2008年09月22日

福岡の事件について

福岡小1殺害
福岡小1男児殺人事件は気になる事件だった。
殺害された子供に知的障害があったこと、行方不明から殺害までの時間が異常に短く、また母親の証言に不審点が多く、もしやと思わせる部分が多かったからだ。
今朝PCを立ち上げて、真っ先に見たニュースには、気持ちが真っ暗になった。

子供のおそらく軽度の知的障害、母親自身の病気、精神的不安、体力的な不調からくる暗い気持ちから、我が子を殺して自分も死のうという気持ちが生じるのはわからないでもない。ただそれを実行するには、あまりにも、あまりにもではないか。
残された夫は、親戚は、学校の母親は、同級生は、子供や母を知る近所の人は、行方不明を一緒に公園で捜索した善意の人々は。
彼らはあまりにも深い心の傷をおってしまっているではないか。

相談する相手はいなかったのか、いやなぜ自分がその相談相手になれなかったのか、おそらくまわりにいた人は自分がなぜこの母親や子供になにかしてあげられなかったのかと自分を責めるだろう。
病気のせいもあるだろう。障害を持つ子供のこともあるだろう。もちろん本人の、親や先代からの因縁も不善もあるだろう。新聞記事からは伺いしれない事情もあるだろう。そもそも障害児童をかかえる親でないお前に気持ちがわかるものかと言われるかもしれないが、それでも母親が我が子を衝動的に絞殺することができるというこの世の現実を心から悲しむことは、私にもできる。涙だって、でるさ。

もっと悲惨なことは世の中にはあるかもしれない。もっと悲惨な家庭もあるかもしれない。それこそ戦前には、戦時中にはもっと悲惨な事件はいくらでもあったかもしれない。世界にはさらに悲惨な現状の子供も、世界もあるだろう。
ただ、この時代に、この日本で、社会も他人ももっともっと手を差し伸べてくれる現実もあるはずなのだ。
絶望が絶望のままではなく、その先はきっとある。障害のある子供を持つ母にだけにある幸せも、絶対にあるからだ。
それをイメージできないという貧困な人間の頭の現実にこそ、今回の事件の問題の本質がある。


粉々に砕けた鏡の上にも、きっと、絶対に、新しい景色は映される。
このくらいのこと、信じさせてくれよ、なあ。



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