2007年11月25日

かなうゆめ

このblogになる前の日記のころからそうだったのだが、私が誰かのことを書くと、誰かがその本人に書いてあることを伝えてくれる。
PSF/モダーンミュージックの生悦住さんの時に特に顕著で、前回の日記の時は皮肉をこめて「伝書鳩」と揶揄したこともあるが、考えようによっては便利だ。

たとえばアルカンジェロの「ジョン・G・ペリー/サンセット・ウェディング」の紙ジャケCD再発には原盤にあるデッカのロゴがない、なんて書くと、アルカンジェロの人からあれはこういうわけで入れられない、との弁明が別の人から届く。

先日、私の名前をモチーフにしたパチスロ漫画があるらしいとこのblogで書いたら、今日はその原作者の鶴岡さんから詫びのメールが届いた。
いや別に詫びでもらわなくても今回の件は当方は楽しんでいる、お仕事がんばってくださいと返信したが、ちゃんと本人に伝わるものだなあと関心する。

そう言えばmixiでもう会えないような過去の友人知人と再会したという話は日常茶飯事のようで、ネットの世界ではもうこういったことは珍しいことではないのかもしれない。

バークレイ・ジェームス・ハーベストの「妖精王」もディヴィッド・アレンの「グッド・モーニング」もドール・バイ・ドールの全アルバムも、そしてついにはリリエンタールもCDになって再発された。blogであの作品をCD化して欲しいと書けば、いつか現実になっているのも、なんだかおかしい。

そうすると小西さんが「アウシュビッツの4枚組CDボックスを」と夢見るのも、ちゃんと書いておけば実現するのかもしれない。
林くん没後5周年にあたる来年にハードスタッフが発刊されれば、というのもこうやって書いておけばきっと実現するのだ。

なんだかデスノートのような話にも見えるが、ただ非現実なことを書くのではなく、なにかの希望であることが重要なのだろう。

夢は夜ひらく、か。


kishidashin01 at 23:59│clip!日常