2009年06月28日

ドイツ・最終日

今回の対バンでユニークだったのは、27日に対バンした、フランスからきたバンド「MINAMATA」でした。

もちろん「水俣」のことで、18才の時にニュースで水俣病の写真を見て衝撃をうけ、この社会的、経済的事件についてのことがリーダーのライフワークになったというこのバンド、「水俣」と日本語で書いたTシャツを着たり、ステージでは水俣関連の写真をコラージュしたインダストリアルな映像&演奏をしているみたいだが、日本では演奏をしたことがないという。

水俣市にも手紙を書き、招待してくれるように要請したらしいが返事はなかったとのこと。彼らは日本でライブをするのが夢だと語っていたが、おおよそ日本の政府関係者や芸術関係者が興味を持ちそうな内容ではないというのが、なんだかすごいです。
そしてこのバンドを、もう25年も演っているという。ええー。

ライブを少し見ましたが、内容は。。。。いまいちでした、はい。

ただ、もう日本ですら過去の事件として、若者は忘れつつある水俣病のことを、こんな異国で真剣に考えている人がいるというのは、なんだか意味があるようにも思えますね。


早朝の空港にヨークに送ってもらって、お別れ。
マニさんもハイデルベルグに帰るという。またね。お世話になりました。


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2009年06月27日

ドイツ・4日目

マニ・ノイメイヤーはもちろんグルグルの創始者であり、1960年代からジャズ、ロック、アヴァンギャルドの世界で活躍するドラマーだが、毎年日本に来ていることもあり、奥さんも日本人で、すっかり親日家になっている。

「マニさん・イン・ジャパン」というCDを作ったのだといって、私にサンプルをくれた。昨年の私とのセッションも収録されているが、ジャケットが凄い。富士山をバックに「KAN GURU」の裏ジャケットで有名なあの写真のマニさんが空を飛んでいるのである。これは凄いよ、凄すぎます、マニさん。みなさんもどこかで見かけたら、ジャケットだけでも一見の価値ありです。
manisan





マニさんは実はチョコレートが大好物だという。ヨークから私が一昨日にチョコレートミュージアムに行ったと聞いたマニさん、オレも行きたい!と言い張る。しかたなくまたテクテクとマニさんご一行連れて、ケルンまで行って、2回目のチョコレートミュージアムへ。もう電車の切符の買い方も、駅からミュージアムまでの道順も、途中のビールのおいしいカフェも、私は完璧です。『JOJOは最高のナビゲーターだ』とマニさんからお褒めいただきました。まさか高校時代に日本でグルグルこそクラウトロックの神とあがめていた私が、そのグルグルの人を連れてドイツ・ケルンを案内することになろうとは夢にも思いませんでした。長生きはするものですね。私は幸せものです。

そうそう、ウリ・トレプテが今年の5月に癌で亡くなったという情報をマニさんからもらいました。残念。1度会いたかったな。


メガフォンへ戻ってサウンドチェック。後半、ヨークもセッションに参加するという。はいはい、かまいませんよ、おや、インキャパシタンツのような機材のセッティングに、マゾンナのような缶状のコンタクトマイク楽器。本当に日本のノイズが好きなんですね。。。って、出てくる音が「グボボボボ」とあまりにも単調。。。
「もっとダイナミックに演奏してよ」と私が言うと、マニさんもヨークに「もっと音を出し入れしろ」といろいろと説教。ヨーク、ノイズの達人とロックの達人にしごかれています。(笑)

えーっと、我々のライブは大成功。観客は前列でヘッドバンキングして大暴れ。ヨークの演奏もリハの時よりは良かったです。1時間程度の演奏でしたが、さすが非常階段、ジャパン・ノイズ・レジェンドという演奏だったと思います。はい。しかしなんだかちょいとむなしいのは、対バン連中があまりにもしょぼかったからか。

おもしろかったのはやはりウィリアム・ベネットとミニスカの愛人カップルでした。ヨークが「今日はなにしていたの」と彼女にきくと「ウィリアムとケルンでお買い物」という返事だったのを聞き逃しませんでしたよ、私は。昨日のギャラで洋服でも買ってもらったのか。。。と、頭の中は芸能レポーターでした。
しかしウィリアム、楽屋にあったビリヤードを、対バンのSATORIのお姉ちゃんとゲームしだしたのはいただけませんでした。横でミニスカの彼女、すねてました。最後はテーブルでものすごく不機嫌顔。。。



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2009年06月26日

ドイツ・3日目

何もしていないのに、ドイツ3日目。
今日からライブイベントで、今日は地元ミュージシャンとセッションかと思っていたら、今日は私の出演はないという。あれれ。

非常階段+マニ・ノイメイヤーという構成で明日出演するので、面々の到着をホテルのロビーで待っていると、なにやらあやしげなカップルがチェックインしてきた。
男は50才くらいのごま塩頭、女性は20才そこそこかもしかしたら10代かな、という感じで、どう見ても不倫カップルっぽいなあ。

やがてマニさん一行なども到着、わいわい話していると、主催者が登場、おお!と、私に先ほどの不倫カップルを紹介しようとする。実はごま塩頭の男は今夜出演のホワイトハウスのウィリアム・ベネットだった。おお、そういえばその顔は。ははは。

ライブ会場の「メガフォン」はレーバークーセンからさらに北に20キロほど行った山の中の小屋だった。日本のみなさんは信じられないかもしれないが、海外のライブ会場は『ええ?こんなド田舎でライブするの?お客さん来るの?』というような場所だったりする。東京で言えば、群馬の山奥の小屋でノイズのライブするようなものですよ。
メガフォンのまわりは畑と牧場。牛や羊が放牧されている。どう見ても山の青少年保養所センターという感じにしか見えない。
すごい場所だなあ。

しかし会場の周りには全身黒ずくめのゴシックパンク風兄ちゃんがたむろ。会場はちょっとしたクラブのような作りで、地下にはレコーディングスタジオも完備されていた。よくこんな場所にみんな来るねえ。

ライブはイギリスのSATORIというバンドの他はドイツのバンドのようだった。ドラムやギターといった楽器を使うバンドは一切なく、ラップトップか発信器で、映像スクリーンにダークなイメージを投射しながらのインダストリアル、もしくはアンビエンド・ゴシック・ノイズ、という有様。会場にはTG、COIL、SPK、ホワイトハウスのTシャツを着た兄ちゃんがいっぱいで、ドイツのノイズって結局はこのあたりにルーツ&帰結するのかとちょっと食傷気味。

ヨークに聞くと、彼はジャーマンプログレッシブなんかには詳しいが、普通の若者はぜんぜん知らないし、音楽通でもマニ・ノイメイヤーのことはあまり知られていない、知っていても「昔の人」というイメージだという。

だんだんに疲れてきたので、トリのウィリアム・ベネットは見ずに先にホテルに帰ってしまった。
後日聞いたところ、ウィリアム・ベネットは彼女をステージにあげて5分ほど詩を朗読させ、その後はラップトップでノイズ演奏だったそう。うーん、手をぬいていますなあ。やはり彼のメインは不倫旅行かな。(笑)



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2009年06月25日

ドイツ・2日目

なぜか私だけ2日も早く来てしまっているようで、今日はオフになってしまった。

旅慣れてきたというか、最近はライブの主催者に航空券や宿泊の手配、空港往復の送迎もお願いしているパターンなので、いったいどこに行くのか、どういうスケジュールなのか把握していないこともしばしば。

今回もケルンだと思っていたが、宿泊しているのはレーバークーセンという、ケルンから10数キロ離れた隣町で、ライブ会場はさらにここから20キロほど離れたバーシェイドという場所だという。
ヨークと話していると、ケルンは「コロン」だし、ミュンヘンは「ミューニック」と発音しているので、どうもここがドイツのどこなのかもよくわかっていない自分に気がつき、ホテルにあった無料マップなどで場所を確認する始末。

ヨークがケルン観光に私を連れて行くという。男ふたりでケルン観光もなんだかと思うが、彼なりに私をもてなしたいのだろう。非常階段やインキャパシタンツは彼にとっての憧れのバンドなようだ。

ケルンまで電車で行くと、駅前にケルン大聖堂がそびえ立つ。そういえば1981年にすみさんという、私にプログレのいろはを教えてくれた友人と欧州旅行をしたが、その時にこの大聖堂は来たかもしれない。

ヨークはさあ、どこに行きたい?なにか食べたいものはないか?などと訊くが、こちらは何も準備していないし、どこに何があるかもわかっていない。ヨークも元々はミュンヘンの近くに住んでいるらしく、ケルンに来るのは2回目だという。
しかたなく観光ガイドマップを見てみると、少し離れた場所に「ショコラーテミュージアム」の名前が。ん?チョコレート博物館かな?これはおもしろそうだと、ここに行くことに決定。

そもそも男ふたりでチョコレート博物館もないものだが、これがけっこうおもしろかった。入場券にリンツのチョコは付いてくるし、中でもウエハスにチョコをつけたものを配っている。チョコレートの歴史や古い機械、ラッパーなど、おもしろい展示物がたくさんありましたね。

なんのかんの話して、またレーバークーセンに戻って、時差ぼけも手伝って、即睡眠。


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2009年06月24日

ドイツ・初日

関西空港からKLM機で出発。

今回はギター、エフェクター、物販CD(含非常階段BOX)とあって大荷物。出かけに雨が降らなかったのが唯一幸いでした。

アムステルダム経由でドイツ・ケルン空港着。出口には今回非常階段出演フェスティバルの主催者・ヨークが迎えに来てくれていた。

ホテルにチェックイン後、ヨークとふたりで夕食。
彼は日本のノイズのことに非常に詳しい。GRIMやホワイトホスピタルはもう演奏していないのかとか、けっこう古い日本のノイズ音楽事情にも通じている。
ヨークは日本にライブに来たり、彼女とバケーションにも来たようで、AMSでマゾンナの山崎くんと写真をとったとか、AUBEの中島さんの案内で京都や奈良を観光した話も。フランクでいいヤツ。

非常階段BOXを買うと事前にメールしてきたので、彼のために1セット持ってきたが、渡すと『支払いは後日ペイパルで』と。ええ、まあいいですけど。ユーロをぜんぜん持ってきてなかったので、このボックス代金で当座のお金をまかなおうと思っていたのに残念。

あ、ヨークはこのブログをドイツ誤に翻訳して読んでいる、とか言っていましたね。
めったなことは書けないなあ。(笑)



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2009年04月08日

春爛漫

悲しみは 水色にとけて
青い空の 青さの中へ

青く 青い 青の 青い
青さの中へ

青く 青い 青の 青い
青さの中へ

哀しい夢 花吹雪 水の流れ

ンーン ンーン
春爛漫

(春爛漫/森田童子)



この歌を33年前に聞いた時は、やはり哀しい歌だと思っていたと思う。
私は16才か17才だったし、サクラの花吹雪が美しいというよりは、哀しいと感じていた、自分のそんな時期だったからだ。

今日見上げたサクラは、どこにつながっているのだろう。
悲しみ?夢?未来?子供たち?

きっと、青い空。
私の、子供達。

春

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2009年03月08日

帰途へ

朝6時45分の空港行きバスに乗り込む。しばらくすると坂田明さんが乗車してきた。これからロンドンに向かうとのこと。
大友さんとsachikoさんもロンドンに行くと言っていたので、向こうで少し一緒だそう。

朝の7時前に、スウェーデンの片田舎のバスに、JOJO広重と坂田明が乗っているなんて、なんだかおかしいなあとひとりほくそ笑む。

ストックホルムの空港で坂田さんとお別れして、ルフトハンザ機で日本へ向かう。


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2009年03月04日

スウェーデンへ出発

朝10時過ぎに関空発のルフトハンザ機。フランクフルト経由でストックホルムへ向かうのだ。

機内では読書。
橋ものがたり (新潮文庫)


10才の男の子を主人公にした「小さな橋で」が秀逸だ。

この話を読んでいて、昔、東京のカード屋のお客さんだったSくんを思い出した。
Sくんは中学3年生だったが、父親を早くに亡くしており、家事を手伝ったり、中学生にしてはちょっと世の中を斜に構えて見ているようなところがあり、私はかわいがっていた。
彼とは何度かメシを食いに行ったことがあるが、中学卒業間近の頃、Sくんは大学生の女性とつきあっていることを話してくれた。家がおもしろくないとは前から聞いていたので、どこで知り合ったのか、中学生のくせに女子大生に女のいろはを教えてもらっているようだった。
ほどほどにしておけよ、とは言ったが、もうすっかり彼女におぼれているようで、Sくんは「(彼女と)結婚したい」ともらしていた。
当然かなわぬ恋だったろうとは思う。あれから10数年たっているのでSくんももうすぐ30才くらいだと思うが、どうしているだろうか。

藤沢周平の小説を読みながら、Sくんのことを思い出していた。

ストックホルムに到着。
送迎のバンが到着しており、約1時間のドライブのあと、無事ホテルへ。インターネットもつかえました。

明日からのプログラムパンフレットなどもおいてあったが、明日のセッションの名前には大友さんや近藤さんの名前はなく、メンバーが大幅に減っていたのはちょっと残念。

道には雪がのこっているが、冬の札幌くらいの気温かな。

ま、明日からがんばります。


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2009年03月03日

スウェーデン、行ってきます

明日から非常階段スウェーデン公演のために渡航します。

あちらからブログ更新できるPC環境あれば書き込みますが、なければ帰国の9日まで更新できないかもしれません。

スウェーデンは1981年に友人と観光で訪れて以来28年ぶり。
あの時は夏でしたが、今は気温は1度〜マイナス4度程度のようで、ちょっと寒そう。

ライブで共演するのは大友良英さん、坂田明さん、近藤等則さんなど、日本人も多数。ポール・ニールセン・ラブもまた一緒だ。
非常階段を頭士くんと結成した1979年7月の夜、京都のライブハウス・ZABOに近藤さんとヘンリー・カイザーの初来日公演を見に行ったのを覚えている。石橋くんも一緒だったかな。

近藤さんと同じ出演者として会えるのが、なんだか嬉しい。

私が不在の間も、占いのお店・FUTURE DAYS は営業しています。
女性鑑定士の松澤さんや、福の神・神田さんにぜひ占ってもらってください。


じゃ、行ってきます!

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2009年02月25日

かつての大阪

非常階段単行本のための取材の旅、大阪編。

天王寺へ。
ロック喫茶マントヒヒの跡地を訪ねる、はずだったが、アポロビルの横の「あべの銀座」やアーケードは完全に撤去され、更地にすべくダンプやシャベルカーが行き来していて、完膚無きまでに取り壊されていた。
マントヒヒのあったあたりは道路が出来ており、見たことのない建物がドカンドカンと建築されていましたねえ。

林くんの葬式に行った5年前はまだ80年代の雰囲気が一部は残っていましたが、こうも変わるとは。
天王寺、そんなに綺麗にして、どうするの。

寺田町へ。
「スタジオあひる」の入っていたビルはまだあった。
2階へ上がる階段もそのまま。
いったんはカラオケボックスが入ったようだったが、今は営業していないのではないかな。
寺田町のガード下にはライブハウスが出来ていましたねえ。
スケジュール表を見るも、知っているバンドはひとつとしてなく。

心斎橋へ。
「創造道場」のちの「スタジオワン」の入っていたビルも、まだありました。巨大なホストクラブの看板があがっていたり、スナックが入っているようでしたが、ビルそのものや階段、階段の手すりの装飾などは当時そのまま。

雨の中、ビルを見上げて感慨にふける中年男ふたり。
ヘンな光景ですねえ。


エッグプラント跡地はどうなっているのかな。


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