2008年05月18日

死者に鞭

朝早く家を出て、図書館へ。

本を返却するだけの予定だったが、つい書架を閲覧してしまう。
時間がないので、1冊だけ本を借りた。

間章クロニクル


映画が一昨年できたことは知っていたし、このblog以前の日記欄で紹介したが、間章についての映画「AA」を本にまとめたものが出版されているとは知らなかった。

映画は結局見ていない。
この本もざっと流し読んだが、結局は間章が残した文章や、彼を知る人の後日談以上のものはないように思う。思うに、間章はもう語りつくされたし、この映画で総決算でもういいのではないかと思う。

なぜなら、もう死者だからだ。
死人に口なし。読みすすむうちに、間章が生きていたら、なんて文章が出てくるにつれ、もういいやという気持ちが強くなってくるのだ。
これは阿部薫についての文章を読む時もいっしょだ。

裸のラリーズの水谷さんはまだ生きている(はず)だから言わないでおくが、阿部薫や間章を賞賛、絶賛、素晴らしかった凄かったと言う人は山ほどいるが、しょーもないとちゃんと口に出して言えるのは阿木譲か灰野敬二か私か石橋くんかBIDEくんくらいなもんだ。死ねば官軍、死ねば万事解決、死ねば伝説、死ねば誰も悪くは言わないのは日本人の美徳かな?それとも陰口をたたいているヤツはもっと多いかもしれないが。

時代である。
その時代をぬきして、過去を語ることは、間違う可能性がある。
音楽評論から言えば、間章よりも松山晋也や湯浅学や小野島大の方が何倍も優れている。阿部薫よりは浦邊雅祥の方が凄い。80年代のインディーズよりも、今のインディーズの連中のほうが何倍もおもしろい。
野球で言えば張本よりイチローの方が上だし、王や長嶋や衣笠や金田より金本や井端や中田翔や松坂の方が上だ。
過去は過去で認めるが、所詮過去でしかない。

なぜ今を語らないのだ。生きているからか。死なないと売れないからか。
今の灰野敬二や三上寛は世界に類を見ない域の音楽に達している。どうして誰も研究もせず、本も出ないのだ。死んでから書くつもりか。死ぬのを待っているのか?
死んだやつ、音楽をもう何年も演っていないやつ、伝説のミュージシャン。評価がいいのは、売れるのは、そういうのばかりじゃあないか。

「天才なんて誰でもなれる/鉄道自殺すればいいだけ/天才なんて誰でもなれる」とPhewが歌っていたのは1978年、もう30年も前のことだ。
今でも、世の中はいっしょだ。
進歩なし。ノープログレスかね。あ、インキャパシタンツ。

あ、「間章クロニクル」は、読みやすい間章入門本な気がする。
でもオリジナルの原稿のほうがおもしろいです。

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kishidashin01 at 23:59│clip!読書