2010年03月02日

奈良にて

オフ。奈良に出向く。


奈良を訪れるなら、夕方から夜をすすめる。
もちろん観光するなら午前中から午後の早い時間だが、私は本当は夕方の奈良こそが一番美しいと思う。

そして、空気が違う。
奈良の空気はなにか澄み切ったような、冷たい意識のようなものが封入されているような気がする。夕方、薄暗くなった中、東大寺南大門の金剛力士像を見上げていると、この世のものとは思えない迫力にぞっとする。


今日は東大寺二月堂で毎年3月上旬に行われる「修二会」、いわゆるお水取りを見物に行った。
もう十回以上は参加しているが、火を扱う祭りとしてはなかなかの奇祭だろう。
修二会

観客は1000人以上いたろうか。みんなこの東大寺の宗教の信者ではないだろうし、修二会の意味もたぶんご存じない、でもこの松明による火の祭典を見て感動し、火の粉をあびて無病息災を信じ、松明の燃えくずをひろっては御利益を信じるのだ。なんとも平和な日本ではないか。

今日は1295回目のお水取りというアナウンスがあった。こんなことを8世紀からやっているのか。そもそも元々はどういう主旨だったのか、きっともうわからなくなっているだろう。伝統とはそういう趣がある。

神は、仏は、いつからその場所に宿るのだろう。いや、場所にではなく、石や仏像や掛け軸などの物に宿るのか、それとも人に宿るのだろうか。時と場合によって違うのか。根本的に神とはなんなのかね。

今日は10本の松明を見上げながら、そんなことを考えていた。


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