旅
2009年02月24日
京都の追憶
京都へ。
非常階段の30年史的な単行本を出版する話があり、ライターの方と取材のため、京都へ。
私の77-82年あたり、つまり高校から大学時代に京都で過ごした跡を追う小旅行となったのだが、HIDEくんに「BIDEガレージコンサート」の話を聞いたり、どらっぐすとうあ跡地、彷徨館跡地などに赴いた。
どらっぐすとうあはカラオケスナックになっていたし、彷徨館のあったところは中華料理屋と居酒屋になっていたなあ。
でも当時あった店もまだあったりして、いろいろなことを思い出した。
百万遍交差点まで行ったので、昨年閉店した「きりん館」跡地にも行ってみた。
閉店のお知らせにすらきりん館の文字もなく、看板もなく、ここにきりん館があった痕跡はまるでなくなっていた。
そうでしたか。
そうですか。
そんな気持ちになったなあ。
非常階段の30年史的な単行本を出版する話があり、ライターの方と取材のため、京都へ。
私の77-82年あたり、つまり高校から大学時代に京都で過ごした跡を追う小旅行となったのだが、HIDEくんに「BIDEガレージコンサート」の話を聞いたり、どらっぐすとうあ跡地、彷徨館跡地などに赴いた。
どらっぐすとうあはカラオケスナックになっていたし、彷徨館のあったところは中華料理屋と居酒屋になっていたなあ。
でも当時あった店もまだあったりして、いろいろなことを思い出した。
百万遍交差点まで行ったので、昨年閉店した「きりん館」跡地にも行ってみた。
閉店のお知らせにすらきりん館の文字もなく、看板もなく、ここにきりん館があった痕跡はまるでなくなっていた。
そうでしたか。
そうですか。
そんな気持ちになったなあ。
2009年01月06日
横浜・東京
仕事の打ち合わせで横浜へ。
横浜といっても、新横浜で新幹線をおりて、地下鉄でセンター南駅でおりる。
初めて来た土地。おそらく横浜や東京のベッドタウンのような場所なんだろうけれど、とても便利で、静かで、いい町ですね。
あざみ野に出て、田園都市線で渋谷に出るのも近い。
東京や千葉、神奈川は本当に便利で、なおかつ私鉄や地下鉄の料金が安い。
地方都市はどうやってもかなわないわけが、よくわかります。
東京都内に出てくると、なんだかおとなしい町になった雰囲気。
東京って、こんなにスカスカでしたっけ。不景気だから?
怪しげな雰囲気があまりないんですよねえ。
大阪のほうがよほど暗黒都市だなあ。
犯罪の多さを自慢する必要はないけどね。
都会と地方都市の問題をいろいろ考えてしまいました。
横浜といっても、新横浜で新幹線をおりて、地下鉄でセンター南駅でおりる。
初めて来た土地。おそらく横浜や東京のベッドタウンのような場所なんだろうけれど、とても便利で、静かで、いい町ですね。
あざみ野に出て、田園都市線で渋谷に出るのも近い。
東京や千葉、神奈川は本当に便利で、なおかつ私鉄や地下鉄の料金が安い。
地方都市はどうやってもかなわないわけが、よくわかります。
東京都内に出てくると、なんだかおとなしい町になった雰囲気。
東京って、こんなにスカスカでしたっけ。不景気だから?
怪しげな雰囲気があまりないんですよねえ。
大阪のほうがよほど暗黒都市だなあ。
犯罪の多さを自慢する必要はないけどね。
都会と地方都市の問題をいろいろ考えてしまいました。
2008年12月24日
徳島にて
高知からの帰り道、徳島で途中下車。
まずはハードスタッフ発行人の小西さんに会いに行く。
ハードスタッフ12号は2000部作ったが、私が在庫を見る限り、600部はもう切っている模様。小西さんがおっしゃるには自宅に100部ほど持ち帰っているので、700部弱くらいが手元の在庫だとのこと。実際に流通しだしてから1ヶ月なので、自費出版のミニコミとしては驚異的な売れ行きではないかと思う。
みなさんも売り切れないうちに、入手しておいてください。後年、プレミア価値で取引されるのは必至の本だと思います。
小西さんに、北島町に出来た古書店「ドリス」に連れていってもらう。
古書ドリス
アート系を中心にサブカルチャーや幻想文学など、かなりの品揃え。プライスも破格のお値段。徳島市内の古書店「ソラリス」もすごかったけれど、こちらもいい本を安価で提供なさっていますね。徳島の古書ファンは幸せだ。
ぜひ四国の方、徳島に寄られたら古書ドリスにも寄ってみてください。興味をそそる本がいっぱいあります。車でいかないと、ちょっとむつかしい場所かもしれませんが、行く価値ありです。
私も今日は、ハードスタッフで林くんが小学生の時に読んだとインタビューで答えていた「幻想と怪奇」の創刊号を1500円で発見、さらに藤枝静男/欣求浄土の1970年の初版本・状態良好のを1500円で発見、嬉しく買わせていただきました。
高柳昌行/阿部薫のCD「解体的交感」も1800円と安値。いいですねえ。
何時間でも滞在してしまいそうでしたが、今日は定休日なのに、小西さんが私が来るからと言ってくださり、無理に開けてくださったとのこと。感謝。
わずか2日間の四国滞在でしたが、いい気分でした。
また来ます。
まずはハードスタッフ発行人の小西さんに会いに行く。
ハードスタッフ12号は2000部作ったが、私が在庫を見る限り、600部はもう切っている模様。小西さんがおっしゃるには自宅に100部ほど持ち帰っているので、700部弱くらいが手元の在庫だとのこと。実際に流通しだしてから1ヶ月なので、自費出版のミニコミとしては驚異的な売れ行きではないかと思う。
みなさんも売り切れないうちに、入手しておいてください。後年、プレミア価値で取引されるのは必至の本だと思います。
小西さんに、北島町に出来た古書店「ドリス」に連れていってもらう。
古書ドリス
アート系を中心にサブカルチャーや幻想文学など、かなりの品揃え。プライスも破格のお値段。徳島市内の古書店「ソラリス」もすごかったけれど、こちらもいい本を安価で提供なさっていますね。徳島の古書ファンは幸せだ。
ぜひ四国の方、徳島に寄られたら古書ドリスにも寄ってみてください。興味をそそる本がいっぱいあります。車でいかないと、ちょっとむつかしい場所かもしれませんが、行く価値ありです。
私も今日は、ハードスタッフで林くんが小学生の時に読んだとインタビューで答えていた「幻想と怪奇」の創刊号を1500円で発見、さらに藤枝静男/欣求浄土の1970年の初版本・状態良好のを1500円で発見、嬉しく買わせていただきました。
高柳昌行/阿部薫のCD「解体的交感」も1800円と安値。いいですねえ。
何時間でも滞在してしまいそうでしたが、今日は定休日なのに、小西さんが私が来るからと言ってくださり、無理に開けてくださったとのこと。感謝。
わずか2日間の四国滞在でしたが、いい気分でした。
また来ます。
2008年10月11日
新朝日軒
昨夜11時27分大阪発の急行きたぐにで新潟入り。
世間は3連休とあって、A寝台、B寝台、グリーンもすべて満席。
こんな混みあったきたぐにの乗車は初めて。
新潟で昼間はカードの仕事。
夕方に終えて、ホテルにチェックインしてから町へ。
床屋を探す。
地方に旅に出て、地元の床屋に行くのを、ちょっとした楽しみにしている。
最近は1000円カット、のような安かろう悪かろうな床屋が幅をきかして、昔ながらの床屋はずいぶん減っている気がする。
新潟の古町を少し離れると、一筋の通りに床屋の宣伝灯が4個も並ぶ光景を見つけてびっくり。そのほかに美容室もいくつかあるので、なんだか”ヘアカット通り”とでも名づけたいようなストリートですね。
「カットサロン銀座」という店にもひかれたが、おじいさんとおばあさんが仲良くテレビを見ている、なんだか昭和なスタイルの床屋「新朝日軒」に決めた。
すっきりしていただきました。
すばらしい床屋さんでした。地元の方も、旅の方も、ぜひこのお店、使ってあげてください。
さてさて、能勢山くんとちょっと飲みに出てきます。
世間は3連休とあって、A寝台、B寝台、グリーンもすべて満席。
こんな混みあったきたぐにの乗車は初めて。
新潟で昼間はカードの仕事。
夕方に終えて、ホテルにチェックインしてから町へ。
床屋を探す。
地方に旅に出て、地元の床屋に行くのを、ちょっとした楽しみにしている。
最近は1000円カット、のような安かろう悪かろうな床屋が幅をきかして、昔ながらの床屋はずいぶん減っている気がする。
新潟の古町を少し離れると、一筋の通りに床屋の宣伝灯が4個も並ぶ光景を見つけてびっくり。そのほかに美容室もいくつかあるので、なんだか”ヘアカット通り”とでも名づけたいようなストリートですね。
「カットサロン銀座」という店にもひかれたが、おじいさんとおばあさんが仲良くテレビを見ている、なんだか昭和なスタイルの床屋「新朝日軒」に決めた。
すっきりしていただきました。
すばらしい床屋さんでした。地元の方も、旅の方も、ぜひこのお店、使ってあげてください。
さてさて、能勢山くんとちょっと飲みに出てきます。
2008年03月24日
中田島砂丘にて
せっかく浜松に来たので、ライブの翌日の本日は旧友に会うことにした。
学生時代のアルバイト先での友人のSくんが旧天竜市に住んでいるので、月曜日だけれども休みをとってもらって約20年ぶりに再会したのである。
Sくんといっしょにアルバイトをしたり遊んだりしていたのは1980年から81年の2年間くらい。通う大学も違ったし、音楽の趣味もぜんぜん違っていて、以前このblogで紹介したHくんなどはレコードやエフェクターを借りたりした仲だったのだけれども、そちらの方面ではまったくリンクしない友人だった。
こちらは非常階段だなんだとわやくちゃな音楽をさんざんやっていた頃だったが、そういった話もSくんにはほとんどすることもなく、また彼がライブを見に来ることもなく、ひとりの友人として交流していたのは、今思えばとても不思議な気がする。
朝10時にホテルのロビーで会い、喫茶店で1時間半くらい話をしたが、まったくスタンスのかわっていないお互いにも驚くし、その後の人生の話をお互いにするのだけれども、生き方のスタンスが変わっていないので、常識で言えば突拍子もない出来事も彼がしたことならすんなり理解できてしまう。
例えば彼はネパールの2つの学校に6キロもの水道を引くという事業をボランティアで成し遂げてしまっている。
彼がたまたま旅行で立ち寄った先のネパールの子供、貧しいので鉛筆がなかなか買えないという。じゃあ次に行く時にリュックのよこに鉛筆を少し詰めて持っていく、ということをはじめた。その話が新聞に載り、話題になり、彼のところに大量の鉛筆が集まり、次に行く時には数千本の鉛筆を持っていくことになった。
しかし子供に会うと、実は学校に行きたくないという。なぜかときくと、学校には水道がないので谷底からバケツで水を汲んで学校に運ばなくてはいけない、その作業がしんどいのだという。じゃあ水道を引けないのか、ということを彼は考え、仲間と資金を集め、寄付をつのって、ついに学校に水道を引いてしまったのである。
彼はさらりと話すけれども、旅先で知り合った人、そこの出来事、なにか出来ないかという思い、その後の彼の熱意と行動力は、見事だ。
彼のエピソードにはこんな話がいくつもポンポン出てくる。そしていつもは、2児のパパの、ごく普通の公務員であるというところが、徳島の小西さんや神奈川のコサカイくんと共通するものがある。
彼の家の前には牧草地があり、前には川が流れ、メダカが泳ぎ蛍が舞い、夏にはカブトムシやクワガタが家に飛び込んでくるという。ふたりの男の子たちはは素晴らしい環境で育っていることがすぐにわかる。
なんて生き生きとした人生を送っているのだ。
君と友達だったことを誇りに思う。
24年前に彼の家に初めて立ち寄った時は、浜名湖が一望できる山の上の公園に連れて行ってくれた。その時の光景を、ふたりともが克明に記憶していたのは嬉しかったな。
あの時、山があまりに静かで、麓の小学校の子供達の声が山頂にまで届いていたんだよね。
あの時の子供の声は、たぶん一生忘れないよ。
今日は中田島砂丘に連れて行ってくれた。
日本の三大砂丘らしいが、鳥取砂丘、九十九里浜ほどは知られていないと彼は言う。
ウミガメが産卵に来るというその広大な砂浜、押し寄せる激しい波は、これまた見事で雄大だった。
また再会を約束し、浜松を後にした。
帰途、新名神を車で走る。
三上寛さんの昔のアルバムを尾谷と聞きながら、楽しく大阪までドライブ。
『しぼり具合によちゃあ、天ぷらあぶらもとれるって話だってさ』
学生時代のアルバイト先での友人のSくんが旧天竜市に住んでいるので、月曜日だけれども休みをとってもらって約20年ぶりに再会したのである。
Sくんといっしょにアルバイトをしたり遊んだりしていたのは1980年から81年の2年間くらい。通う大学も違ったし、音楽の趣味もぜんぜん違っていて、以前このblogで紹介したHくんなどはレコードやエフェクターを借りたりした仲だったのだけれども、そちらの方面ではまったくリンクしない友人だった。
こちらは非常階段だなんだとわやくちゃな音楽をさんざんやっていた頃だったが、そういった話もSくんにはほとんどすることもなく、また彼がライブを見に来ることもなく、ひとりの友人として交流していたのは、今思えばとても不思議な気がする。
朝10時にホテルのロビーで会い、喫茶店で1時間半くらい話をしたが、まったくスタンスのかわっていないお互いにも驚くし、その後の人生の話をお互いにするのだけれども、生き方のスタンスが変わっていないので、常識で言えば突拍子もない出来事も彼がしたことならすんなり理解できてしまう。
例えば彼はネパールの2つの学校に6キロもの水道を引くという事業をボランティアで成し遂げてしまっている。
彼がたまたま旅行で立ち寄った先のネパールの子供、貧しいので鉛筆がなかなか買えないという。じゃあ次に行く時にリュックのよこに鉛筆を少し詰めて持っていく、ということをはじめた。その話が新聞に載り、話題になり、彼のところに大量の鉛筆が集まり、次に行く時には数千本の鉛筆を持っていくことになった。
しかし子供に会うと、実は学校に行きたくないという。なぜかときくと、学校には水道がないので谷底からバケツで水を汲んで学校に運ばなくてはいけない、その作業がしんどいのだという。じゃあ水道を引けないのか、ということを彼は考え、仲間と資金を集め、寄付をつのって、ついに学校に水道を引いてしまったのである。
彼はさらりと話すけれども、旅先で知り合った人、そこの出来事、なにか出来ないかという思い、その後の彼の熱意と行動力は、見事だ。
彼のエピソードにはこんな話がいくつもポンポン出てくる。そしていつもは、2児のパパの、ごく普通の公務員であるというところが、徳島の小西さんや神奈川のコサカイくんと共通するものがある。
彼の家の前には牧草地があり、前には川が流れ、メダカが泳ぎ蛍が舞い、夏にはカブトムシやクワガタが家に飛び込んでくるという。ふたりの男の子たちはは素晴らしい環境で育っていることがすぐにわかる。
なんて生き生きとした人生を送っているのだ。
君と友達だったことを誇りに思う。
24年前に彼の家に初めて立ち寄った時は、浜名湖が一望できる山の上の公園に連れて行ってくれた。その時の光景を、ふたりともが克明に記憶していたのは嬉しかったな。
あの時、山があまりに静かで、麓の小学校の子供達の声が山頂にまで届いていたんだよね。
あの時の子供の声は、たぶん一生忘れないよ。
今日は中田島砂丘に連れて行ってくれた。
日本の三大砂丘らしいが、鳥取砂丘、九十九里浜ほどは知られていないと彼は言う。
ウミガメが産卵に来るというその広大な砂浜、押し寄せる激しい波は、これまた見事で雄大だった。
また再会を約束し、浜松を後にした。
帰途、新名神を車で走る。
三上寛さんの昔のアルバムを尾谷と聞きながら、楽しく大阪までドライブ。
『しぼり具合によちゃあ、天ぷらあぶらもとれるって話だってさ』
2008年03月12日
深日港を思う
堺へ。
高い塀のある家に住む旧友に会いに行くも不在で会えず。
堺から大阪・なんばに戻るのに南海電車に乗車。
路線図を見ていると、「深日港」の文字を見つけて、しばし感慨にふける。
1980年〜1982年、友人に会いに何度も深日港から徳島フェリーに乗船して徳島に行った。当時は瀬戸大橋はもちろん、明石海峡大橋もまだなく、淡路島や四国にはフェリーを利用するしかなかった。たぶん神戸や大阪南港からもフェリーは出航していたと思うが、たぶん値段が一番安かったのであろう、大阪の和歌山寄りである深日港からのフェリーを利用していた。
当時の南海電車でみさき公園駅まで行き、多奈川線に乗り換えて深日港まで行った。電車の窓から見えるみさき公園の様子が広々として家族連れが楽しそうで、いつか行ってみたいと思っていたが、いまだ実現していない。
深日港のフェリー乗り場、乗船する時の桟橋、船の二等船室、徳島に近づく時の光景。
そんな当時見た景色がフラッシュバックのように脳裏をよぎる。
いま、電車を乗り換えて、深日港まで行けば、あの頃の徳島行きのフェリーが出航しているかもしれない。
そんなノスタルジックな夢物語を南海電車で過ごす。
南海電車のなんば駅を降りると、煉瓦色の柱は今でもある。
その柱の思い出だって、ある。
南海電車は私にとって、ちょっとせつなくて、ちょっと、重い。
もう深日港からはフェリーは出ていないのですね。
http://ku-gyou.net/shitetsu/nk-fukekou.html
昔の徳島の情報。こういう情報はなかなか残っていないので、助かります。
小西さんもこういう情報を今のうちに集めておいたほうがいいかも。
http://machibbs.net/~tyousan/982561742.html
高い塀のある家に住む旧友に会いに行くも不在で会えず。
堺から大阪・なんばに戻るのに南海電車に乗車。
路線図を見ていると、「深日港」の文字を見つけて、しばし感慨にふける。
1980年〜1982年、友人に会いに何度も深日港から徳島フェリーに乗船して徳島に行った。当時は瀬戸大橋はもちろん、明石海峡大橋もまだなく、淡路島や四国にはフェリーを利用するしかなかった。たぶん神戸や大阪南港からもフェリーは出航していたと思うが、たぶん値段が一番安かったのであろう、大阪の和歌山寄りである深日港からのフェリーを利用していた。
当時の南海電車でみさき公園駅まで行き、多奈川線に乗り換えて深日港まで行った。電車の窓から見えるみさき公園の様子が広々として家族連れが楽しそうで、いつか行ってみたいと思っていたが、いまだ実現していない。
深日港のフェリー乗り場、乗船する時の桟橋、船の二等船室、徳島に近づく時の光景。
そんな当時見た景色がフラッシュバックのように脳裏をよぎる。
いま、電車を乗り換えて、深日港まで行けば、あの頃の徳島行きのフェリーが出航しているかもしれない。
そんなノスタルジックな夢物語を南海電車で過ごす。
南海電車のなんば駅を降りると、煉瓦色の柱は今でもある。
その柱の思い出だって、ある。
南海電車は私にとって、ちょっとせつなくて、ちょっと、重い。
もう深日港からはフェリーは出ていないのですね。
http://ku-gyou.net/shitetsu/nk-fukekou.html
昔の徳島の情報。こういう情報はなかなか残っていないので、助かります。
小西さんもこういう情報を今のうちに集めておいたほうがいいかも。
http://machibbs.net/~tyousan/982561742.html
2007年12月06日
恋恋風塵
私は飛行機に乗る時にはANAが多い。
まあ、マイルをためる都合上スターアライアンス系に乗らざるをえないのだけれども、機内サービスはJALとそんなには変わらないが、機内誌は圧倒的にANAの「翼の王国」に軍配が上がる。
おそらくは編集長か、編集のスタッフの上のクラスに頭の良い人がいるに違いない。
たいがいは機内誌はあたりさわりのない旅の紹介でいいものだが、「翼の王国」はけっこうマニアックな話題や、センチメンタルな小説・紀行文が多い。
昨年はたしか寺山修司やアンディ・ウォーホールの、かなり実際に密に接していないとわからないようなエッセイが掲載されていた(文章はたしか元平凡パンチの編集長だったかな)し、もう連載は終わったが、カクテルにまつわるちょっとした恋(たいがいは悲恋)の読み切り小説も粋だった。
現在の「翼の王国」では吉田修一作による「あの空の下で」という読み切り小説がいかしている。5月号の「自転車泥棒」の回はかなりの出来映えで、読者があちこちのblogで絶賛するコメントも多かったように思う。
今月の第9回「恋恋風塵」もなかなか素晴らしい作品。
もちろん「恋恋風塵」は侯孝賢監督の20年くらい前に公開された映画のタイトル。みずみずしい台湾の人の生活と友情、そして哀しい恋が描かれた超がつく傑作だが、そこからタイトルをつけているのは間違いないように、今回は台湾をシチュエーションにした旅ものの小説だ。
冒頭の駅改札での慌ただしいシーン、老女との一瞬の接触と、その瞬間の意味を主人公が列車に飛び乗って数分後に気がつき、悔いる場面があまりにも素晴らしい。
この話はANAの飛行機に乗らないと読めないのでネタバレしてもよさそうだが、まあ今月中にANAに乗る方のために結末は伏せておく。
でも、ある恋が悲しい恋に終わった人に読ませたいエンディングの言葉は記しておこう。
『何が悪かったのではなく、何が良かったのかを考えながら、終わる関係というのもあるのだろう』
そうそう、ANAは機内で聞ける音楽番組も、いつもではないけれども、選曲はいいですよ。
5年くらい前、まだインディーズ時代の浜田真理子「THE CROW」が機内放送J-POPプログラムに収録されていたのには驚いた。
この冬、とうめいロボの「雪」でも収録されていたら、もっと驚くが!(そんなことはないけれど)
まあ、マイルをためる都合上スターアライアンス系に乗らざるをえないのだけれども、機内サービスはJALとそんなには変わらないが、機内誌は圧倒的にANAの「翼の王国」に軍配が上がる。
おそらくは編集長か、編集のスタッフの上のクラスに頭の良い人がいるに違いない。
たいがいは機内誌はあたりさわりのない旅の紹介でいいものだが、「翼の王国」はけっこうマニアックな話題や、センチメンタルな小説・紀行文が多い。
昨年はたしか寺山修司やアンディ・ウォーホールの、かなり実際に密に接していないとわからないようなエッセイが掲載されていた(文章はたしか元平凡パンチの編集長だったかな)し、もう連載は終わったが、カクテルにまつわるちょっとした恋(たいがいは悲恋)の読み切り小説も粋だった。
現在の「翼の王国」では吉田修一作による「あの空の下で」という読み切り小説がいかしている。5月号の「自転車泥棒」の回はかなりの出来映えで、読者があちこちのblogで絶賛するコメントも多かったように思う。
今月の第9回「恋恋風塵」もなかなか素晴らしい作品。
もちろん「恋恋風塵」は侯孝賢監督の20年くらい前に公開された映画のタイトル。みずみずしい台湾の人の生活と友情、そして哀しい恋が描かれた超がつく傑作だが、そこからタイトルをつけているのは間違いないように、今回は台湾をシチュエーションにした旅ものの小説だ。
冒頭の駅改札での慌ただしいシーン、老女との一瞬の接触と、その瞬間の意味を主人公が列車に飛び乗って数分後に気がつき、悔いる場面があまりにも素晴らしい。
この話はANAの飛行機に乗らないと読めないのでネタバレしてもよさそうだが、まあ今月中にANAに乗る方のために結末は伏せておく。
でも、ある恋が悲しい恋に終わった人に読ませたいエンディングの言葉は記しておこう。
『何が悪かったのではなく、何が良かったのかを考えながら、終わる関係というのもあるのだろう』
そうそう、ANAは機内で聞ける音楽番組も、いつもではないけれども、選曲はいいですよ。
5年くらい前、まだインディーズ時代の浜田真理子「THE CROW」が機内放送J-POPプログラムに収録されていたのには驚いた。
この冬、とうめいロボの「雪」でも収録されていたら、もっと驚くが!(そんなことはないけれど)