2009年04月24日

書く人

もう数ヶ月前になるが、大阪にあみのめ(元DOODLES)のあっこちゃんに来てもらい、ベアーズで一緒にライブをした。帰り道、別れ際に少しだけ立ち話して、その時の彼女の印象があまりにも鮮烈だったのだけれども、その話の中で私について彼女が触れ、『広重さんは「書く人」だと思う』という発言があり、ずいぶん気持ちの中に残っている。

彼女はほぼ毎日このブログを読んでくれているはずで、私が毎日欠かさずにブログを更新していることも指しているのだけれども、書くという行為そのものの意味をくみとってくれているのだとも思っている。

子供のころは日記が苦手で、3日と続いたことがなかった。おそらく、読ませる人がいないからだ。今日こんなことがあった、と自分宛に書くことにどうしてもなじめなかったのだと思う。家族の中では唯一、自分の母は毎日数行の日記を何十年も続けているが、それを読ませてもらったことはない。きっと日記は捨てずにおいてあるだろうから、いつか母が亡くなったあと、その日記を読ませてもらい、私について母がどう思って育ててくれたのかを読むのを楽しみにしている。

人に自分の書いたものを読ませるのは、好きだった。最初に小説を書いたのは小学生のころだったし、自分で長い連載マンガをかいて、学校に持参し、クラスメイトに読んでもらうのが好きだった。ほめられると嬉しかったし、けなされるとがっかりはしたが、次回はもっと笑ってもらえるような内容にしようとさらに励んでかいたほうだったと思う。中学や高校では文芸部や新聞部にも所属していたから、やはりなにかを書くこと>発表することは好きだったのだろう。それは演劇へ、音楽へと興味は広がって、今の自分につながっている。

もちろん読むのも好きで、本もずいぶん好きでたくさん読んでいるけれども、いい本やいい文章に出会えた時の喜びはなにものにも代え難いものがある。その分、つまらない文章を読まされた時の、なにか時間を無駄にしてしまったような感覚は、ちょっとつらい。音楽ファンの人のブログや掲示板を見ないのは、そういった感覚になりたくないからだろう。
しかし例えば、あみのめのあっこちゃんや、非常階段の美川くん、コサカイくんのブログなどというものがあるなら、ぜひとも読みたいと思う。おもしろいに決まっているからだ。意味は違うが、HIDEくんのブログもあれば面白いだろうなあ。

音楽雑誌を否定するようなことも最近はずいぶん書いているけれども、自分の好きな音楽のことを書いてある雑誌を読むのは好きだった。私の好きな音楽はそんなにポピュラリティを持ったものではないことが多いから、めったに雑誌には掲載されないけれど、例えば今販売されている雑誌なら、「DOLL」の西村明くんの原稿は毎回楽しみにしている。「ストレンジデイズ」のディープ・パープルの特集で、最近のラプチャーあたりの作品についてきちんと書かれていることや、70年代の二回目の来日公演がひどくて1回は中止になったことが、これもきちんと書かれていたことにはとても嬉しく思った。音楽誌が広告をもらうためのミュージシャン&アルバム絶賛本になってしまったから読まなくなっただけで、ちゃんと書いてくれれば読みたいのである。

ライブを見に行きました、よかったです。
多くの音楽ファンのブログにはこのことしか書いてないから、つまらないのだよ。
ミュージシャンがどうだった、あの曲がどうだったと書かれても、それは表面的なことで、音楽から自分、他人、その人間そのもの、そして音楽へと広がり、つながる文章を読みたいのだ。
例えば埋火やとうめいロボの音楽がいいのは、それはもう当たり前のことだ。じゃあその埋火やとうめいロボについてしっかり考察された文章はなかなかない。ゆーきゃんのインタビューくらいかな、最近だと。もっともっとその大切にすべき音楽を正面からとらえ、深く語る必要がある。


今度、ゴールデンウイークの渋谷・アップリンクファクトリーのトークイベントでは、まさに「書く人」である小説家の嶽本野ばらさんや中原昌也くんと話ができるので、とても楽しみにしている。占いの話もいいけれど、彼らがどうして小説家になったのかは、じっくりきいてみたい。

kishidashin01 at 23:59│clip!日常