2008年01月10日

さよなら・ぼくの・ともだち

火曜、水曜と不在にしていたのだが、その間に大阪のお店のPCに、元CLUB24のSさんからメールが来ていた。彼の友人であり、私の知人でもあるみのる君の訃報だった。
亡くなったのは昨年のクリスマスの後で、すでに家族で葬式もすましたという。

このblogを読んでいる人の多くは、みのる君のことは知らないか、接する機会はあってもあまり記憶に残っていないのではないかと思う。印象の薄い子だった。


私とみのる君が最初に知り合ったのは、もう20年近く前ではないかと思う。彼は私や赤痢の大ファンで、渋谷・ラママに赤痢のライブを見に来てくれた時に声をかけてくれた。それからは2007年まで、断続的に会うことになる。
三軒茶屋フジヤマでもよく会ったし、私の東京でのライブには何度も来てくれた。そのうちにJINMOさんというギタリストに師事することになり、ギター奏者になったはずだ。彼のブッキングでJINMOさんとラママに出たこともある。

しかし会うのは本当に断続的で、1年くらいまったく会わなくなることもよくあった。
2002年の暮れか2003年の正月に、フジヤマ前の路上で鍋パーティがあり、私も参加した。青のビニールシートをしいて、あまりにも寒い路上で、みんな震えながら鍋をつついた記憶がある。その時にみのる君も来ていた。私の隣に座り、JOJOさんのライブを横浜でやって欲しいと言われた。彼のブッキングで横浜のCLUB24に出演することになった。

CLUB24では彼の企画のみならず、みのる君の友人でもあるSさんがブッキングマネージャーだったこともあり、たいへん良くしていただいた。早川義夫さん、芥正彦さん、ダモ鈴木さん、マニさんなどとも共演させてもらった。私も三上さんや灰野さんを紹介したり、アルケミーブライテストホープスというナイトギャラリーの面々を集めて出演させたり、Taiquiくんもツインドラムの一員として参加させたり、非常階段結成25周年ライブを行ったりもした。私の最後の出演は昨年の三上寛、とうめいロボだったかな。

みのる君とはCLUB24で会っても「やあ、元気?」程度の軽い挨拶くらいしかしなかった気がする。芥さんのバックでギターを弾いたり、たまにDJもしていたように記憶しているが、私も出演者とあってじっくり接することはなかった。

たしか中山双葉のCLUB24のライブを楽しみにしていたのに、みのる君は何かの事情で来れなかったようで、後悔している旨のメールを後日いただいた記憶がある。


みのる君は、典型的な私のファンの男の子だった。
繊細で、やさしくて、いくじなしで、弱虫で、小心者で、それでいて人前ではなんでもない顔をして。
音楽が好きで、ギャルバンが好きで、アルケミーから出しているようなバンドはみんな好きで。でも女の子の演奏者に顔を覚えてもらったり、話ができたりするととても嬉しくて。
私のことも好きで、私のblogの書き込みや発言には敏感に反応して。
精神的には不安定で、アップダウンがあって。
レコードやCDを大量に買ったり。でもいやになって全部手放したりして。
楽器も少しやったりして、自主でカセットやCDRをつくったり、ライブもしたりして。でも私には恥ずかしくてなかなか手渡せずにいたりして。

みのる君、君のことはたいがいはわかっていた気がするよ。
「フジヤマに自分のビデオをおいている」なんて私にメールしてきたけど、見なくても、君がやっていること、したかったことはわかってたよ。
私のことを「この人なら自分のことをわかってくれる」と思ってたでしょ。そう、わかってたよ。

でもね、どうして君が、その若さで死ななくてはならなかったのかは、わからない。

AMSでしか売ってない双葉ちゃんのDVDRを欲しがってたね。
お金がないのであきらめムードです、と先月メールしてきたのが、最後になったね。

でも、あと何十年かしたら、みんなそっちにいくからさ。
また、会おうぜ。

とりあえず、「さよなら/ぼくの/ともだち」。

今日は森田童子のこの曲を、きみのために、聞くよ。



kishidashin01 at 23:37│clip!日常