日常
2014年01月25日
2014年01月24日
2014年01月17日
2014年01月16日
失ったもの
毎日何をしているのかというと、もちろんいろいろ用事や仕事をしているのだけど、過去に失ったものをとりもどす作業もずいぶんしている。
例えば昔に読んだ本をもう1度読みたくて古本屋で探したり、手放してしまったレコードやCDを中古盤屋で買い直したり、記憶に残っている映画をDVDで買ってみたり、ということ。
もちろん昔の友人たちとの再会も楽しい。フェイスブックでの再会はとても多い。
CDの再発とかも、もちろん廃盤を復刻するような作業だけど、なにか過去にあったものをもう1度聞きたいとか、所有したいとか、そういうことのような気もする。
いったい自分が未来に向かって生きているのか、過去に向き合っているのか、時々分からなくなる。
よく考えてみれば、どのみち人間には記憶は過去のものしかない。
未来は誰も知らない。
未来の記憶は、ないもの。
でも人間は未来に向かって生きているんだよなあ。
不思議だな。
例えば昔に読んだ本をもう1度読みたくて古本屋で探したり、手放してしまったレコードやCDを中古盤屋で買い直したり、記憶に残っている映画をDVDで買ってみたり、ということ。
もちろん昔の友人たちとの再会も楽しい。フェイスブックでの再会はとても多い。
CDの再発とかも、もちろん廃盤を復刻するような作業だけど、なにか過去にあったものをもう1度聞きたいとか、所有したいとか、そういうことのような気もする。
いったい自分が未来に向かって生きているのか、過去に向き合っているのか、時々分からなくなる。
よく考えてみれば、どのみち人間には記憶は過去のものしかない。
未来は誰も知らない。
未来の記憶は、ないもの。
でも人間は未来に向かって生きているんだよなあ。
不思議だな。
2014年01月08日
2014年01月07日
2014年01月05日
ネット
twitter、フェイスブックなど、ライブや新譜の告知として使っているが、以前はフライヤーや雑誌広告などが中心だったはずで、ネットでなんでも解決してしまうのは安上がりでいいが、当然弊害もある。
ネットでの発言を見ていると、どうも偉そうに感じたり、何を言っているんだこいつは、みたいなのもあって、気分が悪くなったりする。じゃあ見なければいいわけで、気分が悪い人は友人リストから外したり、最悪な場合はブロックしたりしなくてはいけなくて、なんだかなと思う。
悪口を言う人はいるだろうが、それは当方へ関心があってのことで、元々はファンだったり興味を持っていただいていたのに、私の発言か態度かなにかが気に入らず、いわゆるDISるようになったり、遠回しに揶揄するようになったりしているのだろうから、やはり申し訳ない、ということになる。
twitterは140字の制限があるが、メールなどは文字数制限がないにも関わらず、やはりその文体が気に入らず、もう友人関係ではおられないような展開になったこともある。いや、あったこともあるどころか、ここ数年で3人と絶交状態になってしまった。カチンときてしまうのは、よくない。
たぶん会って話せば、どの方ともさほど険悪になることはないのだろう。
ネットは、こういう部分がつまらない。
ただ、どこも共通している部分は、相手の発言が偉そうな場面で当方はカチンときているようだ。
自分の音楽に対するプライド、音楽や文学に対する価値観、そういったものがなにか高尚なもののように語りすぎていたり、逆に慇懃なまでにへりくだっていたり、内容を問うわりに、やはり最終的にお金のこと、経済的な価値観に終わってしまう時に、私はがっかりしてしまうことが多いようだ。
まずは態度を反省。
そして他人を見て自分自身を検証すること。
ネットでの発言を見ていると、どうも偉そうに感じたり、何を言っているんだこいつは、みたいなのもあって、気分が悪くなったりする。じゃあ見なければいいわけで、気分が悪い人は友人リストから外したり、最悪な場合はブロックしたりしなくてはいけなくて、なんだかなと思う。
悪口を言う人はいるだろうが、それは当方へ関心があってのことで、元々はファンだったり興味を持っていただいていたのに、私の発言か態度かなにかが気に入らず、いわゆるDISるようになったり、遠回しに揶揄するようになったりしているのだろうから、やはり申し訳ない、ということになる。
twitterは140字の制限があるが、メールなどは文字数制限がないにも関わらず、やはりその文体が気に入らず、もう友人関係ではおられないような展開になったこともある。いや、あったこともあるどころか、ここ数年で3人と絶交状態になってしまった。カチンときてしまうのは、よくない。
たぶん会って話せば、どの方ともさほど険悪になることはないのだろう。
ネットは、こういう部分がつまらない。
ただ、どこも共通している部分は、相手の発言が偉そうな場面で当方はカチンときているようだ。
自分の音楽に対するプライド、音楽や文学に対する価値観、そういったものがなにか高尚なもののように語りすぎていたり、逆に慇懃なまでにへりくだっていたり、内容を問うわりに、やはり最終的にお金のこと、経済的な価値観に終わってしまう時に、私はがっかりしてしまうことが多いようだ。
まずは態度を反省。
そして他人を見て自分自身を検証すること。