2008年02月15日
向こう側
先週の土曜日、福岡のギャラリーでのトークの後、外人の来場者との話で私がルチオ・フルチの映画「ビヨンド」が好きだというとけなされてカチンときた話はこのblogに書いた。
映画としてはストーリーも無茶苦茶で、残酷なシーンが意味もなく羅列されるだけの虚しい作品かもしれない、確かに。
ただ、素晴らしいのは、そのラストシーンなのである。
私の知人にはあの世に行ってしまった方はたくさんいるけれども、行って帰ってきたヤツはいない。なのであの世はどんなところなのか、という幼い頃からの疑問はまだ明確な答えは出ていないけれども、もうこの年齢になって、いろいろの話や占いや宗教や幻想文学やなんだかんだを総合すると、まあだいたいこんな感じなんだろうな、ということはわかってきた。
完璧ではないけれど、そのイメージを映画「ビヨンド」はかなり近い線で具現化している。実際はもっと暗いはずだが。
闇から生まれて闇へと帰る、とは佐井好子さんの歌詞だけれど、うまく言い得てるよな。
もし私が死んだら、この佐井好子さんの「遍路」という歌を必ずかけてください。
映画としてはストーリーも無茶苦茶で、残酷なシーンが意味もなく羅列されるだけの虚しい作品かもしれない、確かに。
ただ、素晴らしいのは、そのラストシーンなのである。
私の知人にはあの世に行ってしまった方はたくさんいるけれども、行って帰ってきたヤツはいない。なのであの世はどんなところなのか、という幼い頃からの疑問はまだ明確な答えは出ていないけれども、もうこの年齢になって、いろいろの話や占いや宗教や幻想文学やなんだかんだを総合すると、まあだいたいこんな感じなんだろうな、ということはわかってきた。
完璧ではないけれど、そのイメージを映画「ビヨンド」はかなり近い線で具現化している。実際はもっと暗いはずだが。
闇から生まれて闇へと帰る、とは佐井好子さんの歌詞だけれど、うまく言い得てるよな。
もし私が死んだら、この佐井好子さんの「遍路」という歌を必ずかけてください。