぶんここを読んでるくらいではたどり着けない場所にあるので大丈夫でしょう。
<おつけもの>
なんでJOJO広重のblog読んで京つけものの話を見ているのかわからなくなっておられると思いますが(笑)ここのおつけものは最高です。
http://www.kyoto-kitano.com/
というか、ここ以上においしいつけものを私は知りません。FAX注文でおとりよせもできるみたいなので、つけもの好きの方はだまされたと思って頼んでみてください。
世界一おいしいと思います。ここもあまり人には教えたくないお店だったりしますが、たぶんここを読んでるくらいではたどり着けない場所にあるので大丈夫でしょう。
<コロッケ>
この「京つけもの・北野」の10メートルくらい北にあるコロッケ屋さん「やまだ」も最高です。
http://www.yamada-fri.jp/
というか、ここ以上においしいコロッケを私は知りません。(こればっかり)
ここも冷凍のものをお取り寄せできますので、ぜひみなさんのご家庭で揚げてみてください。
以上、京都おいしいもの情報でした。
(今夜はおなかがへっているのでこんな内容になりました)
http://www.kyoto-okoshiyasu.com/see/hanatoro08/index.html
2003年からこんな催しが行われているらしい。夜の大谷祖廟に続く石畳と灯籠が美しかった。23日までやっているらしいので、京都観光に行かれる方は良いかも。でも観光客でごった返しているので、あまり風情はありませんが。
京都には意外なおいしいお店がたくさんあります。
<うなぎ>
京都は夏のハモ料理が有名ですが、嵐山のあるうなぎのお店「廣川」のうなぎは格別においしい。
http://www.unagi-hirokawa.jp/
というか、ここ以上においしいうなぎ屋さんを私は知りません。
食べたら迷わずお向かいの「老松・嵐山店」へ。
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_oimatu-arashiyama
夏の間だけ販売している「夏柑糖」は最高です。
<お好み焼き>
お好み焼きは大阪、と思われがちですが、京都のほうがおいしいと思います。
お腹イッパイに食べたいなら等持院にある「ジャンボ」がお薦め。
http://www.onozomi.com/univ_gourmet/topic01_r_janbo.html
というか、ここ以上に大きなお好み焼きを私は知りません。そしておいしくて、安くて、おにいちゃんもおばちゃんも楽しくて、最高です。赤痢のみゆちゃんやニヒリストスパズムバンドも連れて行ったことあります。
もっと上品にお好み焼き食べたい、という方ならここかな。
http://www.digistyle-kyoto.com/gourmet/eat/kitasan/senzai.html
元芸妓さんがしているお店で、知る人ぞ知るお店。味も雰囲気も最高です。
あまり人には教えたくないお店だったりしますが、たぶんここを読んでるくらいではたどり着けない場所にあるので大丈夫でしょう。
<おつけもの>
なんでJOJO広重のblog読んで京つけものの話を見ているのかわからなくなっておられると思いますが(笑)ここのおつけものは最高です。
http://www.kyoto-kitano.com/
というか、ここ以上においしいつけものを私は知りません。FAX注文でおとりよせもできるみたいなので、つけもの好きの方はだまされたと思って頼んでみてください。
世界一おいしいと思います。ここもあまり人には教えたくないお店だったりしますが、たぶんここを読んでるくらいではたどり着けない場所にあるので大丈夫でしょう。
<コロッケ>
この「京つけもの・北野」の10メートルくらい北にあるコロッケ屋さん「やまだ」も最高です。
http://www.yamada-fri.jp/
というか、ここ以上においしいコロッケを私は知りません。(こればっかり)
ここも冷凍のものをお取り寄せできますので、ぜひみなさんのご家庭で揚げてみてください。
以上、京都おいしいもの情報でした。
(今夜はおなかがへっているのでこんな内容になりました)
2008年03月18日
ギンガ9年前
山本精一くんの新作「ゆん」を少し読む。

山本精一くんが新しく本を出すと聞いた時、私は勝手に新作は小説だと思っていたが、前作「ギンガ」の延長のようなエッセイ集だったことに少し驚いた。
ただ、「ギンガ」より文章はうまくなっているし、内容はあいかわらず、おもしろい。時代は「ギンガ」発表の1999年より格段に山本精一くんに追いついてきているので(それでも彼はまだずいぶん先を行っているが)、今回のこの本で彼はなにか賞をとるかもしれない。
もっと自分勝手に驚いているのは、「ギンガ」の発売が1999年だったことである。確かAMSが1999年のゴールデンウイークあたりが開店で、この本も山本くんにサインをしてもらって、よく売れた。本はCDと流通が違うため最初は仕入れに苦労したが、翌2000年には京都にABS(アルケミーブックストア)を開店し、そこ経由で「ギンガ」も楽に仕入れできるようになったが、ほどなく絶版になり、ABSも2003年に閉店した。
「ギンガ」発売やAMS開店がもう9年も前、というのに、時代のことよりも自分の気持ちの変化に驚いている。AMSやABSを開店した時は、こんな音楽やこんな本をお店に並べて、まだそういったものを知らない人たちに届けたい、伝えたいという気持ちが強かった。ABSはこの店を軸にして、仕入れの難しい本の流通の流れを変えるべくして、やがて児童書の専門店もひらきたいと思っていた。結局いろいろな要因からABS自体が経営が立ちゆかなくなり、そんな甘っちょろい夢も今はもうない。伝えたいという気持ちはまだあるけれど、届けたいという思いはもうインターネットで解決してしまった気がしている。
音楽や本というものは、大きな世界でもあるけれど、小さな世界でもある。インターネット、特にヤフオクとebay、クレジットカード決済が流通を大きくかえて、小売店舗での販売というスタイルと、CDというメディアのスタイルが急激に崩壊してしまったのは、音楽の小さな世界のせいでもある。音楽など、コピーしてしまえばすむものでしかないということ、つまりはwaveデータでしかないという卑小さにつきる。
音楽はなにかをしながら聞くということができるが、本は読まなくては脳に入らないし、映画はその時間見なくてはならない。
ただ、これももっと変わるかもしれない。
もう15年くらい前だったか、機動戦士ガンダムの全話をビデオの早送りにして再生してダビングし、VHSテープ1本に収録して、それを視聴していれば十分だという若者に出会った時はずいぶん驚いた。
でも今は映像はYouTubeやニコニコ動画で無料で見れるもので十分だ、という若者が多いはずで、そのガンダム全話を早送りで視聴していたヤツはずいぶん時代を先取りしていたのだなと感心する。
きっと映画も本もデータになり、クリック&ドロップで脳内に入る時代がくるのだろう。セックスも恋愛もクリック&ドロップで脳内に入れ、いやなことや忘れたいことはゴミ箱にクリック&ドロップで消去できるようになるのかもしれない。
こんなことを思うと、死にたくなるね。
さて「ゆん」の続きを読もう。

山本精一くんが新しく本を出すと聞いた時、私は勝手に新作は小説だと思っていたが、前作「ギンガ」の延長のようなエッセイ集だったことに少し驚いた。
ただ、「ギンガ」より文章はうまくなっているし、内容はあいかわらず、おもしろい。時代は「ギンガ」発表の1999年より格段に山本精一くんに追いついてきているので(それでも彼はまだずいぶん先を行っているが)、今回のこの本で彼はなにか賞をとるかもしれない。
もっと自分勝手に驚いているのは、「ギンガ」の発売が1999年だったことである。確かAMSが1999年のゴールデンウイークあたりが開店で、この本も山本くんにサインをしてもらって、よく売れた。本はCDと流通が違うため最初は仕入れに苦労したが、翌2000年には京都にABS(アルケミーブックストア)を開店し、そこ経由で「ギンガ」も楽に仕入れできるようになったが、ほどなく絶版になり、ABSも2003年に閉店した。
「ギンガ」発売やAMS開店がもう9年も前、というのに、時代のことよりも自分の気持ちの変化に驚いている。AMSやABSを開店した時は、こんな音楽やこんな本をお店に並べて、まだそういったものを知らない人たちに届けたい、伝えたいという気持ちが強かった。ABSはこの店を軸にして、仕入れの難しい本の流通の流れを変えるべくして、やがて児童書の専門店もひらきたいと思っていた。結局いろいろな要因からABS自体が経営が立ちゆかなくなり、そんな甘っちょろい夢も今はもうない。伝えたいという気持ちはまだあるけれど、届けたいという思いはもうインターネットで解決してしまった気がしている。
音楽や本というものは、大きな世界でもあるけれど、小さな世界でもある。インターネット、特にヤフオクとebay、クレジットカード決済が流通を大きくかえて、小売店舗での販売というスタイルと、CDというメディアのスタイルが急激に崩壊してしまったのは、音楽の小さな世界のせいでもある。音楽など、コピーしてしまえばすむものでしかないということ、つまりはwaveデータでしかないという卑小さにつきる。
音楽はなにかをしながら聞くということができるが、本は読まなくては脳に入らないし、映画はその時間見なくてはならない。
ただ、これももっと変わるかもしれない。
もう15年くらい前だったか、機動戦士ガンダムの全話をビデオの早送りにして再生してダビングし、VHSテープ1本に収録して、それを視聴していれば十分だという若者に出会った時はずいぶん驚いた。
でも今は映像はYouTubeやニコニコ動画で無料で見れるもので十分だ、という若者が多いはずで、そのガンダム全話を早送りで視聴していたヤツはずいぶん時代を先取りしていたのだなと感心する。
きっと映画も本もデータになり、クリック&ドロップで脳内に入る時代がくるのだろう。セックスも恋愛もクリック&ドロップで脳内に入れ、いやなことや忘れたいことはゴミ箱にクリック&ドロップで消去できるようになるのかもしれない。
こんなことを思うと、死にたくなるね。
さて「ゆん」の続きを読もう。
2008年03月17日
ツァラトゥストラはかく語りき
「もはや自分自身すら軽蔑することができなくなる、もっとも軽蔑すべき人間の時代がくるのだ」(ニーチェ)
小西さんの文化ジャーナルの文章を読んで、この言葉を昔読んだことを思い出し、そして今日という1日で何度もこの言葉を現実のものとして、見る。
「みんな死んでしまえばいいのに」
そう思うこと。
「生きている価値なし」
そう思うこと。
「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」
(新美南吉)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/637_13341.html
「創世ホール通信/文化ジャーナル」3月号
小西さんの文化ジャーナルの文章を読んで、この言葉を昔読んだことを思い出し、そして今日という1日で何度もこの言葉を現実のものとして、見る。
「みんな死んでしまえばいいのに」
そう思うこと。
「生きている価値なし」
そう思うこと。
「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」
(新美南吉)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/637_13341.html
「創世ホール通信/文化ジャーナル」3月号
2008年03月16日
友人と夕食
毎日おもしろいことはたくさんあって、全部はここにはかけない。
例えば昨夜は大阪駅中央郵便局前24時発の深夜バスに乗車して広島まで行き、早朝をネットカフェで過ごし、昼間はカードのイベントをこなして、夜には大阪心斎橋に帰って、今アフリカのニジェールより一時帰国しているTくんとS本さんと食事。
この深夜バスだけとってもblog1本は書けるし、カードのイベントに登場した中学生3人組だけでも十分おもしろい話は書けるが、今日はTくんとS本さんとの夕食会がやはりトピックスだと思う。
以前バート・バカラックのことをこのblogに書いたが、反応してくれたのは岐阜のtさんとニジェールのTくんだけで、でもTくんはバカラックが音楽を担当した映画「失われた地平線」が大好きでサントラも持っているが、この映画はなぜかDVD化されていないのでなかなか見れない、という話だった。
で、私がebayでブートレッグのDVDが出ている話をすると、ブートでもいいので買いたいとのことで、私が代行して入手しておいたのを今日渡すことができた。

お礼にと、Tくんはこの「失われた地平線」の、1973年に発売された国内盤サウンドトラックLPをプレゼントしてくれた。これがくりぬきジャケットでライナー付き、コンディションもよく、なかなか嬉しい。
TくんとS本さんとはおもしろい話をたくさんしたが、ここに書けないことが大半だ。
私は長生きして、みなさんが亡くなったあと、あいつはあんなだった、こんなこと言ってた&してた、こう思われているだろうけれどこうだった、ということを全部書いて後世に残します。それが嫌な方は私より長生きしてください。(笑)
今日話した中では、死ぬ時に何を思って死ぬのだろう、こんなこと思いながら死ぬのはいやだな、なんて話をしていたが、S本さんが老後にぼけて、ひとりごとをブツブツ言っている老人になって、その話している内容がほぶらきん/ゴースンの一生を完全に記憶していて、全編とおして話しているというのはどうか、と言うくだりがおもしろかったが、実際にそうなったら、やっぱりイヤですかね。(笑)
赤貝赤貝、死んだら赤貝!
例えば昨夜は大阪駅中央郵便局前24時発の深夜バスに乗車して広島まで行き、早朝をネットカフェで過ごし、昼間はカードのイベントをこなして、夜には大阪心斎橋に帰って、今アフリカのニジェールより一時帰国しているTくんとS本さんと食事。
この深夜バスだけとってもblog1本は書けるし、カードのイベントに登場した中学生3人組だけでも十分おもしろい話は書けるが、今日はTくんとS本さんとの夕食会がやはりトピックスだと思う。
以前バート・バカラックのことをこのblogに書いたが、反応してくれたのは岐阜のtさんとニジェールのTくんだけで、でもTくんはバカラックが音楽を担当した映画「失われた地平線」が大好きでサントラも持っているが、この映画はなぜかDVD化されていないのでなかなか見れない、という話だった。
で、私がebayでブートレッグのDVDが出ている話をすると、ブートでもいいので買いたいとのことで、私が代行して入手しておいたのを今日渡すことができた。

お礼にと、Tくんはこの「失われた地平線」の、1973年に発売された国内盤サウンドトラックLPをプレゼントしてくれた。これがくりぬきジャケットでライナー付き、コンディションもよく、なかなか嬉しい。
TくんとS本さんとはおもしろい話をたくさんしたが、ここに書けないことが大半だ。
私は長生きして、みなさんが亡くなったあと、あいつはあんなだった、こんなこと言ってた&してた、こう思われているだろうけれどこうだった、ということを全部書いて後世に残します。それが嫌な方は私より長生きしてください。(笑)
今日話した中では、死ぬ時に何を思って死ぬのだろう、こんなこと思いながら死ぬのはいやだな、なんて話をしていたが、S本さんが老後にぼけて、ひとりごとをブツブツ言っている老人になって、その話している内容がほぶらきん/ゴースンの一生を完全に記憶していて、全編とおして話しているというのはどうか、と言うくだりがおもしろかったが、実際にそうなったら、やっぱりイヤですかね。(笑)
赤貝赤貝、死んだら赤貝!
2008年03月15日
夜
狐や狸に化かされる、という話は古来から全国でみられるが、実際に狐や狸がなにか人間に幻覚を見せたり、同じところをぐるぐる回るような混乱をおこさせているのかどうかは知らない。
つい先日、知人の女性が、自分も子供の頃、同じところをぐるぐる堂々巡りしてしまった経験があることを話してくれた。また当時、近所では、彼女が経験したあたりの土地ではそういうことがある場所だ、と語られていたそうだ。
こういったことを妖怪やおばけ、動物や幽霊のせいにするのは簡単で、また実際は人間の感覚が一時的に狂った現象にすぎないと科学的に整理するのも簡単な気がする。
不思議なのは、同じ場所にいながら霊のようなものが見える人と見えない人がいることである。また霊が見えても怖い人と怖くない人もいる。
例えば友人の奥さんはよく霊体験のようなものをする人だったが、東京ディズニーランドへの旅行ツアーのパンフを見るだけで霊が見えて嫌だったという。オフィシャルホテルの中で自殺者が出たホテルがあるが、パンフレットのそのホテルの写真の庭に、自殺した家族の霊が見えるのだという。もちろん他の人にはなにも見えない。
それが霊なのかどうかも実はわからない。幽霊にしてもUFOにしても、それがそうだと思っているだけで、幽霊に見える狸かもしれないし、UFOの形に見える狐かもしれない。そもそも、どれもあてはまらないものなのかもしれないし、大きく考えればどれもどうでもいいものである。人間が知らない自然界のことなどいくらでもあるではないか。そもそも人間が死ぬとどうなるのかなど、誰も知らない。
私が昨年引っ越して来た大阪のマンションは、友人が所有していたものだが、ここ10年くらいは使っていなかったものを好意で貸してもらっているものである。10年間住んでいなかったのであちこち傷んでいたり汚れていたりしていたが、自力でずいぶん修繕したり掃除したりした。しかし知り合いのお坊さんにきくと、やはり10年も住んでいないといろいろと「もののけ」が住むらしく、半年くらいはいろいろ出るよと言われていた。
隅が暗いとか、電気製品がよく壊れたとか、ミシミシといったラップ音みたいなものもずいぶんしていたとかあったが、もう住んで1年近くなるので、「となりのトトロ」に出てきた"まっくろくろすけ"のようなものは出ていった気がする。
そもそも、わたしはそういうものを怖がったりはしない。
一昨日の夜、それは急にあらわれた。私が夜中に目を覚ますと、ふとんの上になにかがおおいかぶさるように乗っている。どうも女性のような気がするが、はっきりとはわからない。声をたてるわけではないが、泣いているということはわかる。私が上を向いている状態で、左側の肩のところに頭をのせ、どうも泣いているようだ。
軽い金縛りのような感じもあるが、別に怖くはない。むしろなんだかかわいそうな気がして、そのまま泣かしておいてあげた。
後にも先にもそんな感じはそれっきりで、別にこの家にいるなにかではない気がする。でも、まあ、それがなになのかわからないし、そもそも女性なのかなにかわからないし、まあ、どうしようもない。
泣いている女性には、泣かしておいてあげるしか、しかたがないではないか。
女性は泣くものだし、その涙のわけは男にはとうていわからない。
女の悲しみは女だけのものだし、男の哀しみは男だけがわかってればそれでいい。
つい先日、知人の女性が、自分も子供の頃、同じところをぐるぐる堂々巡りしてしまった経験があることを話してくれた。また当時、近所では、彼女が経験したあたりの土地ではそういうことがある場所だ、と語られていたそうだ。
こういったことを妖怪やおばけ、動物や幽霊のせいにするのは簡単で、また実際は人間の感覚が一時的に狂った現象にすぎないと科学的に整理するのも簡単な気がする。
不思議なのは、同じ場所にいながら霊のようなものが見える人と見えない人がいることである。また霊が見えても怖い人と怖くない人もいる。
例えば友人の奥さんはよく霊体験のようなものをする人だったが、東京ディズニーランドへの旅行ツアーのパンフを見るだけで霊が見えて嫌だったという。オフィシャルホテルの中で自殺者が出たホテルがあるが、パンフレットのそのホテルの写真の庭に、自殺した家族の霊が見えるのだという。もちろん他の人にはなにも見えない。
それが霊なのかどうかも実はわからない。幽霊にしてもUFOにしても、それがそうだと思っているだけで、幽霊に見える狸かもしれないし、UFOの形に見える狐かもしれない。そもそも、どれもあてはまらないものなのかもしれないし、大きく考えればどれもどうでもいいものである。人間が知らない自然界のことなどいくらでもあるではないか。そもそも人間が死ぬとどうなるのかなど、誰も知らない。
私が昨年引っ越して来た大阪のマンションは、友人が所有していたものだが、ここ10年くらいは使っていなかったものを好意で貸してもらっているものである。10年間住んでいなかったのであちこち傷んでいたり汚れていたりしていたが、自力でずいぶん修繕したり掃除したりした。しかし知り合いのお坊さんにきくと、やはり10年も住んでいないといろいろと「もののけ」が住むらしく、半年くらいはいろいろ出るよと言われていた。
隅が暗いとか、電気製品がよく壊れたとか、ミシミシといったラップ音みたいなものもずいぶんしていたとかあったが、もう住んで1年近くなるので、「となりのトトロ」に出てきた"まっくろくろすけ"のようなものは出ていった気がする。
そもそも、わたしはそういうものを怖がったりはしない。
一昨日の夜、それは急にあらわれた。私が夜中に目を覚ますと、ふとんの上になにかがおおいかぶさるように乗っている。どうも女性のような気がするが、はっきりとはわからない。声をたてるわけではないが、泣いているということはわかる。私が上を向いている状態で、左側の肩のところに頭をのせ、どうも泣いているようだ。
軽い金縛りのような感じもあるが、別に怖くはない。むしろなんだかかわいそうな気がして、そのまま泣かしておいてあげた。
後にも先にもそんな感じはそれっきりで、別にこの家にいるなにかではない気がする。でも、まあ、それがなになのかわからないし、そもそも女性なのかなにかわからないし、まあ、どうしようもない。
泣いている女性には、泣かしておいてあげるしか、しかたがないではないか。
女性は泣くものだし、その涙のわけは男にはとうていわからない。
女の悲しみは女だけのものだし、男の哀しみは男だけがわかってればそれでいい。
2008年03月14日
デヴィッドさんと話す
大相撲、大阪場所を開催しているせいか、大阪市内で関取を何度か見かける。
もう私自身は大相撲のテレビなどは見ていないが、カナダ在住の元赤痢のあやちゃんとご主人のジョン・ボイルが大相撲にはまっているため、相撲開催中は毎日BSの放送を午後1時から午後6時までの5時間、それを15日間録画している。そして15枚のDVDRに焼いてカナダまで送っているわけである。
彼女らはそれを全部通して3回は見るとのことで、幕下の無名な関取の特徴や成績はもちろん、行司や客席の常連観客の顔まで覚えているそうだ。
アーティストであるジョン・ボイルの描く絵には関取がしょっちゅう登場するようになり、それでいいのかどうかは別にして、彼らにとって大相撲が楽しみになっているのは良いことのように思う。
海外の人が日本の文化に興味を持つことは多く、例えば日本のアンダーグラウンドな音楽やその歴史に興味を持っている人間は、日本人より外国人のほうが多いかもしれない。
デヴィッド・ホプキンス氏は「精神解放ノ為ノ音楽」の司会者として知っている人は少しはいるかもしれないが、彼は1970年にドアーズのライブをサンフランシスコで見ているような年季の入った音楽ファンで、1970年代末に来日して大学教授になってからずいぶんアンダーグラウンドな音楽を探して、1988年くらいに西成のライブハウスのエッグプラントにたどりつき、我々のライブを毎回見に来てくれるようになり、赤痢や非常階段をアメリカに紹介してくれるようになって、その後私とは長いつきあいをすることになる。
一時期、会わなくなった時期もあったが、最近はデヴィッド氏が日本の、特に関西のパンク史をまとめて論文や書籍にしたいとのことで、インタビューを受けたり、取材に協力している。
今日は彼が私の持っている1978-1981年くらいのライブのチラシをコピーしにきた。
元アーントサリーのbikkeやFMNの石橋くん、元SSのしのやんにもインタビューした話なども聞いた。
うまくいくといいですね。
徳島の小西さんもそうだが、彼も私も、そろそろ自分のしてきたこと、見聞きしてきたことをまとめる作業に取りかかりつつある。我々の人生ももう後半だ。死んでいった仲間もたくさんいる。語ることのできなかった連中の分まで語り、かっこうなどつけることなく、事実を事実として記録し、おもしろく書ければいいな。
スハラくんもばるるさんも、自分のしていることや感じていることをもっと文章にして残すことをしてくれたらいいのになあといつも思う。
めんどうなことなのかもしれないし、恥ずかしいことかもしれないし、心ない連中から攻撃されるかもしれないが、印刷物にして記録して残すことは、感じることや感じさせることよりも大切なことだったりもするのだ。
紙媒体は、いつの時代でも、けっこう重要な役割なのだよ。
おおきなお世話かな。ふふ。
もう私自身は大相撲のテレビなどは見ていないが、カナダ在住の元赤痢のあやちゃんとご主人のジョン・ボイルが大相撲にはまっているため、相撲開催中は毎日BSの放送を午後1時から午後6時までの5時間、それを15日間録画している。そして15枚のDVDRに焼いてカナダまで送っているわけである。
彼女らはそれを全部通して3回は見るとのことで、幕下の無名な関取の特徴や成績はもちろん、行司や客席の常連観客の顔まで覚えているそうだ。
アーティストであるジョン・ボイルの描く絵には関取がしょっちゅう登場するようになり、それでいいのかどうかは別にして、彼らにとって大相撲が楽しみになっているのは良いことのように思う。
海外の人が日本の文化に興味を持つことは多く、例えば日本のアンダーグラウンドな音楽やその歴史に興味を持っている人間は、日本人より外国人のほうが多いかもしれない。
デヴィッド・ホプキンス氏は「精神解放ノ為ノ音楽」の司会者として知っている人は少しはいるかもしれないが、彼は1970年にドアーズのライブをサンフランシスコで見ているような年季の入った音楽ファンで、1970年代末に来日して大学教授になってからずいぶんアンダーグラウンドな音楽を探して、1988年くらいに西成のライブハウスのエッグプラントにたどりつき、我々のライブを毎回見に来てくれるようになり、赤痢や非常階段をアメリカに紹介してくれるようになって、その後私とは長いつきあいをすることになる。
一時期、会わなくなった時期もあったが、最近はデヴィッド氏が日本の、特に関西のパンク史をまとめて論文や書籍にしたいとのことで、インタビューを受けたり、取材に協力している。
今日は彼が私の持っている1978-1981年くらいのライブのチラシをコピーしにきた。
元アーントサリーのbikkeやFMNの石橋くん、元SSのしのやんにもインタビューした話なども聞いた。
うまくいくといいですね。
徳島の小西さんもそうだが、彼も私も、そろそろ自分のしてきたこと、見聞きしてきたことをまとめる作業に取りかかりつつある。我々の人生ももう後半だ。死んでいった仲間もたくさんいる。語ることのできなかった連中の分まで語り、かっこうなどつけることなく、事実を事実として記録し、おもしろく書ければいいな。
スハラくんもばるるさんも、自分のしていることや感じていることをもっと文章にして残すことをしてくれたらいいのになあといつも思う。
めんどうなことなのかもしれないし、恥ずかしいことかもしれないし、心ない連中から攻撃されるかもしれないが、印刷物にして記録して残すことは、感じることや感じさせることよりも大切なことだったりもするのだ。
紙媒体は、いつの時代でも、けっこう重要な役割なのだよ。
おおきなお世話かな。ふふ。
2008年03月13日
錬金術
徳島のことを昨日書いたからではなかろうが、徳島の小西さんから封筒が届く。
3月2日に徳島・北島町の創世ホールで行われた辻真先さんの講演会は成功した様子。なにより。
同封の通信には「ゲゲゲの鬼太郎」の3作品について書かれた小西さんの名文が収録されており、おもしろく読ませていただいた。またどこかで紹介したい。
水木しげる原作の「ゲゲゲの鬼太郎」は私も大好きだった。マンガ版もアニメ版も好きで、故・林直人くんも鬼太郎はもちろん水木作品はみんな好きだったはずだ。
1984年、私と林くんとで「アルケミーレコード」を設立した。24年前の話だ。
「アルケミー」とつけたのにはいろいろな思いがあるのだけれど、その理由のひとつに、ゲゲゲの鬼太郎に出てくるねずみ男を主人公にしたマンガ「錬金術」から、「アルケミー」という言葉を会社名につけるきっかけになっている。
「錬金術」のストーリーはここに掲載されているとおり。
http://www.asahi-net.or.jp/~AN4S-OKD/private/bun/man04535.htm
『錬金術は金を得ることでなく、そのことによって金では得られない希望を得ることにあるんだ。人生はそれでいいんだ。この世の中にこれは価値だと声を大にして叫ぶに値することがあるかね。すべてがまやかしじゃないか』
このねずみ男の言葉に背中を押されたのだから、当時24才の私や林くんもたいがいだろう。
昨日は南海電車に乗ったが、ゲゲゲの鬼太郎の話では「ゆうれい電車」の話が好きだった。駅の名前が「りんじゅう」「かそうば」「ほねつぼ」と、どんどんあの世に向かっていることを示すくだりが秀逸。
三上寛さんの「ひびけ電気釜」をもう1度聞く。
「命は神の八百長よ」
3月2日に徳島・北島町の創世ホールで行われた辻真先さんの講演会は成功した様子。なにより。
同封の通信には「ゲゲゲの鬼太郎」の3作品について書かれた小西さんの名文が収録されており、おもしろく読ませていただいた。またどこかで紹介したい。
水木しげる原作の「ゲゲゲの鬼太郎」は私も大好きだった。マンガ版もアニメ版も好きで、故・林直人くんも鬼太郎はもちろん水木作品はみんな好きだったはずだ。
1984年、私と林くんとで「アルケミーレコード」を設立した。24年前の話だ。
「アルケミー」とつけたのにはいろいろな思いがあるのだけれど、その理由のひとつに、ゲゲゲの鬼太郎に出てくるねずみ男を主人公にしたマンガ「錬金術」から、「アルケミー」という言葉を会社名につけるきっかけになっている。
「錬金術」のストーリーはここに掲載されているとおり。
http://www.asahi-net.or.jp/~AN4S-OKD/private/bun/man04535.htm
『錬金術は金を得ることでなく、そのことによって金では得られない希望を得ることにあるんだ。人生はそれでいいんだ。この世の中にこれは価値だと声を大にして叫ぶに値することがあるかね。すべてがまやかしじゃないか』
このねずみ男の言葉に背中を押されたのだから、当時24才の私や林くんもたいがいだろう。
昨日は南海電車に乗ったが、ゲゲゲの鬼太郎の話では「ゆうれい電車」の話が好きだった。駅の名前が「りんじゅう」「かそうば」「ほねつぼ」と、どんどんあの世に向かっていることを示すくだりが秀逸。
三上寛さんの「ひびけ電気釜」をもう1度聞く。
「命は神の八百長よ」
2008年03月12日
深日港を思う
堺へ。
高い塀のある家に住む旧友に会いに行くも不在で会えず。
堺から大阪・なんばに戻るのに南海電車に乗車。
路線図を見ていると、「深日港」の文字を見つけて、しばし感慨にふける。
1980年〜1982年、友人に会いに何度も深日港から徳島フェリーに乗船して徳島に行った。当時は瀬戸大橋はもちろん、明石海峡大橋もまだなく、淡路島や四国にはフェリーを利用するしかなかった。たぶん神戸や大阪南港からもフェリーは出航していたと思うが、たぶん値段が一番安かったのであろう、大阪の和歌山寄りである深日港からのフェリーを利用していた。
当時の南海電車でみさき公園駅まで行き、多奈川線に乗り換えて深日港まで行った。電車の窓から見えるみさき公園の様子が広々として家族連れが楽しそうで、いつか行ってみたいと思っていたが、いまだ実現していない。
深日港のフェリー乗り場、乗船する時の桟橋、船の二等船室、徳島に近づく時の光景。
そんな当時見た景色がフラッシュバックのように脳裏をよぎる。
いま、電車を乗り換えて、深日港まで行けば、あの頃の徳島行きのフェリーが出航しているかもしれない。
そんなノスタルジックな夢物語を南海電車で過ごす。
南海電車のなんば駅を降りると、煉瓦色の柱は今でもある。
その柱の思い出だって、ある。
南海電車は私にとって、ちょっとせつなくて、ちょっと、重い。
もう深日港からはフェリーは出ていないのですね。
http://ku-gyou.net/shitetsu/nk-fukekou.html
昔の徳島の情報。こういう情報はなかなか残っていないので、助かります。
小西さんもこういう情報を今のうちに集めておいたほうがいいかも。
http://machibbs.net/~tyousan/982561742.html
高い塀のある家に住む旧友に会いに行くも不在で会えず。
堺から大阪・なんばに戻るのに南海電車に乗車。
路線図を見ていると、「深日港」の文字を見つけて、しばし感慨にふける。
1980年〜1982年、友人に会いに何度も深日港から徳島フェリーに乗船して徳島に行った。当時は瀬戸大橋はもちろん、明石海峡大橋もまだなく、淡路島や四国にはフェリーを利用するしかなかった。たぶん神戸や大阪南港からもフェリーは出航していたと思うが、たぶん値段が一番安かったのであろう、大阪の和歌山寄りである深日港からのフェリーを利用していた。
当時の南海電車でみさき公園駅まで行き、多奈川線に乗り換えて深日港まで行った。電車の窓から見えるみさき公園の様子が広々として家族連れが楽しそうで、いつか行ってみたいと思っていたが、いまだ実現していない。
深日港のフェリー乗り場、乗船する時の桟橋、船の二等船室、徳島に近づく時の光景。
そんな当時見た景色がフラッシュバックのように脳裏をよぎる。
いま、電車を乗り換えて、深日港まで行けば、あの頃の徳島行きのフェリーが出航しているかもしれない。
そんなノスタルジックな夢物語を南海電車で過ごす。
南海電車のなんば駅を降りると、煉瓦色の柱は今でもある。
その柱の思い出だって、ある。
南海電車は私にとって、ちょっとせつなくて、ちょっと、重い。
もう深日港からはフェリーは出ていないのですね。
http://ku-gyou.net/shitetsu/nk-fukekou.html
昔の徳島の情報。こういう情報はなかなか残っていないので、助かります。
小西さんもこういう情報を今のうちに集めておいたほうがいいかも。
http://machibbs.net/~tyousan/982561742.html