2011年08月04日

蔦木さんのこと

ツイッターでFMN石橋くんがコウイチロウくんのことをツイートしており、コウイチロウくんの命日が近いことを思い出し、そして突然段ボールの蔦木栄一さんの命日が近いことも思い出した。

突然段ボールの名前を知ったのは、どらっぐすとうあだったと思う。1978年ころ、工藤冬里くんが吉祥寺マイナーと京都のどらっぐすとうあを結ぶように頻繁に関西に来ていた時期があり、彼が持ち込んだポスターの中に突然段ボールの名前があった。なんとも変わったバンド名だと思ったのが第一印象である。

突然段ボールはトリオ傘下のPASSレーベルからEPが出たこともあり、いわゆる"パンク"というイメージとはほど遠いルックスのジャケットに、驚いたと共に強烈にシンパシーを感じた。ファッションではない、言葉のパンク。こっちのほうが我々にはパンクだった。

アンバランスレコード、アウシュビッツの林くんは後にアルケミーレコードのスタッフとなるが、林くんは突然段ボールの熱心なファンだった。突然段ボールが大阪でライブをやる時に、たいがい林くんは会場にいたと思う。

どういう経緯かは忘れたが、アルケミーレコードで突然段ボールのCDアルバムを出そうという話になった。直前の大阪エッグプラントでの突然段ボールのライブがあまりにも素晴らしく、この歌をレコーディングして世に残さなくては、と思ったのだろう。

蔦木さんにアルバムリリースの話を持ちかけたところ、丁度今、徳間ジャパンからアルバムを出さないかという話がある、今の曲はレコーディングしてそちらで出したい。そのアルバムから漏れた曲をアルケミーから出すというのはどうか、という返答だった。

林くんも私もショックだった。当時のキラーチューン「夢の成る丘」は、林くんと私が大好きだった作家・アーサー・マッケンの名作「夢の丘」とイメージがだぶっており、この曲をアルケミーから出せたら、という気持ちだった。
しかし相手がメジャーレーベルでは勝ち目がないし、蔦木さんに徳間ジャパンから出さずにアルケミーから出してくれとはこちらも言えない。

結果、アルケミーからは「不備」というアルバムがリリースされた。
私はこのアルバム収録の「そのままでいいよ」という曲が好きで好きでたまらない。
徳間ジャパンからは「抑止音力」というアルバムが同時期にリリースされ、これも我々にとっての愛聴盤となった。

数年後、この徳間ジャパンの「抑止音力」は絶版となり、長く世間に流通しなくなった。
アルケミーの「不備」は売れ行きがスローだったこともあり、長く流通していた。
後年蔦木栄一さんが「「抑止音力」はあの時まよって徳間から出したけど、アルケミーから出しておけばこんなふうに絶版にならず、たくさん流通したかもしれないねえ」と私におっしゃってくださった時、私がどんなに嬉しい気持ちだったかはここに書かなくてもわかってもらえるだろうか。

いやなに、21世紀の今はP-VAINから「抑止音力」は再発され、いつでも購入できる状態になっている。
逆にアルケミー盤の「不備」は絶版状態である。

蔦木さん、どちらから出しても結果は一緒だったよ。
「夢の成る丘」はやっぱり名曲で、わかる人にはちゃんと手元に届いていると思います。

蔦木さんは2003年8月25日に亡くなった。林くんが亡くなった、丁度一ヶ月後だった。
亡くなる前、阿佐ヶ谷のビンスパークでライブ共演した。たった500円のギャラを大事そうに渡してくれた蔦木さんの笑顔。ギャラの金額に意味はないことを、お互いがよくよくわかっていた気がする。

日本のパンクを語るヤツで、突然段ボールの「抑止音力」を聞いていないヤツの言うことは信じないし、認めない。
蔦木栄一は世界最高の芸術家だったし、世界最高のパンクロッカーだったからだ。

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kishidashin01 at 23:59│clip!音楽