2009年08月19日

Oくんのこと

小学校3年4年の時にクラスメイトだったOくんは時計屋の息子だった。

今でこそ時計屋なんて流行らない職業かもしれないが、1960年代の時計屋は宝石屋もかねていたこともあり、花形の商売だった。そもそも腕時計というもの自体が高級品で、おいそれと誰もが持っているものではなかったのである。ショーケースに並んだ高額な腕時計を子供も大人もあこがれのまなざしで見ていた、そんな時代だった。

当然、時計屋のせがれであるOくんは「ぼんぼん」である。つまりはお金持ちの子供なわけで、同じクラスメイトの中でもいいものを持っているガキ、ということになる。
子供ははしっこいから、そういった金持ちの子供には、群がる。自分たちが買えないような玩具やゲームを持っているからで、本人よりもそっちが目当てで友達になるケースも多かった。

Oくんの家は自分の家と近いこともあり、よく遊んだ。ゲーム、プラモデル、野球、プロレス、戦争ごっこ、モデルガン、なんでもござれ。親に内緒で持ち出したマッチでプラモデルに火をつけて遊び、見つかって大目玉をくらったこともある。神社の境内で捨て猫をみんなで飼ったこともあった。

Oくんとは小学校5年生でクラスが別れた。それからはあまり一緒に遊ばなくなった。

5年生になってから私は進学塾に行くようになり、京都市内の私立中学を受験することになった。
しかしまじめな受験生であるわけもなく、さぼって図書館で漫画を読んでいたり、デパートで遊んでいるところを親戚のおばさんに見つかったりして怒られたりしていたので、親はさぞかし不安に思っていたのではないかと思う。
6年生になっても塾の成績もあまり良くなく、志望の中学は合格ラインスレスレといったところだった。

塾の仲間から、前年度の入試問題と解答を掲載した本が発行されていることをお知えてもらい、河原町三条にあった駸々堂書店に買いに行った。すると前年度の問題集と一緒に、おそらく売れ残りであったのだろう、1冊だけ前々年度の入試問題集が売っていたのである。私は『学校もまさか前の年に出した問題をそのまま今年も出すことはないだろう。しかし前々年度の問題を数値などを変えて出すことはあるのではないか』と思った。そしてその1冊だけ残っていた古い問題集を購入し、それを中心に勉強したのである。

試験当日、私の感は当たっていた。ほとんどの問題が前々年度の出題の数値や角度を変えたものだったのである。私は試験を書き込む時間があまってしまい、試験中に絵をかいていたほどであった。
試験の帰り道、母親に連れられて受験に来ていたOくんを見かけた。Oくんも私に気がつき『広重が...』と唖然としていたのを覚えている。私は一人で受験に来ていたこともあり、親同伴だったOくんを「やっぱりぼんぼんやなあ」と思って見ていた。


私は入試に合格した。
塾の連中もあきれていた。塾の算数の試験で0点を取ったりしていたヤツがそこそこの私立中学の入試を突破したことは、たいへんな驚きだったようだ。

合格祝いに親が腕時計を買ってくれる、ということになった。当時の合格祝いといえば万年筆と腕時計が定番だった。
Oくんの家にSEIKOの腕時計を父親と一緒に買いに行くと、Oくんのお父さんが接客してくれた。

合格祝いですか、どこの中学に。え?

お父さんはOくんを呼び出した。
『広重くん、受かったらしいよ』
Oくんは暗い顔をして「ふーん」と言ったまま、立ちすくしている。Oくんは受験に落ちていたのである。

合格した私。合格祝いの時計を買いに来た父親。同じ学校を受験して落ちたOくん。そのOくんの父親が私に時計を売るということ。

誰も悪くはないが、こんなに気まずい空気もほかにはなかった。
すまん、Oくん、オレは努力したわけではなく、たまたま具合の良い問題集を丸暗記しただけなのだ、とは、けっして言えなかった。

Oくんの実家の時計屋は、まだある。
Oくんが後を継いだかどうかは、知らない。


kishidashin01 at 13:16│clip!日常