2007年03月
2007年03月19日
友だちは犬だけちゃうやん!
昨夜、大阪梅田にあるミニシアター「PLANET Studyo プラスワン」に行ってきた。
http://www.planetplusone.com/
3月17日から23日の間に上映されている、「中山双葉PV特集/友だちは犬だけちゃうやん!」を見に行ったのだ。
これはアルケミーレコードから昨年発売した中山双葉のアルバム「友だちは犬だけ」の曲のPVを新進映像作家、アニメーション作家が作成したもの12本を一挙上映するというもの。
これはもともとは田口さんがアルバムタイトル曲「友だちは犬だけ」のアニメーション作品を、アルケミーリリース以前の自主音源を元に制作、複眼ギャラリーでのアルバム発売記念ライブの時に上映、その前後から他の曲の作品も作ろうと、複眼ギャラリーやアニメーション作家集団・アニメーションスープ周辺で盛り上がって進行したもののようだ。
アルバムには14曲入っているが、そのうち12曲の映像が見れた。
手描きアニメーション、影絵、実写など、数分から13分に及ぶ大作まであり、十分に楽しめた。アーティストさんのトークのある日もあるようなので、23日までと残りの日は少ないが、お時間あればみなさんで見てみてください。
個人的には手描きアニメーションの作品でいくつか気に入ったものがあった。
双葉ちゃんの歌を聞いた時、NHKのみんなのうたで放送されたらいいな、と当初から思っていたので、なんだかその夢がかなったような気分になった。
もちろん自主作品、予算や時間の限りもある中、アマチュアリズムも当然の中だけれども、どの作品も未来の楽しみな、そして双葉ちゃんの歌への愛情あふれる魅力的な作品だった。
きっとこのメンバーから、将来は有名なアーティストになったり、大きな仕事をする人が何人も出てくる気がする。
すてきなものを見させていただきました。
作家さん、双葉ちゃん、スタッフのみなさん、ありがとう。
社長は喜んでいます。

http://www.planetplusone.com/
3月17日から23日の間に上映されている、「中山双葉PV特集/友だちは犬だけちゃうやん!」を見に行ったのだ。
これはアルケミーレコードから昨年発売した中山双葉のアルバム「友だちは犬だけ」の曲のPVを新進映像作家、アニメーション作家が作成したもの12本を一挙上映するというもの。
これはもともとは田口さんがアルバムタイトル曲「友だちは犬だけ」のアニメーション作品を、アルケミーリリース以前の自主音源を元に制作、複眼ギャラリーでのアルバム発売記念ライブの時に上映、その前後から他の曲の作品も作ろうと、複眼ギャラリーやアニメーション作家集団・アニメーションスープ周辺で盛り上がって進行したもののようだ。
アルバムには14曲入っているが、そのうち12曲の映像が見れた。
手描きアニメーション、影絵、実写など、数分から13分に及ぶ大作まであり、十分に楽しめた。アーティストさんのトークのある日もあるようなので、23日までと残りの日は少ないが、お時間あればみなさんで見てみてください。
個人的には手描きアニメーションの作品でいくつか気に入ったものがあった。
双葉ちゃんの歌を聞いた時、NHKのみんなのうたで放送されたらいいな、と当初から思っていたので、なんだかその夢がかなったような気分になった。
もちろん自主作品、予算や時間の限りもある中、アマチュアリズムも当然の中だけれども、どの作品も未来の楽しみな、そして双葉ちゃんの歌への愛情あふれる魅力的な作品だった。
きっとこのメンバーから、将来は有名なアーティストになったり、大きな仕事をする人が何人も出てくる気がする。
すてきなものを見させていただきました。
作家さん、双葉ちゃん、スタッフのみなさん、ありがとう。
社長は喜んでいます。

2007年03月18日
もう1度
宮西計三さんがユニット「onna」を再開したという。
CDR「Onna / Barae 人形譚サウンドテクスト」という作品がそうらしいが、このonnaには後のホワイトヘブンに参加する栗原ミチオがその昔メンバーだったはずで、今回の新作には参加していない模様。栗原くん入りの再結成も見てみたい。
イギリスでは昨年11月からフィル・コリンズ期のジェネシスが再結成しているはずで、私は「トリック・オブ・ザ・テイル」から「静寂の嵐」期の作品が好きなので、ぜひ来日して欲しいところ。
先日はエイジアも来日したんですよね。行きませんでしたが。(笑)
再開する、再結成するって、けっこう度胸いると思う。
で、来年はオリジナル・ウルトラビデ結成30周年なので、もう1度だけ再結成&ライブでもしてみようかなと思ったり。HIDEくんにきいてみなきゃわからないけどね。
40周年ライブはきっとありえないから、最後のタイミングかな、などと思ったり。
先日帰国していたあやちゃんから、ニヒリスト・スパズム・バンドのメンバーの年齢が70才近くになってきたことを聞かされ、いろいろ思いました。
そういえばニヒリスト・スパズム・バンドの初来日公演はもう11年前、か。
CDR「Onna / Barae 人形譚サウンドテクスト」という作品がそうらしいが、このonnaには後のホワイトヘブンに参加する栗原ミチオがその昔メンバーだったはずで、今回の新作には参加していない模様。栗原くん入りの再結成も見てみたい。
イギリスでは昨年11月からフィル・コリンズ期のジェネシスが再結成しているはずで、私は「トリック・オブ・ザ・テイル」から「静寂の嵐」期の作品が好きなので、ぜひ来日して欲しいところ。
先日はエイジアも来日したんですよね。行きませんでしたが。(笑)
再開する、再結成するって、けっこう度胸いると思う。
で、来年はオリジナル・ウルトラビデ結成30周年なので、もう1度だけ再結成&ライブでもしてみようかなと思ったり。HIDEくんにきいてみなきゃわからないけどね。
40周年ライブはきっとありえないから、最後のタイミングかな、などと思ったり。
先日帰国していたあやちゃんから、ニヒリスト・スパズム・バンドのメンバーの年齢が70才近くになってきたことを聞かされ、いろいろ思いました。
そういえばニヒリスト・スパズム・バンドの初来日公演はもう11年前、か。
2007年03月16日
2007年03月13日
タバコ
おそらくは大学生の4年間は、喫煙していたと思う。
卒業後、たしか金銭的な節約のために禁煙してから、すっかり嫌煙家になってしまった。
いまは忙しいこともあり、体力が落ちているのか、タバコをそばで吸われるだけでノドを痛める>そのまま風邪をひくということが多くなり、困っている。
どうしても音楽の関係者は喫煙家が多いし、楽屋やライブハウスは煙い。
のきなみその現場から離れることになってしまう。
学生の時は、たしか両切りのタバコも吸っていた。
シンセイやバットなど、安いタバコがなんだか格好良く思えて、ポケットに忍ばせていたように思う。
そしてジャズ喫茶に入り浸っていた思い出とタバコはリンクする。
おいしそうにタバコをふかす老人などを見るとなんだかうらやましくなるが、もう自分では喫煙することはないだろうと思う。
いつだったか、ルネッサンスの中島さんに『ぼくらタバコを吸う人間は「一服する」という時にタバコを吸うけれど、タバコを吸わない人は一服する時にどうするの?』と訊かれたことがある。
その時はどう答えたか、忘れた。
今なら、コーヒーを飲む、とか、答えるのかな。
コーヒーの摂取量も、年々減っているけれども。
卒業後、たしか金銭的な節約のために禁煙してから、すっかり嫌煙家になってしまった。
いまは忙しいこともあり、体力が落ちているのか、タバコをそばで吸われるだけでノドを痛める>そのまま風邪をひくということが多くなり、困っている。
どうしても音楽の関係者は喫煙家が多いし、楽屋やライブハウスは煙い。
のきなみその現場から離れることになってしまう。
学生の時は、たしか両切りのタバコも吸っていた。
シンセイやバットなど、安いタバコがなんだか格好良く思えて、ポケットに忍ばせていたように思う。
そしてジャズ喫茶に入り浸っていた思い出とタバコはリンクする。
おいしそうにタバコをふかす老人などを見るとなんだかうらやましくなるが、もう自分では喫煙することはないだろうと思う。
いつだったか、ルネッサンスの中島さんに『ぼくらタバコを吸う人間は「一服する」という時にタバコを吸うけれど、タバコを吸わない人は一服する時にどうするの?』と訊かれたことがある。
その時はどう答えたか、忘れた。
今なら、コーヒーを飲む、とか、答えるのかな。
コーヒーの摂取量も、年々減っているけれども。
2007年03月12日
佐々木匡士くんの作品群
稲川淳二の怖い話の中で、とっておきの話で「生き人形」というのがある。
有名な話なので知っている人もいると思うが、知らない方はこのURLを参照↓
http://lifedoll.at.infoseek.co.jp/lifedoll.htm
その人形の話も怖いのだけれど、その中で稲川淳二一行が新幹線に大阪から夕方4時ころに乗車し、普通なら8時ころに三島に着くのに、着いたら深夜の0時頃だった、というエピソードがある。
4時間ほどタイムスリップしてしまっているような話だが、乗客全員ではなく、彼らだけが4時間も遅い別の電車に(無意識のうちに)移動してしまっているという、なんとも不思議な逸話である。
山口のシンガー/佐々木匡士くんの歌を聞いていると、そんなふうな不思議な感覚に襲われる。まるで"時"が別のベクトルで動いているような、彼の歌を聴き終わったら数時間たっていたというふうになっているのではないかと思うような、そんな感じ。
こんな歌手はそうそうはいないだろう。
佐々木匡士くんのCD-R作品群が先日AMSにたくさん入荷しました。
名作「もういない」を含む、各CD-Rですが、まあどれもすごい。
値段も安いので、1度聞いてみてください。
この間、ライブで来てくれた須原くんは1枚買ってくれた模様。
ありがとうね。

有名な話なので知っている人もいると思うが、知らない方はこのURLを参照↓
http://lifedoll.at.infoseek.co.jp/lifedoll.htm
その人形の話も怖いのだけれど、その中で稲川淳二一行が新幹線に大阪から夕方4時ころに乗車し、普通なら8時ころに三島に着くのに、着いたら深夜の0時頃だった、というエピソードがある。
4時間ほどタイムスリップしてしまっているような話だが、乗客全員ではなく、彼らだけが4時間も遅い別の電車に(無意識のうちに)移動してしまっているという、なんとも不思議な逸話である。
山口のシンガー/佐々木匡士くんの歌を聞いていると、そんなふうな不思議な感覚に襲われる。まるで"時"が別のベクトルで動いているような、彼の歌を聴き終わったら数時間たっていたというふうになっているのではないかと思うような、そんな感じ。
こんな歌手はそうそうはいないだろう。
佐々木匡士くんのCD-R作品群が先日AMSにたくさん入荷しました。
名作「もういない」を含む、各CD-Rですが、まあどれもすごい。
値段も安いので、1度聞いてみてください。
この間、ライブで来てくれた須原くんは1枚買ってくれた模様。
ありがとうね。

2007年03月10日
AMSで猿股茸美都子のライブ
引っ越ししたAMS店内でライブ演奏をできるようにした時、猿股茸美都子の演奏が出来ることがひとつの目標だった。
ドラムのあるバンドは無理で、Gx2+Bという猿股茸美都子のバンド編成が店内ライブではMAXだと思うからだ。
今日は埋火の見汐さんと須原くんのデュオと猿股茸美都子のライブがあった。
埋火は見たことがない。見汐さんに「はじめまして」と挨拶され、ああそうだったかと思う。
私が70年代にライブハウスで見た頃の中山ラビさんを少し思い出す見汐さん。
彼女は長く歌を歌うシンガーになるだろうなと思う。
須原くんはIDIOTの「空気銃」とジャックスのカヴァー。
いろいろ、思う。
猿股茸美都子は新曲かなと思う曲があったが、新曲ではなかったようで、しかしこの曲がおもしろく、心の中で「どないなってんねん」とほくそえんでいました。
音はバランスよく、ギターもベースも歌もよく聞こえた。
なんだかモノラルな感じ。
あとは手水がここでライブをやってくれたらな、と、夢みる。

ドラムのあるバンドは無理で、Gx2+Bという猿股茸美都子のバンド編成が店内ライブではMAXだと思うからだ。
今日は埋火の見汐さんと須原くんのデュオと猿股茸美都子のライブがあった。
埋火は見たことがない。見汐さんに「はじめまして」と挨拶され、ああそうだったかと思う。
私が70年代にライブハウスで見た頃の中山ラビさんを少し思い出す見汐さん。
彼女は長く歌を歌うシンガーになるだろうなと思う。
須原くんはIDIOTの「空気銃」とジャックスのカヴァー。
いろいろ、思う。
猿股茸美都子は新曲かなと思う曲があったが、新曲ではなかったようで、しかしこの曲がおもしろく、心の中で「どないなってんねん」とほくそえんでいました。
音はバランスよく、ギターもベースも歌もよく聞こえた。
なんだかモノラルな感じ。
あとは手水がここでライブをやってくれたらな、と、夢みる。

2007年03月08日
泥の河
都内のライブハウスのアニバーサリー企画、出演ブッキングの件を依頼され、私と三上寛さん+山本精一というトリオで出演することは決まっていて、そこに対バンをいろいろ考えている。
アニバーサリーなのでそこの小屋にまるで縁のない人だとちょっと困る。
しかし往年の音楽演奏家だともう鬼籍に入っていたり、バンドが解散していたりして、いろいろ考えてしまった。
その過程の中で、元スターリンのベーシストで杉山晋太郎のことを思いだした。
彼は亡くなる前、「泥の河」という名前のバンドをやっていたはずである。
昔に読んだ「泥の河」の話をもう一度読みたくなって、四条大宮の書店に入って、文庫本を買った。
蛍川・泥の河
解説を読んで初めて宮本輝のデビュー作がこの「泥の河」であることを知った。この作品で太宰治賞を受賞している。
最近は「オールウエイズ〜三丁目の夕日」や浅田次郎の作品の映画化で、昭和30年代が懐古的に美しく描かれることが多いが、実際はもっともっと日本は貧しく、生々しく汚れた国だったように思う。
私は昭和34年生まれなので、昭和30年代といっても38-39年程度の末期の記憶しかないし、正味は40年代の記憶になる。
それでも学校には貧しい子どもも、差別を受ける子どもも、いた。
小学校の時、「あの子と遊んだらあかんで」と言われた記憶が、何度かある。
それが自分の親だったのか、友人の親だったのかは記憶は定かでない。
「あの子自身は悪くないけれど。。。」と語尾を濁しながら、それでもその子の家や家族になんらかの問題のあった家であったことは、小学校低学年の私でもすぐにわかった。貧しかったからか、国籍か、仕事か、なにかが「普通ではない」ということだったのだろう。子どもにはどうでもいいことだし、今でもどうでもいいことだと思うし、その当時もそういった差別には子どもながらに憤りを感じていたと思う。
しかしそれでも、友人になり、その子の家に行き、さすがにその家の貧しさに驚いたこともある。
また別の友だちのアパートに行き、その四畳半の部屋ににいったい何人で住んでいるのか、驚いたこともあった。
戦後のことでもあり、戦争で身障者になった親を持つ子供も、友人に何人もいた。
小学校4年生の時に引っ越してきたMくんのことを、思い出した。
Mくんもなんらかの事情で「遊んではいけない」と言われた子どもだった。
私は差別を嫌悪していたからもちろんMくんに何の感情もなく友達になり、家に遊びに行き、そして彼の親から「こいつの友達になったってな」と、肩をたたかれて歓迎してくれたことも覚えている。
ある金曜日の夕方、Mくんと、放課後に砂場でプロレスごっこをした。
偶然、わたしが飛び込んでいった時、私の膝が彼の顔に命中した。
Mくんは泣き出してしまった。
いっしょにプロレスごっこをしていたOくんが「広重が本気になったらこんなんですまへんで。骨おれてたで」と、慰めの言葉になっていないような言葉をMくんにかけて、彼の肩を抱いて校門まで送っていったのを覚えている。
翌日の土曜日、Mくんは学校に来なかった。
そして翌週の月曜日、担任の先生からMくんが転校したことを知らされた。
転校の理由は語られなかった。
Mくんに関する記憶はこのぐらいだ。
「泥の河」を読んで、なんとなくMくんや、ほかの数人の友人の顔を、思い出した。
誰にでもはすすめないけれど、いつかどこかで読んでみてください。

アニバーサリーなのでそこの小屋にまるで縁のない人だとちょっと困る。
しかし往年の音楽演奏家だともう鬼籍に入っていたり、バンドが解散していたりして、いろいろ考えてしまった。
その過程の中で、元スターリンのベーシストで杉山晋太郎のことを思いだした。
彼は亡くなる前、「泥の河」という名前のバンドをやっていたはずである。
昔に読んだ「泥の河」の話をもう一度読みたくなって、四条大宮の書店に入って、文庫本を買った。
蛍川・泥の河
解説を読んで初めて宮本輝のデビュー作がこの「泥の河」であることを知った。この作品で太宰治賞を受賞している。
最近は「オールウエイズ〜三丁目の夕日」や浅田次郎の作品の映画化で、昭和30年代が懐古的に美しく描かれることが多いが、実際はもっともっと日本は貧しく、生々しく汚れた国だったように思う。
私は昭和34年生まれなので、昭和30年代といっても38-39年程度の末期の記憶しかないし、正味は40年代の記憶になる。
それでも学校には貧しい子どもも、差別を受ける子どもも、いた。
小学校の時、「あの子と遊んだらあかんで」と言われた記憶が、何度かある。
それが自分の親だったのか、友人の親だったのかは記憶は定かでない。
「あの子自身は悪くないけれど。。。」と語尾を濁しながら、それでもその子の家や家族になんらかの問題のあった家であったことは、小学校低学年の私でもすぐにわかった。貧しかったからか、国籍か、仕事か、なにかが「普通ではない」ということだったのだろう。子どもにはどうでもいいことだし、今でもどうでもいいことだと思うし、その当時もそういった差別には子どもながらに憤りを感じていたと思う。
しかしそれでも、友人になり、その子の家に行き、さすがにその家の貧しさに驚いたこともある。
また別の友だちのアパートに行き、その四畳半の部屋ににいったい何人で住んでいるのか、驚いたこともあった。
戦後のことでもあり、戦争で身障者になった親を持つ子供も、友人に何人もいた。
小学校4年生の時に引っ越してきたMくんのことを、思い出した。
Mくんもなんらかの事情で「遊んではいけない」と言われた子どもだった。
私は差別を嫌悪していたからもちろんMくんに何の感情もなく友達になり、家に遊びに行き、そして彼の親から「こいつの友達になったってな」と、肩をたたかれて歓迎してくれたことも覚えている。
ある金曜日の夕方、Mくんと、放課後に砂場でプロレスごっこをした。
偶然、わたしが飛び込んでいった時、私の膝が彼の顔に命中した。
Mくんは泣き出してしまった。
いっしょにプロレスごっこをしていたOくんが「広重が本気になったらこんなんですまへんで。骨おれてたで」と、慰めの言葉になっていないような言葉をMくんにかけて、彼の肩を抱いて校門まで送っていったのを覚えている。
翌日の土曜日、Mくんは学校に来なかった。
そして翌週の月曜日、担任の先生からMくんが転校したことを知らされた。
転校の理由は語られなかった。
Mくんに関する記憶はこのぐらいだ。
「泥の河」を読んで、なんとなくMくんや、ほかの数人の友人の顔を、思い出した。
誰にでもはすすめないけれど、いつかどこかで読んでみてください。

2007年03月04日
ここ数日のこと
1週間の前半は東京、後半は関西というペース。
年齢をとってから毎日の過ぎゆくペースは早いが、ますます早くなっているようだ。
横浜でライブをしたのは水曜日。
その時、ややはしゃぎ気味の対バンの、名前も知らないギタリストから「広重さんも音楽マニアですか?」などときかれる。
音楽マニアって何?って思うも、おそらく音楽をマニアックに好きだったのは20年以上前のことだろう。
たいがいのものはもう聞いたし、その中でも今でも聞くものはたかがしれている。
こんな私はもう音楽マニアではないだろう。
とうめいロボのちひろちゃんに「私は広重さんの歌を10代の時に聞きたかったし、今の10代の人たちにも広重さんの歌を聞いてほしい」と言われる。
その意味はわかるけれど、私はむしろとうめいロボの歌をもっと多くの人に聞いてもらいたいと、思ってしまったりして。
雑誌「スタジオヴォイス」にヴァーミリオン・サンズの記事掲載。
いわゆるサブカル雑誌などというものはもう世の中から姿を消しているし、例えば過去にスタジオヴォイスを読んでいた世代は今はもう読んでいないと思うし、どういった読者にこの本は向けられて出版されているのか、私はわからない。
でも毎月出ているから、きっときちんと売れているのだろう。そして読者はヴァーミリオン・サンズの記事を読んでどう思うのか、私にはそれすらもわからない。
3月25日、AMSでDOODLESのあっこちゃんが利光くんとのユニットで来てくれる。
対バンで私も久しぶりに歌おうと思う。尾谷直子に、手伝ってもらうことになっている。
フランス人で、一昨年DOODLESと私のフランスツアーをブッキングしてくれたこともあるミッシェル・アンリツィが、フランスの文化交流基金のようなものを利用して、今年の1月から京都に滞在している。
彼のブッキングで出演したり、いくつかかかわったりしているが、少し気持ちが行き違うことが多くなってきている。
決定的にスタンスが違う、ということ。
それをうまく英語で説明できない。無念。
年齢をとってから毎日の過ぎゆくペースは早いが、ますます早くなっているようだ。
横浜でライブをしたのは水曜日。
その時、ややはしゃぎ気味の対バンの、名前も知らないギタリストから「広重さんも音楽マニアですか?」などときかれる。
音楽マニアって何?って思うも、おそらく音楽をマニアックに好きだったのは20年以上前のことだろう。
たいがいのものはもう聞いたし、その中でも今でも聞くものはたかがしれている。
こんな私はもう音楽マニアではないだろう。
とうめいロボのちひろちゃんに「私は広重さんの歌を10代の時に聞きたかったし、今の10代の人たちにも広重さんの歌を聞いてほしい」と言われる。
その意味はわかるけれど、私はむしろとうめいロボの歌をもっと多くの人に聞いてもらいたいと、思ってしまったりして。
雑誌「スタジオヴォイス」にヴァーミリオン・サンズの記事掲載。
いわゆるサブカル雑誌などというものはもう世の中から姿を消しているし、例えば過去にスタジオヴォイスを読んでいた世代は今はもう読んでいないと思うし、どういった読者にこの本は向けられて出版されているのか、私はわからない。
でも毎月出ているから、きっときちんと売れているのだろう。そして読者はヴァーミリオン・サンズの記事を読んでどう思うのか、私にはそれすらもわからない。
3月25日、AMSでDOODLESのあっこちゃんが利光くんとのユニットで来てくれる。
対バンで私も久しぶりに歌おうと思う。尾谷直子に、手伝ってもらうことになっている。
フランス人で、一昨年DOODLESと私のフランスツアーをブッキングしてくれたこともあるミッシェル・アンリツィが、フランスの文化交流基金のようなものを利用して、今年の1月から京都に滞在している。
彼のブッキングで出演したり、いくつかかかわったりしているが、少し気持ちが行き違うことが多くなってきている。
決定的にスタンスが違う、ということ。
それをうまく英語で説明できない。無念。
2007年03月03日
林くんの誕生日
3月3日は故・林直人くんの誕生日だった。
故人の誕生日を祝うということに意味があるのかどうかはわからない。
しかし、命日よりは祝う意味はある気もするね。
林くんが亡くなってから、友人だった北嶋建也くんが毎年3月3日にベアーズで林くん追悼のようなイベントを行っていたが、彼自身が忙しくなってしまったのか、今年は開催されなかった。
たまたま今日、私にはAMSでソロのライブがはいっていたので、その演奏冒頭でアウシュビッツの「Too Late」をカヴァーして演奏させてもらった。
空の上の林くんに届いたかどうかはわからない。
ミッシェルとキャプテンこと秋山くんのライブも。
お客さんは少なかったけれど、いいライブだった気がする。
それでいいのだ。
故人の誕生日を祝うということに意味があるのかどうかはわからない。
しかし、命日よりは祝う意味はある気もするね。
林くんが亡くなってから、友人だった北嶋建也くんが毎年3月3日にベアーズで林くん追悼のようなイベントを行っていたが、彼自身が忙しくなってしまったのか、今年は開催されなかった。
たまたま今日、私にはAMSでソロのライブがはいっていたので、その演奏冒頭でアウシュビッツの「Too Late」をカヴァーして演奏させてもらった。
空の上の林くんに届いたかどうかはわからない。
ミッシェルとキャプテンこと秋山くんのライブも。
お客さんは少なかったけれど、いいライブだった気がする。
それでいいのだ。