2010年11月28日

キャロットハウス

「Mちゃんのこと」で紹介したMちゃん。
Mちゃんは私が17才の時、1977年の6月から8月までの3ヶ月だけおつきあいをした彼女だった。私の"JOJO"というニックネームは彼女がつけてくれたもので、今でも大切にしている一部分である。

Mちゃんとは交換日記をしていたが、そこで一番話題になったのは、私が将来経営したいと思っていたロック喫茶のことだった。

私はレコードが大好きだったから、将来は今購入しているレコードを店内でかける喫茶店を経営したいと思っていた。ただ、当時京都に数多くあった、爆音でハードロックをかけている様式ではなく、基本は普通の喫茶店でちょっと変わった音楽、プログレッシブロックなんかを小音量で流しているようなスタイルを目指していた。

お店の名前は何にしよう、メニューはどうしよう、こんなデザインで、こんなテーブル配置で、スタッフのユニフォームは...。
Mちゃんとの交換日記では、もうすぐにでもふたりで夢のロック喫茶をスタートするかのような話題で盛り上がっていた。

Mちゃんがつけたお店の名前が「キャロットハウス」だった。にんじんとウサギを配置したお店のロゴも作ってくれた。いかにも女の子が考えそうなお店の名前。私は野菜嫌いでにんじんもあまり好きではないが、お店の名前はそんな感じでもいいかなと思っていた。

今日の今出川通り、寺町筋から少し西のあたりに「Half」というジーンズショップがあり、そこの2階に「FUBAIKAN」という喫茶店があり、Mちゃんとは何度もそこでデートをした。このFUBAIKANこそが、ふたりで夢描いていたキャロットハウスの原型でもあったのだろう。このお店はいつも女子大生でにぎわい、お店の看板メニューだったスパゲティはおいしく、焙煎のコーヒーがおいしかった。

もちろんMちゃんとは一夏の儚い恋に終わり、キャロットハウスも幻と化した。ロック喫茶、いや喫茶店という形態すら世の中からは消滅しつつあり、私も20代、30代、40代にいくつかのお店を開いたりもしたが、喫茶店を開店するようなパワーはもうなかった。これからもないだろう。

でもキャロットハウスという名前は33年も経った今でも覚えている。
実はMちゃんの写真は1枚も残っていないため、彼女の顔形も記憶はあいまいになりつつある。彼女とたくさん話したいろいろなこと、彼女と聞いた音楽の数々、彼女との甘く切ない思い出だけが、今も残っている。


kishidashin01 at 23:59│clip!日常