2008年03月24日

中田島砂丘にて

せっかく浜松に来たので、ライブの翌日の本日は旧友に会うことにした。

学生時代のアルバイト先での友人のSくんが旧天竜市に住んでいるので、月曜日だけれども休みをとってもらって約20年ぶりに再会したのである。

Sくんといっしょにアルバイトをしたり遊んだりしていたのは1980年から81年の2年間くらい。通う大学も違ったし、音楽の趣味もぜんぜん違っていて、以前このblogで紹介したHくんなどはレコードやエフェクターを借りたりした仲だったのだけれども、そちらの方面ではまったくリンクしない友人だった。
こちらは非常階段だなんだとわやくちゃな音楽をさんざんやっていた頃だったが、そういった話もSくんにはほとんどすることもなく、また彼がライブを見に来ることもなく、ひとりの友人として交流していたのは、今思えばとても不思議な気がする。

朝10時にホテルのロビーで会い、喫茶店で1時間半くらい話をしたが、まったくスタンスのかわっていないお互いにも驚くし、その後の人生の話をお互いにするのだけれども、生き方のスタンスが変わっていないので、常識で言えば突拍子もない出来事も彼がしたことならすんなり理解できてしまう。

例えば彼はネパールの2つの学校に6キロもの水道を引くという事業をボランティアで成し遂げてしまっている。
彼がたまたま旅行で立ち寄った先のネパールの子供、貧しいので鉛筆がなかなか買えないという。じゃあ次に行く時にリュックのよこに鉛筆を少し詰めて持っていく、ということをはじめた。その話が新聞に載り、話題になり、彼のところに大量の鉛筆が集まり、次に行く時には数千本の鉛筆を持っていくことになった。
しかし子供に会うと、実は学校に行きたくないという。なぜかときくと、学校には水道がないので谷底からバケツで水を汲んで学校に運ばなくてはいけない、その作業がしんどいのだという。じゃあ水道を引けないのか、ということを彼は考え、仲間と資金を集め、寄付をつのって、ついに学校に水道を引いてしまったのである。

彼はさらりと話すけれども、旅先で知り合った人、そこの出来事、なにか出来ないかという思い、その後の彼の熱意と行動力は、見事だ。

彼のエピソードにはこんな話がいくつもポンポン出てくる。そしていつもは、2児のパパの、ごく普通の公務員であるというところが、徳島の小西さんや神奈川のコサカイくんと共通するものがある。

彼の家の前には牧草地があり、前には川が流れ、メダカが泳ぎ蛍が舞い、夏にはカブトムシやクワガタが家に飛び込んでくるという。ふたりの男の子たちはは素晴らしい環境で育っていることがすぐにわかる。

なんて生き生きとした人生を送っているのだ。
君と友達だったことを誇りに思う。

24年前に彼の家に初めて立ち寄った時は、浜名湖が一望できる山の上の公園に連れて行ってくれた。その時の光景を、ふたりともが克明に記憶していたのは嬉しかったな。
あの時、山があまりに静かで、麓の小学校の子供達の声が山頂にまで届いていたんだよね。
あの時の子供の声は、たぶん一生忘れないよ。

今日は中田島砂丘に連れて行ってくれた。
日本の三大砂丘らしいが、鳥取砂丘、九十九里浜ほどは知られていないと彼は言う。
ウミガメが産卵に来るというその広大な砂浜、押し寄せる激しい波は、これまた見事で雄大だった。

また再会を約束し、浜松を後にした。
umiu





帰途、新名神を車で走る。
三上寛さんの昔のアルバムを尾谷と聞きながら、楽しく大阪までドライブ。
『しぼり具合によちゃあ、天ぷらあぶらもとれるって話だってさ』


kishidashin01 at 23:56│clip!