2009年07月31日

みさちゃんのこと

 中学三年生の最後の頃、クラスでとなりの席だったMさんに、彼女の親友であるみさちゃんを紹介してもらった。みさちゃんはMさんと小学校は同じクラスで友人同士だったが、みさちゃんは別の公立学校に進学したため、Mさんや私とは同じ学校ではなかったのである。どういう経緯でそうなったのかは忘れたが、Mさんがみさちゃんのことを私に話し、「広重くんならみさちゃんにピッタリだわ」と、現在彼氏のいない親友にこの人ならどうかと私を薦めたのであった。


 みさちゃんとの初対面&初デートは、京都・北山にある植物園だった。クラブでバレーボールをやっていたというみさちゃんは、スポーティな雰囲気の清楚な女性だった。お互いぎこちなく自己紹介し、園内を散歩し、植物園の前にあった喫茶店でお茶を飲んだ。その時に店内が混んできたのか、後からやってきたおじさん連中と相席にさせられたのを覚えている。イスに座っている彼女は小さくなって、ちょっと恥ずかしそうにしていた。

 みさちゃんと私は同じ京都市民ではあったが、住んでいるところは離れていた。私は京都の上京区、彼女は伏見区で、距離にすれば10キロ以上離れていただろうか。電話や手紙を交換したり、月に2、3回会うようなペースでデートを重ねていたと思う。

 当時私はプログレッシブロックやハードロックに傾倒しており、自分で選曲したカセットテープを彼女にいつもプレゼントしていた。彼女と一緒に、キング・クリムゾン/レッド、ピーター・ハミル/イン・カメラ、クイーン/シアー・ハート・アタックをよく聞いた。彼女はのちにバークレイ・ジェイムス・ハーベストの大ファンになり、ファンクラブにも入っていた。彼らの「妖精王」というアルバムを、彼女の家で何度も繰り返して聞いていたことを覚えている。

 1975年当時の京都の若者にとっては、市内を流れる鴨川の川沿いを手をつないで歩くのがデートの定番であり、あこがれでもあった。高校生にはちょっと早いような、そんなデートスポットである。みさちゃんとは学校帰りに京阪三条駅で落ち合い、鴨川沿いをよく二人で歩いた。初キッスも鴨川だったと思う。夕暮れの鴨川、木陰で唇を重ねた。通行するおばさんに「最近の若い人は...」と小声で囃された記憶がある。おまえらには我々の気持ちなんてわからない、そんなふうに思っていた。
 ただ、二人は最後まで、体の関係には至らなかった。まるで70年代の漫画に出てきそうな、そんな純な恋愛だった。

 高校二年になった頃、彼女のお母さんが入院した。一人っ子だった彼女が学校帰りにお見舞いに行くことが多くなり、ふたりのデートの時間は減っていく。お母さんの病気は、末期のガンだった。
 一度だけ、私もお母さんのお見舞いに病院に行ったことがある。ベッドの上のお母さんはニコニコして私たちを眺め、看護婦さんに「若い人はいいわねえ」とおきまりのセリフで囃されて頬を染めたのも覚えている。お母さんの検診の時間、みさちゃんと私は病院の屋上に出た。真っ白なシーツやタオルが大量に干され、それらがパタパタと風にそよいでいる。真っ青な空がだんだんと夕焼けに染まっていく...。彼女と手をつないで、眼下に広がる街の風景をいつまでもいつまでも見つめていた。この時が止まればいいと、心底思った。

 結局、その年の夏の終わりに、彼女のお母さんは亡くなった。みさちゃんは泣きながら私に電話をくれた。その夜、少しでも励まそうと、私は電車を乗り継いで彼女の家を訪問した。お母さんは白い布を顔にかけられて、ただでさえ小さかったのに布団の下ではもっと小さく見えた。横にはお父さんが座っておられ、「このことは知ってらっしゃるの?」と私に気遣ってくださった。
 二階にあがり、彼女の部屋で泣くみさちゃん。私はその震える肩を抱くことしかできなかった。やがて親戚が続々集まりだし、私は彼女に送られて玄関を出た。その時の彼女の悲しそうな、さみしそうな顔を、私は忘れることができない。


 葬儀が終わってしばらくしたころ、おそらくは、お母さんが亡くなったことで不安になったのだろう、みさちゃんは私に「結婚してほしい」と口にした。もちろんお互い17才なのですぐには結婚できないが、学校を卒業したら、という程度だったと思う。ただ、私はその要望に驚き、とっさに「結婚を約束することはできない」と、答えてしまっていた。
 どうしてそう答えたのか、今でもわからない。なにか束縛されるような、"お母さんが亡くなったのはかわいそうだけれど、それとこれは違う"といった、そんな気持ちになり、それを正直に口にしてしまったのだ。彼女は当然約束してもらえるとも思っていたのだろう。泣き崩れた。

 この一件以来、みさちゃんと私の間は、なんだか気まずくなってしまった。会うことは極端に少なくなった。随分久しぶりに会った時は、京都の南、彼女の実家近くの宇治川の土手を夕方に、二人ともに空しい気持ちで散歩したのを覚えている。手もつながなかったのではなかったか。
 数日後彼女から電話があり、結婚を約束しなくてもいいからつきあって欲しい、と言われたが、私の気持ちはずいぶん冷めてしまっていた。その年の末まで関係が続くことなく、お互い失意のうちに、別れた。

 母親と死別して気をおとしているみさちゃんをふってしまったという自分。もっともっと彼女を励ますべきではなかったか、亡くなる前にお母さんの前で誓った愛はなんだったのか。何度も何度も、ずいぶん自己嫌悪していたのは間違いないだろう。彼女を紹介してくれたMさんにも合わす顔はなかった。
 しかしみさちゃんとは学校が違ったこともあり、その後会うことはなかった。そして時間が経つにしたがって、彼女への想いや罪悪感も薄れていったのも、正直なところの事実である。実際、私は高校三年生になった時、年下の女の子に恋をしていた。


 みさちゃんと別れて7年後、大学を卒業して数年後だったか、中学3年生の時のメンバーによる同窓会に私は出席した。Mさんも出席していて、私を見つけると真っ先に元に駆け寄ってきた。
 Mさんは、みさちゃんがその後学生時代は彼氏はできなかったものの、就職し、そこで素敵な人と出会い、ついこの間結婚した、ということを話してくれた。「同窓会に来たら、広重くんにこのことを真っ先に伝えたくて!」と、紅潮した顔で語るMさんを、私は正視できなかった。心の中でMさんに詫び、みさちゃんに詫び、このことを伝えてくれたMさんに心底感謝した。


 彼女には悪いことをした。今でもそう、思っている。

 喫茶店でおじさんと相席になって苦笑いしていたみさちゃん、お母さんの小さな体を横たえた布団、いっしょに聞いた音楽の数々、ふたりで屋上で見た風景。


 たぶん死ぬまで忘れることはないだろう、光景。


kishidashin01 at 23:12│clip!日常