2011年02月12日

武藤くんのこと

昨日、20年前のことを思い出したが、今日は30数年前のことを思い出した。

「螺旋階段」というバンドは私が英国のプログレッシブロックバンド"スラップ・ハッピー"のようなバンドを作ろうとして、1979年、当時どらっぐすとぅあのスタッフ仲間だったソフィーさんという女性をさそって結成したバンドだった。当時私は19才、ソフィーさんは20才、お互いに大学生だった。
ソフィーさんは私とバンドをやってもいいけれど、武藤くんという彼女の友人をメンバーに入れたいと言ってきた。私はキーボードを担当する予定だったので、ベースを弾くという武藤くんの参加は歓迎だった。

武藤くんはいかにも「青春」という言葉を絵に描いたような青年だった。かっこよく、背も高く、性格も明るかった。浪人中の予備校生で、年齢は私より1才上だったかもしれない。イジイジして根暗な雰囲気の私とは好対照だった。
ソフィーさんとどういう知り合いだったかどうかは、忘れた。彼氏とかそういう関係ではなく、友達以上恋人未満、そんな雰囲気だった。

女性1に男性2。恋愛感情はともかく、どうしてもライバル意識は芽生える。ソフィーさんが武藤くんを誉めたりすると、私は無性にイライラしたりしていた。

ベース、キーボード、女声ボーカル。何度かスタジオ練習したが、この編成ではどうしても音楽的に幅が広がらない。ギタリストを入れようということになり、IDIOTをギターで誘うことになる。4人のスタジオ練習を行うことになるが、楽曲はIDIOT、武藤くん、ソフィーさんで作られていくことが多く、私はなんとなく蚊帳の外のような気分でふてくされている時もあった。IDIOTがそんな私を見かねて気をつかってくれた時もあった。

1度、自作の曲を螺旋階段の練習に持ち込んだことがある。やたらベースラインが早く、指を早く動かさなくてはいけないテンポの曲で、何度か練習したものの武藤くんは「ごめん、これ、弾けない」と困った顔をしていた。私はきっとほくそ笑んでいたに違いない。その曲はボツになったが、今にしても自分はとても嫌なやつだったと思う。

螺旋階段のライブ出演が決まっていた。確かクロスノイズという、どらっぐすとぅあ主催のライブイベントで、場所は京大西部講堂だった。ライブが近づいてもなかなか螺旋階段の練習がはかどらない。西部講堂のライブの数日前に、英国のバンドでU.K.が来日し大阪公演をすることになっていた。私と武藤くんはその公演のチケットを購入して持っていたが、螺旋階段のスタジオ練習の回数を増やすため、二人ともそのU.K.のコンサートに行くことをキャンセルしようということになった。武藤くんは「ドラムがテリー・ボジオになって、U.K.の音がどんなふうに変わったか見たかったけど、しょうがないね」と、とても悲しそうな顔をしたのを覚えている。

西部講堂のライブの後、武藤くんは螺旋階段を脱退した。武藤くんが辞めなければ私が辞めていたかもしれない。
その後IDIOTはソフィーさんにベースを弾かせ、頭士くんというギタリストと納口さんというドラムをさそって、螺旋階段を自分のバンドとして構築していった。

武藤くんが辞めた後、どらっぐすとぅあで私が運営スタッフをしていた日だったと思う。当時どらっぐすとぅあに出入りしていた大学生のAさんという女性に、バンドから武藤くんが脱退した話をした。Aさんは武藤くんのことがあまり好きじゃなかったという話をし始めた。

「武藤くんの高校生時代の話、知ってる?」
Aさんは以前、どらっぐすとぅあに来ていた時に武藤くんと会っていて、その時にいろいろ話をしたのだという。
「彼は高校生の時、生徒会長だったらしいのよ。で、学校でなにかイベントをする時に"気球を上げよう"と提案したんだって。ほかの生徒はみんな手作りの気球なんてうまくいくはずがないと言ってたのに、武藤くんはひとりでずいぶんがんばったんだって。で、みんなの冷たい視線の見守る中で、気球を上げることに成功したんだって!」
「そんな話、いかにも青春マンガみたいじゃない?私は感動するどころかあきれちゃったんだけど、本人は青春そのものみたいに話すのよねえ。いかにも生徒会長よねえ」

なんとなくバカにした口調で武藤くんのことを語るAさんを見て、なんだか私は自分が悪いことをしたような気分になったのを覚えている。

まだ武藤くんのいた螺旋階段のスタジオ練習の時、ソフィーさんがこう話した。
「武藤くんの部屋に遊びに行った時、私が誕生日にあげたプレゼントの箱が大切にとってあったのを見つけて感動したわ。プレゼントだけじゃなくて外の箱までとってあるなんて、ホント武藤くんらしいわ。そういう武藤くん、好きよ」

こんなことを、私は30数年忘れられないでいる。


エディ・ジョブソンとジョン・ウェットンがU.K.を再結成させて2011年4月に来日公演を行うという。
1979年に武藤くんとはU.K.のコンサートに行けなかったけれど、その埋め合わせのためにもこの来日公演には足を運ぼうと思っている。







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