2008年03月01日
夜、責任者の夜
3月2日、本町のnu-thingsでグルグルのマニさんとライブをするが、このクラブは昔に「ロックマガジン」という雑誌を出版していた阿木譲さんのお店である。
阿木さんは1970年代の中頃に「ロックマガジン」を創刊、大阪発の音楽誌ということだけでも珍しかったが、その内容はどの音楽誌も取り上げないようなプログレ、パンク、ニューウエイブ、インダストリアルなど、ほとんどリアルタイムで、かつ最先端で、そしてかなりマイナーな海外インディペンデントな音楽を紹介していた。
例えば「テクノポップ」という言葉は阿木さんの発明した言葉だし、テクノを紹介したのは阿木さんが最初で、そして例えばディス・ヒートが海外ではさほど評価されていないのに日本では異常に評価が高いのは、ロックマガジンでディス・ヒートが大々的に紹介された影響が大きい。
1978年に関西で起こった「関西NO WAVE」も一部はロックマガジンとシンクロし、アーントサリーはロックマガジンのレーベル・ヴァニティからLPをリリースし、同じくヴァニティから「乗物図鑑」というアルバムをリリースしたあがた森魚さんのアルバムにはSSのしのやんやウルトラビデのTaiquiくんが参加したりしていた。
編集部には1、2度行ったことがある。頭士奈生樹くんのお兄さんもスタッフで編集部にいたことがあったな。山崎春美もいたことがあったはずだ。美川くんも原稿を書いていたな。いろいろ思い出す。
ロックマガジンは我々の世界とは徐々にリンクしなくなり、私も読まなくなり、阿木さんがどこかでなにかをしているというのは聞いていても、再びリンクすることはなかった。
阿木さんも未だに30年も前の「ロックマガジンの阿木譲」と呼ばれるのは不本意だろう。
阿木さんはどうも思っていないだろうが、関西の1970年代に音楽をやったり、ちょっと変わった音楽を聞いていたやつらは全員ロックマガジン>阿木譲の影響を受けている。前にblogでFMNの石橋くんが少し書いていたが、当時は間章と阿木譲の紹介していたLPを買えばまず間違いなかったからだ。さらに京都なら、のちにゼロレコードを興す、当時は京都の大手輸入盤&国内版レコードショップの店員だった平川さん、大阪でダウンタウンというレコード店を経営していたネムさんとアルバイトだった吉本さん、東梅田にあったレコード屋・LPコーナーの部長の影響は大きい。
関西の音楽が今や世界規模で見てもヘンテコで最先端で無茶苦茶でスカムで絶対に理解不能なカッコよさがあるのは、この間章、阿木譲、平川、吉本、LPコーナーの部長によって基礎が作られたからであると言っていいと思う。
少なくとも私はそう信じている。
その後の責任は、私と林くんとエッグプラントのけーやんの責任です。(笑)
まあ、そのうち責任はスハラくんと山本精一くん、そのうちにばるるさんやモタコくんにすり替えるから、後はよろしく!
というわけで、1977年ロックマガジン3号の付録「プログレッシブロックカタログ」でジャーマンロック異端派中の異端と書かれたグルグルの「カングル」の曲を明日、そのグルグルのオリジナルメンバーで67才のマニ・ノイメイヤーさんと私が、阿木譲さんのお店のnu-thingsでライブをやりますので、どう考えても時空を超えたような彗星の出会いのような夜ですので、みなさん多数ご来場ください。
http://www.nu-things.com/
阿木さんは1970年代の中頃に「ロックマガジン」を創刊、大阪発の音楽誌ということだけでも珍しかったが、その内容はどの音楽誌も取り上げないようなプログレ、パンク、ニューウエイブ、インダストリアルなど、ほとんどリアルタイムで、かつ最先端で、そしてかなりマイナーな海外インディペンデントな音楽を紹介していた。
例えば「テクノポップ」という言葉は阿木さんの発明した言葉だし、テクノを紹介したのは阿木さんが最初で、そして例えばディス・ヒートが海外ではさほど評価されていないのに日本では異常に評価が高いのは、ロックマガジンでディス・ヒートが大々的に紹介された影響が大きい。
1978年に関西で起こった「関西NO WAVE」も一部はロックマガジンとシンクロし、アーントサリーはロックマガジンのレーベル・ヴァニティからLPをリリースし、同じくヴァニティから「乗物図鑑」というアルバムをリリースしたあがた森魚さんのアルバムにはSSのしのやんやウルトラビデのTaiquiくんが参加したりしていた。
編集部には1、2度行ったことがある。頭士奈生樹くんのお兄さんもスタッフで編集部にいたことがあったな。山崎春美もいたことがあったはずだ。美川くんも原稿を書いていたな。いろいろ思い出す。
ロックマガジンは我々の世界とは徐々にリンクしなくなり、私も読まなくなり、阿木さんがどこかでなにかをしているというのは聞いていても、再びリンクすることはなかった。
阿木さんも未だに30年も前の「ロックマガジンの阿木譲」と呼ばれるのは不本意だろう。
阿木さんはどうも思っていないだろうが、関西の1970年代に音楽をやったり、ちょっと変わった音楽を聞いていたやつらは全員ロックマガジン>阿木譲の影響を受けている。前にblogでFMNの石橋くんが少し書いていたが、当時は間章と阿木譲の紹介していたLPを買えばまず間違いなかったからだ。さらに京都なら、のちにゼロレコードを興す、当時は京都の大手輸入盤&国内版レコードショップの店員だった平川さん、大阪でダウンタウンというレコード店を経営していたネムさんとアルバイトだった吉本さん、東梅田にあったレコード屋・LPコーナーの部長の影響は大きい。
関西の音楽が今や世界規模で見てもヘンテコで最先端で無茶苦茶でスカムで絶対に理解不能なカッコよさがあるのは、この間章、阿木譲、平川、吉本、LPコーナーの部長によって基礎が作られたからであると言っていいと思う。
少なくとも私はそう信じている。
その後の責任は、私と林くんとエッグプラントのけーやんの責任です。(笑)
まあ、そのうち責任はスハラくんと山本精一くん、そのうちにばるるさんやモタコくんにすり替えるから、後はよろしく!
というわけで、1977年ロックマガジン3号の付録「プログレッシブロックカタログ」でジャーマンロック異端派中の異端と書かれたグルグルの「カングル」の曲を明日、そのグルグルのオリジナルメンバーで67才のマニ・ノイメイヤーさんと私が、阿木譲さんのお店のnu-thingsでライブをやりますので、どう考えても時空を超えたような彗星の出会いのような夜ですので、みなさん多数ご来場ください。
http://www.nu-things.com/