2011年02月20日

『Aくんのこと』

著書「みさちゃんのこと〜JOJO広重ブログ2008-2010-」からの転載です。この本は
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1981年ごろ、非常階段の初期メンバーだったAくんは、実はそんなにいい友人ではなかった。

確か同じく初期メンバーの岡くんが連れてきたのがAくんだったと思う。同じ予備校仲間で、しかしAくんは早稲田大学合格し、普段は東京に住んでいたと思う。

Aくんはサックスプレイヤーだった。やせ形で目の下にいつもクマをつくった病弱そうな表情。実際に喘息持ちで、岡くんは「Aを殺すのに刃物はいらぬ、目の前でタバコをひと吹きすればよい」などとブラックなジョークを飛ばしていた。そう、Aくんはメンバーになった時点ですでにいじめられキャラだった。

非常階段のメンバーになってもらったものの、彼がどうしてそういうキャラクターなのか、すぐにわかった。今でいうKY、つまり空気が読めない男だった。発言は的はずれで場をしらけさせる。オドオドした態度が無性にこちらをいらだたせる。実際にステージでも自虐的なパフォーマンスが多く、今にして思えばなにか屈折した気持ちを抱えていたのだろう。しかし当時の我々には全部含めてからかいの対象であったり、ともすればギクシャクしがちなメンバー間の気持ちのはけ口をAくんに向けていたのかもしれない。

非常階段は1981年といえば最も過激なステージパフォーマンスで知られていた頃で、ライブ終了後は雑誌の取材インタビューを受けていたことも多かった。そういう場ではAくんは大はしゃぎし、誰よりも饒舌になっていた。おいおい、非常階段を結成したのはオレだぜ、途中から入ってきたクセになにをそんなに語ってるんだい、余計なことを言うんじゃないぜ。私はそんなことを思いながら、苦々しくAくんの態度を眺めていた。

Aくんが最後に非常階段で演奏したのは、1982年の新宿JAMスタジオでのライブだったと思う。思う、というのは、私は彼がどういった演奏をしたのか、まるで記憶がないからだ。数枚の写真が残っており、そこにAくんが写っている。ああ、だから彼もそのライブのステージにはいて、演奏はしたのだろう。その程度の記憶しかない。その程度のメンバーだったのだ。岡くんの友人だから辞めさせたりはしない、ライブがあれば来てもいいよ、でもいてもいなくてもいい、そんなメンバーだったのだ、Aくんは。

Aくんは、私にとっていい友人ではなかった。
いいバンドメンバーでもなかった。
彼の演奏やパフォーマンスをいいとは一度も思わなかった。
そんなメンバーだった。


1983年、私は東京・目黒に住んでいた。
その年の春、岡くんからいきなり電話があった。

「Aくんが死んだ」

え?どうして?
彼は1982年から大手広告代理店に就職し、東京・府中にあった会社の寮に住んでいたそうだ。
Aくんは喘息持ちで、その日は喘息の発作がひどく、会社を休んだのだという。電話で往診を頼んだが、医者は午後でないと向かえないという返答で、Aくんは自室で咳をこらえながら医者の到着を待っていたのだという。
Aくんは薬剤師の息子だった。病院が出す喘息の発作を押さえる薬以外に、おそらく自宅から持ち出したのであろう、咳を押さえる薬を大量に自室に持っていたらしい。当時の喘息のための薬には、劇薬の成分も含まれたものもあったそうだ。
医者を待ちきれなかったのだろう。Aくんは大量の薬を飲み、そして薬のせいか咳で息がつまったのか、自室で悶絶死していた。彼のまわりには大量の薬が散乱していたという。

岡くんは自分は関西に住んでいるので葬式には行けない、今日がお通夜だそうだから、JOJO、君が代表で行ってくれないか。
そういう電話だったと思う。

私は府中にある斎場に向かった。
祭壇には髭を生やしたAくんの写真が掲げられている。
「あ、JOJOや」
そういう声が聞こえた気がした。
私は線香をあげ、手をあわせた。


私は控え室に移動した。まわりは会社関係の人ばかりで、私の知人はひとりもいない。
私の前にまだ高校生か大学生くらいの女の子がやってきた。
「あの、Aの音楽のほうのご友人の方ですか?私、Aの妹です」
彼女はそう語った。

「非常階段というバンドを兄はしていたのですよね」
「私は兄と年齢が離れていて、あまりゆっくり話をしたことがなかったんです」
「だから急に兄が亡くなって。兄のこと、もっともっと知りたかった」
「兄は非常階段というバンドに参加していること、とても誇りに思っていました」
「非常階段のメンバーはみんないいヤツなんだ、いい友だちなんだって私に言ってました」
「非常階段は新宿ロフトとかにも出演して、雑誌にも取り上げられて、すごいんだぞっていつも自慢していました」
「私、そんな生き生きしたお兄ちゃん、バンドのことを話す時しか見たことがなかった」
「勉強ばっかりして、病気ばっかりして。でもバンドのことやメンバーのことを話す時は本当に嬉しそうでした」
「ねえ、お兄ちゃんのこと、もっとお知えてください」
「どんな兄だったんですか?どんな楽器やってたんですか?」
「非常階段って、兄が自慢していたバンドのこと、もっとお知えてください!」


私は、伏せた顔を上げることができなかった。

だからAくんの妹さんの顔は、今でも思い出せないでいる。


kishidashin01 at 23:35│clip!日常