2007年10月
2007年10月21日
もう/まだ/13年前の映像
昨夜と今夜の2回にわけて、2時間40分の「精神解放ノ為ノ音楽」を上映。
前半のネロリーズ5曲はさすがにつらかったが、その後のアルケミー周辺のアーティストたちと、後半のボア+ボア周辺の特集がメインの番組だった。
放映は1994年でもう13年前。この番組を制作したディレクターは非常階段の映像が問題になって飛ばされたはずで、再放送ももちろんされていない。しかしプライベートで録画されたものがトレードされたり、ブートレッグで販売されたりしていたようで、見た人も多いらしい。
しかし関西の深夜番組であったものの、やはり地上波とあって、この番組でボアダムズや関西のバンド、アンダーグラウンドシーンに始めて接し、影響を受けたリスナーやアーティストはかなり多いので、やはり関西にとってはエポック的な番組だったのだろう。
私も含めて出演者や当事者にとってはずっと続いている音楽の日常のヒトコマだが、初めて見る音楽リスナーにけっこうショックを与えたのはよくわかる。良い意味も悪い意味もあるだろうけれど。
私も久しぶりに見て、気がついたのは、司会のデビッドさんとアマリリスのアリス・セーラーは、今もルックスが全然変わっていないこと。私と東瀬戸くんの髪の毛が当時は黒くてフサフサしていたこと、そして当然だが、今も音楽を続けている連中がみんな若いこと。
もし、私が1994年当時か、もしくは今、こういった音楽に対する知識がまるでなく、また演奏家でもなかったとして、その上でこの番組を見て、一番興味をもつのは、非常階段でも山塚くんでもなく、きっと山本精一くんだろう。
山本さん、電動歯のライブでは、ヨシミちゃんの後ろでバット(もしくはこん棒のようなもの)を振っているだけだし、想い出波止場でもギターなんか弾いてなくて、大暴れしてマイクスタンド振り回して「殺せ!殺せ!」とか叫んでるだけだし。(笑)
やっぱり、山本くんが一番おかしいや。
この上映を見に来てた男の子2人と少し話す。
二人ともお互いには面識はなかったようだが、やはり変わった音楽をやろうとするも仲間がいないという話しになり、ここで出会ったのをきっかけに一緒にやりますか、みたいな話に進行していたようだ。
ぜひ新しい音楽や映像を作って、またアルケミーに持ってきてください。
帰宅後、NHKのサンデースポーツで、盲目の人向けのテニスを開発した人の特集をやっていて、驚く。ボールに音が出るしかけをつくって、バウンド時の音の変化でボールの位置を推測することに成功、ラリーを実現させている。
盲目の人のための3次元スポーツは不可能と思われていただけに、かなり画期的だ。パラリンピックの正式種目採用を目指して海外にも普及活動をしているという。
音楽にも、このくらいの一般常識を覆す発想が欲しい。
前半のネロリーズ5曲はさすがにつらかったが、その後のアルケミー周辺のアーティストたちと、後半のボア+ボア周辺の特集がメインの番組だった。
放映は1994年でもう13年前。この番組を制作したディレクターは非常階段の映像が問題になって飛ばされたはずで、再放送ももちろんされていない。しかしプライベートで録画されたものがトレードされたり、ブートレッグで販売されたりしていたようで、見た人も多いらしい。
しかし関西の深夜番組であったものの、やはり地上波とあって、この番組でボアダムズや関西のバンド、アンダーグラウンドシーンに始めて接し、影響を受けたリスナーやアーティストはかなり多いので、やはり関西にとってはエポック的な番組だったのだろう。
私も含めて出演者や当事者にとってはずっと続いている音楽の日常のヒトコマだが、初めて見る音楽リスナーにけっこうショックを与えたのはよくわかる。良い意味も悪い意味もあるだろうけれど。
私も久しぶりに見て、気がついたのは、司会のデビッドさんとアマリリスのアリス・セーラーは、今もルックスが全然変わっていないこと。私と東瀬戸くんの髪の毛が当時は黒くてフサフサしていたこと、そして当然だが、今も音楽を続けている連中がみんな若いこと。
もし、私が1994年当時か、もしくは今、こういった音楽に対する知識がまるでなく、また演奏家でもなかったとして、その上でこの番組を見て、一番興味をもつのは、非常階段でも山塚くんでもなく、きっと山本精一くんだろう。
山本さん、電動歯のライブでは、ヨシミちゃんの後ろでバット(もしくはこん棒のようなもの)を振っているだけだし、想い出波止場でもギターなんか弾いてなくて、大暴れしてマイクスタンド振り回して「殺せ!殺せ!」とか叫んでるだけだし。(笑)
やっぱり、山本くんが一番おかしいや。
この上映を見に来てた男の子2人と少し話す。
二人ともお互いには面識はなかったようだが、やはり変わった音楽をやろうとするも仲間がいないという話しになり、ここで出会ったのをきっかけに一緒にやりますか、みたいな話に進行していたようだ。
ぜひ新しい音楽や映像を作って、またアルケミーに持ってきてください。
帰宅後、NHKのサンデースポーツで、盲目の人向けのテニスを開発した人の特集をやっていて、驚く。ボールに音が出るしかけをつくって、バウンド時の音の変化でボールの位置を推測することに成功、ラリーを実現させている。
盲目の人のための3次元スポーツは不可能と思われていただけに、かなり画期的だ。パラリンピックの正式種目採用を目指して海外にも普及活動をしているという。
音楽にも、このくらいの一般常識を覆す発想が欲しい。
2007年10月20日
坂田明、林直人
AMSで開催中の「関西NO WAVE展」、おそらくは上映される貴重映像に興味が集まるのでは、と思い、アルケミー秘蔵の映像を発掘作業中、これは最もお宝な映像というものが見つかった。
どういう経緯でそうなったのかはわからない。
1981年の坂田明さんの大阪公演に、故・林直人がギターで参加している映像が見つかった。
これはもう徳島の小西さんに送るしかないが、そもそも、どういう経緯でこのセッションが実現したのかも不明ながら、その映像がどうして私の家にあるのか。
その収録のビデオテープのインデックスには、その坂田明に関するクレジットはなく、場所や日時も不明。
おそらくカメラマンは元アウシュビッツのドラムの中島さんだから、会って聞けばなにかわかるかもしれない。
前半は1コードのアドリブセッションで、ドラムはたぶん村上ポンタさん、マーチン・レヴかルーリードか、と思わせるサングラスのキーボードは間違いなく千野秀一さん。ベーシストはわからない。ここで林くんがノイジーなギターをかぶせて演奏している。
その演奏が終わるとカメラは右にパンしてメインステージ。舞踏の女性をバックに坂田明さんがサックスを吹き、途中でマイクに向かって話すパフォーマンスもある。
坂田さんと林くんにこんな接点が、26年前にあったとは。
来年は林くんの没後5周年だ。
もしハードスタッフの林直人特集号の発刊が間にあったら、その発刊記念パーティでこの映像を上映したいと思う。
今日はAMSでは「精神解放ノ為ノ音楽」前編上映だったが、所感は明日の後編上映の後に書きます。
どういう経緯でそうなったのかはわからない。
1981年の坂田明さんの大阪公演に、故・林直人がギターで参加している映像が見つかった。
これはもう徳島の小西さんに送るしかないが、そもそも、どういう経緯でこのセッションが実現したのかも不明ながら、その映像がどうして私の家にあるのか。
その収録のビデオテープのインデックスには、その坂田明に関するクレジットはなく、場所や日時も不明。
おそらくカメラマンは元アウシュビッツのドラムの中島さんだから、会って聞けばなにかわかるかもしれない。
前半は1コードのアドリブセッションで、ドラムはたぶん村上ポンタさん、マーチン・レヴかルーリードか、と思わせるサングラスのキーボードは間違いなく千野秀一さん。ベーシストはわからない。ここで林くんがノイジーなギターをかぶせて演奏している。
その演奏が終わるとカメラは右にパンしてメインステージ。舞踏の女性をバックに坂田明さんがサックスを吹き、途中でマイクに向かって話すパフォーマンスもある。
坂田さんと林くんにこんな接点が、26年前にあったとは。
来年は林くんの没後5周年だ。
もしハードスタッフの林直人特集号の発刊が間にあったら、その発刊記念パーティでこの映像を上映したいと思う。
今日はAMSでは「精神解放ノ為ノ音楽」前編上映だったが、所感は明日の後編上映の後に書きます。
2007年10月19日
AMSでBIDEくんとトークライブ
AMSで開催している関西NO WAVE展の2日目。
今日は私といっしょにウルトラビデを1978年に結成したHIDE(私にとっては永遠にBIDE)くんにゲストに来てもらい、トークライブ。
SSや町田くんの古い映像を少し流しながらの1時間と少しだったが、HIDEくん、しゃべるしゃべる。(笑)
彼が小学生の時の誕生日に友人からサイモン&ガーファンクルのレコードをもらったのが最初の音楽との出会いとか、イエスをレコード屋でジャケ買いしてプログレにはまっていったとか、出会う以前の話もいくつか聞けた。
1978-1980年くらいまで、どらっぐすとうあや吉祥寺マイナーとの交流の話が多かったかな。
おもしろいトークだった。ありがとう!
今日は私といっしょにウルトラビデを1978年に結成したHIDE(私にとっては永遠にBIDE)くんにゲストに来てもらい、トークライブ。
SSや町田くんの古い映像を少し流しながらの1時間と少しだったが、HIDEくん、しゃべるしゃべる。(笑)
彼が小学生の時の誕生日に友人からサイモン&ガーファンクルのレコードをもらったのが最初の音楽との出会いとか、イエスをレコード屋でジャケ買いしてプログレにはまっていったとか、出会う以前の話もいくつか聞けた。
1978-1980年くらいまで、どらっぐすとうあや吉祥寺マイナーとの交流の話が多かったかな。
おもしろいトークだった。ありがとう!
2007年10月18日
ボギーさんのこと
ここのところ、なんとか思い出そうとしていることがある。
それは人の名前である。
私はパソコン歴はけっこう古く、1985年には1200ボーのモデムを電話線につないで、パソコン通信をしていた。
たしかJ&Pが運営していたプロパイダーで、まだニフティも規模は小さく、NECのPC-VAn(のちのBiglobe)もまだ立ち上がっていなかったと思う。
パソコン通信なのでもちろんテキストの文章だけ。いまのインターネットや携帯に慣れた世代には想像もつかないだろうが、文字だけの世界もそれなりに楽しかった。
J&Pには音楽の会議室もあったが、演奏家が音楽ファンの会議室に「○○の音楽は」などと発言するのは抵抗があり、もっぱら映画の会議室に出入りしていた。
そこにはハンドル名がBOGGYという、かなりの映画通の方が常駐していた。かなり辛口の映画評を書いていた人で、映画は出来るだけロードショーで見る、過去の映画もかなりの本数を見ているタイプの、かなり濃厚な映画ファンだった。
軽薄な視点の映画評を書こうものなら、きつい突っ込みがBOGGYさんからされるので、早々に会議室を退散した人も数多くいた。
でも嫌われ者というわけではなく、ちゃんとした真面目な映画通の人ではあったから、多くの映画を紹介しながら、映画の楽しみをみんなに伝えようとする気持ちが伝わる文章だった。
私もなにか書き込みをした時、少し揚げ足をとられたりしたが、BOGGYさんはホラー映画は苦手だったようで、私はそのあたりの映画評などを書いていたから、BOGGYさんも突っ込みようがなかったのかもしれない。
オフ会があり、実際のBOGGYさんに会った。
たしか人が集まらず、渋谷の喫茶店でBOGGYさんとふたりで会った気がする。
どうしてそういうシチュエーションになったのかは忘れたが、なんだか文章から受ける印象よりは気弱な感じの、私より少し年上の方だった。
でも第一印象は、なんだか昔のタイプの大学生のような人だな、と思った。
バツイチ、男の子の子供ひとりありで、子供は自分が育てている。子供はまだ小学生なので、子供が帰る時間には家に帰らなくてはならない。
そんな年齢でありながら、大学生のような、どこかが甘いような印象が、あのパソコン通信の会議室上での攻撃的な書き込みとは、どうもイメージが一致しなかったことを覚えている。
BOGGYさんとは一緒に銀座の映画館に行ったことがある。
たしか微妙なホモセクシャルを扱った欧州のつまらない映画だったが、映画館はそこそこの入りで、『やっぱり今でも映画は娯楽の王様だなあ』などと、映画館に人が入っていることにはしゃいでいたBOGGYさんに、またなにかのひ弱さを感じていた。
パソコン通信の会議室に、ある女の子(女子大生)の書き込みが頻繁にされるようになった。
その頃はホラー以外ならオールマイティなBOGGYさん、ホラーやカルトものなら私、といった2本柱がその映画の会議室を取り仕切っており、なかなか他の書き手が育たなかった時期に、女性の映画ファンらしい書き込みは華があり、BOGGYさんも歓迎していた。
1986年末、私は東京から京都に引っ越し、京都から書き込みを続けていた。
1987年の春、その会議室のオフ会を京都でやることになった。
私のいなくなった東京のオフ会でその女の子とBOGGYさんは会って仲良くなったこと、その女の子が大学の卒業旅行かなにかで京都へ来ることになったこと、そしてBOGGYさんが子供を連れて京都に来ることになったことがあって、実現したようだった。
当時の私はにぶくて気がつかなかった。
BOGGYさんはその大学生の女の子に恋をしていたのだ。そして子供をおいてひとり京都に来るわけにもいかず、息子に京都を見せたいとか理由をつくって、彼女に会いたかったのだろう。
女の子と、BOGGYさんと息子、そして私で、京都の三条河原町の喫茶店でオフ会をした。
なんとなくだが、BOGGYさんとその女の子がしっくりいっていない感じが伝わってくる。BOGGYさんはまだ一生懸命気をひこうとしているが、女の子は取り合わないでいる、そんな感じだった。
そんな大人の集まる喫茶店に慣れていないBOGGYさんの息子も落ち着かない感じだった。女の子と息子の両方の機嫌をとろうとしているBOGGYさんの姿が、会議室で強気の映画評を書いていたBOGGYさんらしくなく、なんだかがっかりした記憶がある。
その時に話していたBOGGYさんの、「子供はまだ小さいから、風の谷のナウシカのビデオも、最初の部分だけを見せているんだ」という言葉を覚えている。
BOGGYさん、あんた、優しすぎるよ。
私はそうは思っていても、口にはできなかった。
京都のオフ会が終わってから、J&Pのいつもの映画の会議室には、あの女の子はもう書き込みをしなくなった。
BOGGYさんと女の子の淡い恋が終わったことを、その時にようやく知った。
パソコン通信はJ&Pはどんどん会員が減少し、会議室によるコミュニケーションはニフティが主流となっていった。
女の子が去り、BOGGYさんも「仕事が忙しくなった」という口実でほとんど書き込みがなくなったJ&Pの映画の会議室は、私も書き込む機会が減っていった。
私はニフティに移行し、そこでも映画の会議室をちょくちょくのぞいていた。
1度だけBOGGYさんがニフティの映画の会議室に書き込みしたことがあった。
それに私は「お久しぶりです!」とresをつけたが、BOGGYさんからその返答はなかった。
BOGGYさんは私には見つかりたくなかったのかもしれない。
その後、BOGGYさんとは会っていない。
名前も忘れてしまった。
20年という歳月が経った。
BOGGYさんはいまでも映画を見ているだろうか。
お子さんは大きくなったはずだ。
再婚はしただろうか。
そんなことを、時折、思う。
風の谷のナウシカの、最初の部分だけを子供に見せていた、BOGGYさんの優しさを、今は素敵だなと、思う。
そう、思える。
それは人の名前である。
私はパソコン歴はけっこう古く、1985年には1200ボーのモデムを電話線につないで、パソコン通信をしていた。
たしかJ&Pが運営していたプロパイダーで、まだニフティも規模は小さく、NECのPC-VAn(のちのBiglobe)もまだ立ち上がっていなかったと思う。
パソコン通信なのでもちろんテキストの文章だけ。いまのインターネットや携帯に慣れた世代には想像もつかないだろうが、文字だけの世界もそれなりに楽しかった。
J&Pには音楽の会議室もあったが、演奏家が音楽ファンの会議室に「○○の音楽は」などと発言するのは抵抗があり、もっぱら映画の会議室に出入りしていた。
そこにはハンドル名がBOGGYという、かなりの映画通の方が常駐していた。かなり辛口の映画評を書いていた人で、映画は出来るだけロードショーで見る、過去の映画もかなりの本数を見ているタイプの、かなり濃厚な映画ファンだった。
軽薄な視点の映画評を書こうものなら、きつい突っ込みがBOGGYさんからされるので、早々に会議室を退散した人も数多くいた。
でも嫌われ者というわけではなく、ちゃんとした真面目な映画通の人ではあったから、多くの映画を紹介しながら、映画の楽しみをみんなに伝えようとする気持ちが伝わる文章だった。
私もなにか書き込みをした時、少し揚げ足をとられたりしたが、BOGGYさんはホラー映画は苦手だったようで、私はそのあたりの映画評などを書いていたから、BOGGYさんも突っ込みようがなかったのかもしれない。
オフ会があり、実際のBOGGYさんに会った。
たしか人が集まらず、渋谷の喫茶店でBOGGYさんとふたりで会った気がする。
どうしてそういうシチュエーションになったのかは忘れたが、なんだか文章から受ける印象よりは気弱な感じの、私より少し年上の方だった。
でも第一印象は、なんだか昔のタイプの大学生のような人だな、と思った。
バツイチ、男の子の子供ひとりありで、子供は自分が育てている。子供はまだ小学生なので、子供が帰る時間には家に帰らなくてはならない。
そんな年齢でありながら、大学生のような、どこかが甘いような印象が、あのパソコン通信の会議室上での攻撃的な書き込みとは、どうもイメージが一致しなかったことを覚えている。
BOGGYさんとは一緒に銀座の映画館に行ったことがある。
たしか微妙なホモセクシャルを扱った欧州のつまらない映画だったが、映画館はそこそこの入りで、『やっぱり今でも映画は娯楽の王様だなあ』などと、映画館に人が入っていることにはしゃいでいたBOGGYさんに、またなにかのひ弱さを感じていた。
パソコン通信の会議室に、ある女の子(女子大生)の書き込みが頻繁にされるようになった。
その頃はホラー以外ならオールマイティなBOGGYさん、ホラーやカルトものなら私、といった2本柱がその映画の会議室を取り仕切っており、なかなか他の書き手が育たなかった時期に、女性の映画ファンらしい書き込みは華があり、BOGGYさんも歓迎していた。
1986年末、私は東京から京都に引っ越し、京都から書き込みを続けていた。
1987年の春、その会議室のオフ会を京都でやることになった。
私のいなくなった東京のオフ会でその女の子とBOGGYさんは会って仲良くなったこと、その女の子が大学の卒業旅行かなにかで京都へ来ることになったこと、そしてBOGGYさんが子供を連れて京都に来ることになったことがあって、実現したようだった。
当時の私はにぶくて気がつかなかった。
BOGGYさんはその大学生の女の子に恋をしていたのだ。そして子供をおいてひとり京都に来るわけにもいかず、息子に京都を見せたいとか理由をつくって、彼女に会いたかったのだろう。
女の子と、BOGGYさんと息子、そして私で、京都の三条河原町の喫茶店でオフ会をした。
なんとなくだが、BOGGYさんとその女の子がしっくりいっていない感じが伝わってくる。BOGGYさんはまだ一生懸命気をひこうとしているが、女の子は取り合わないでいる、そんな感じだった。
そんな大人の集まる喫茶店に慣れていないBOGGYさんの息子も落ち着かない感じだった。女の子と息子の両方の機嫌をとろうとしているBOGGYさんの姿が、会議室で強気の映画評を書いていたBOGGYさんらしくなく、なんだかがっかりした記憶がある。
その時に話していたBOGGYさんの、「子供はまだ小さいから、風の谷のナウシカのビデオも、最初の部分だけを見せているんだ」という言葉を覚えている。
BOGGYさん、あんた、優しすぎるよ。
私はそうは思っていても、口にはできなかった。
京都のオフ会が終わってから、J&Pのいつもの映画の会議室には、あの女の子はもう書き込みをしなくなった。
BOGGYさんと女の子の淡い恋が終わったことを、その時にようやく知った。
パソコン通信はJ&Pはどんどん会員が減少し、会議室によるコミュニケーションはニフティが主流となっていった。
女の子が去り、BOGGYさんも「仕事が忙しくなった」という口実でほとんど書き込みがなくなったJ&Pの映画の会議室は、私も書き込む機会が減っていった。
私はニフティに移行し、そこでも映画の会議室をちょくちょくのぞいていた。
1度だけBOGGYさんがニフティの映画の会議室に書き込みしたことがあった。
それに私は「お久しぶりです!」とresをつけたが、BOGGYさんからその返答はなかった。
BOGGYさんは私には見つかりたくなかったのかもしれない。
その後、BOGGYさんとは会っていない。
名前も忘れてしまった。
20年という歳月が経った。
BOGGYさんはいまでも映画を見ているだろうか。
お子さんは大きくなったはずだ。
再婚はしただろうか。
そんなことを、時折、思う。
風の谷のナウシカの、最初の部分だけを子供に見せていた、BOGGYさんの優しさを、今は素敵だなと、思う。
そう、思える。
2007年10月16日
京都にて
大阪で毎月の講義を受けたあと、京都へ。
行きつけの北区のバーに顔を出す。
マスターが喜んでくれ、仲間数名にメール、仕事帰りの2人が寄ってくれ、思いがけぬ楽しいひととき。
ノドが痛く、風邪をひきかけている旨伝えると、ラムをシロップを加えてお湯で割りライムをしぼってくれた特製カクテルをいただく。
ありがとうございました。
やっぱり、風邪はひいてしまいましたが!(笑)
「Annie Hall Bar」
行きつけの北区のバーに顔を出す。
マスターが喜んでくれ、仲間数名にメール、仕事帰りの2人が寄ってくれ、思いがけぬ楽しいひととき。
ノドが痛く、風邪をひきかけている旨伝えると、ラムをシロップを加えてお湯で割りライムをしぼってくれた特製カクテルをいただく。
ありがとうございました。
やっぱり、風邪はひいてしまいましたが!(笑)
「Annie Hall Bar」
2007年10月14日
蜘蛛の糸は必ず切れる
新潟での仕事を終えて、さて乗り込む帰りの寝台列車の発車まで5時間ほどある。
駅の南側は駅ビルがいくつかあるのだが、駅ビル自体が倒産したのか、ゴーストタウン化している。
しかし今日行ってみると、その広大な空きビルをいいことに、ジュンク堂が巨大な本屋を展開していてびっくり。まるで図書館のようだ。おそらく北陸最大の本屋だろう。
どうせ時間もあるので、本を1冊。
諸星大二郎の小説第二弾「蜘蛛の糸は必ず切れる」を購入。
もちろん漫画家としても優れた作家だが、前回の初小説集「キョウコのキョウは恐怖の恐」はおおいに気に入っていたので、今回も期待大。
この本で駅の待合室で読書する。
最初の「船を待つ」で、やられる。
いやー、まいった。これはおもしろい。
まるで悪夢のようだ。
一気に他の2編も読み終え、最後の「蜘蛛の糸は必ず切れる」の途中で乗車時間になった。
乗り遅れてはたいへんと、寝台車に乗り込んで、続きを読み、読み終える。
あの世の話の読後に、カーテンを締め切った寝台車に寝そべっていると、このまま冥府への旅に出るような不思議な気分。
いやいや、現実。
いや、夢のような。
そんな時間を過ごしつつ、列車は深夜を滑っていく。

駅の南側は駅ビルがいくつかあるのだが、駅ビル自体が倒産したのか、ゴーストタウン化している。
しかし今日行ってみると、その広大な空きビルをいいことに、ジュンク堂が巨大な本屋を展開していてびっくり。まるで図書館のようだ。おそらく北陸最大の本屋だろう。
どうせ時間もあるので、本を1冊。
諸星大二郎の小説第二弾「蜘蛛の糸は必ず切れる」を購入。
もちろん漫画家としても優れた作家だが、前回の初小説集「キョウコのキョウは恐怖の恐」はおおいに気に入っていたので、今回も期待大。
この本で駅の待合室で読書する。
最初の「船を待つ」で、やられる。
いやー、まいった。これはおもしろい。
まるで悪夢のようだ。
一気に他の2編も読み終え、最後の「蜘蛛の糸は必ず切れる」の途中で乗車時間になった。
乗り遅れてはたいへんと、寝台車に乗り込んで、続きを読み、読み終える。
あの世の話の読後に、カーテンを締め切った寝台車に寝そべっていると、このまま冥府への旅に出るような不思議な気分。
いやいや、現実。
いや、夢のような。
そんな時間を過ごしつつ、列車は深夜を滑っていく。
