2009年11月28日

壁新聞

小学校の頃は「壁新聞」がとても好きだった。

元々は学校での課外授業や遠足などの行事の感想、事後報告などを発表するのが壁新聞の始まりだった。しかし壁新聞が生徒間で好評で、やがて生徒の自主企画で壁新聞が制作されるようになり、クラスごとのユニークな壁新聞が廊下に張り出されるようになった。

こうなるとクラス対抗のようなライバル心もわいてきて、よりおもしろく読んでもらえるように文章を工夫したり、写真やイラストをいれて目をひきつける工夫をしたりと、どんどん内容はグレードアップしていった。

壁新聞の制作はクラスの全員が行うのではなく、生徒をいくつかの班にわけて、当番の班が制作していた。当然出来不出来があるのだが、私は早く自分の班に制作の順番がまわってこないか、いつも楽しみにしていた。

しかし壁新聞はそんなには長い期間は続かなかったように思う。なにか不謹慎な書き込みがあったか、トラブルでもあったのだろう。もう作られなくなった時、ずいぶんがっかりした記憶がある。

私はクラスメイトが自分の意見を書くこと、普段は話さない寡黙なヤツが斬新なことを書いたりすること、そういったことがらが壁新聞の形になって多くの人が読むことに、ずいぶんエキサイトしていた気がする。家に配達されてくる一般の新聞に自分の文章が掲載されることはないが、壁新聞なら自分の考えた文章や言葉が載るということに、少しあこがれのような気持ちを持っていたのだろう。

壁新聞がなくなってから、私は自分の書いた小説やマンガを教室に持参し、クラスメイトに読んでもらうようになった。おもしろいと言われると嬉しかったし、あまりおもしろくないと評されると明日はもっとおもしろいものを書いて持っていこうと熱意を燃やした。そうすると私のマネをして自分でかいたマンガを教室に持ってくるヤツが現れたりして、けっこう楽しかった。

小学校4年生の時、クラス対抗の演劇大会があり、私は自分のクラスで行うお芝居の主役に抜擢された。そこで演劇の面白さを体験し、その後、中学・高校・大学の10年間にわたって演劇に関わるきっかけになっている。

「Fくんのこと」でも書いたが、小学校6年生の時にはミニコミを発行し、それは学校内ではなく、見ず知らずの人に読んでもらうための文章を発表する最初のきっかけになった。
中学生の時は文芸部にもいたし、高校時代は自作小説の同人誌も作った。


音楽に興味が移り、音楽誌の記事やレコードのライナーノーツの原稿を書きたいと思った。当然、そんな夢はかなうわけもないので、高校時代はクラスの同好の連中に対してレコードレビューやクロスレビューを行ったり、「プログレテスト」と称して音楽知識を競う遊びのペーパーをまわしたりもしていた。
(実際に音楽誌に原稿を書いたのは、1979年発行のロックマガジンが初めてだったと思う。)

大学生の時にBIDEくん(現ウルトラビデのHIDEくん)と出会い、人前でライブ演奏をすることになる。1978年のことだ。

そして現在にいたっている。


思えば、小学校の時の壁新聞が最初のスタートだった。
つまり自分の書いたもの、思ったこと、考えたストーリーなどを他の人に読んでもらいたい、見てもらいたいという、この単純な欲求が10才くらいの時に芽生えて、50才の今まで続いているということだと思う。

人間、そんなには中身はかわらないものなのかもしれない。
音楽であれライブであれ、小説であれ原稿であれ、コラムやブログであれ、絵や演劇であったとしても、若かろうが年輩だろうが、テクニックがあろうがなかろうが、やっていることはようするに『オレ、こんなこと考えた!思いついた!みんな、見てくれ、聞いてくれ』ということと、その延長だ。


私の場合は、きっかけは小学校の時の、壁新聞だった。
そして見てくれる人、読んでくれる人がいるということが、嬉しかったのだ。

このブログも、読んでくれる人がいるから書いている。
きっとそうなんだと思います。
いつも読んでくれて、ありがとうね!


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