2012年11月
2012年11月30日
2012年11月29日
渋谷WWWでライブ
渋谷WWWでライブ。
このライブハウスは初出演だが、ここは映画館だったはずで、確かデヴィッド・リンチの「ブルー・ヴェルヴェット」をこの場所で見た記憶がある。
ライブは阿部怪異。
阿部怪異は1981-1982年に美川くんが主体となって行っていたユニットで、短い即興セッションを繰り返すものだった。
ここ最近、気になること、思い出したこと、やろうと思ってできなかったことはなんでもやろう、という動きが私のまわりでも起こっているので、この機会にと思った。
オリジナルメンバーは私と美川くん以外は他界していたり連絡がとれなくなっているので、まあ、私と美川くんがいれば阿部怪異を名乗っても差し支えないだろう。
ベースにバー・イッシーの石田さん、ドラムに吉田達也くんを加えての4人編成。おもしろい演奏だった。我々のルーツにプログレがあるのがよくわかった。
またこのメンバーで演奏したいなあ。
このライブハウスは初出演だが、ここは映画館だったはずで、確かデヴィッド・リンチの「ブルー・ヴェルヴェット」をこの場所で見た記憶がある。
ライブは阿部怪異。
阿部怪異は1981-1982年に美川くんが主体となって行っていたユニットで、短い即興セッションを繰り返すものだった。
ここ最近、気になること、思い出したこと、やろうと思ってできなかったことはなんでもやろう、という動きが私のまわりでも起こっているので、この機会にと思った。
オリジナルメンバーは私と美川くん以外は他界していたり連絡がとれなくなっているので、まあ、私と美川くんがいれば阿部怪異を名乗っても差し支えないだろう。
ベースにバー・イッシーの石田さん、ドラムに吉田達也くんを加えての4人編成。おもしろい演奏だった。我々のルーツにプログレがあるのがよくわかった。
またこのメンバーで演奏したいなあ。
2012年11月27日
うさぎや
小学校の頃、校門のすぐ側に、文房具店があった。
確か本当の名前は「木村商店」みたいな普通の名前のお店だったと思うが、ぼくたちは「うさぎや」と呼んでいた。
記憶がさだかではない。
4才上の姉が、確か以前は店頭でうさぎを飼っていたので、そこから「うさぎや」と呼ぶようになった。
そんなエピソードを話してくれていた気がする。
「うさぎや」は基本文房具店だったが、簡単な日用雑貨も販売していた。
しかしぼくにとっては"記念切手"を販売している一番身近なショップでもあった。
ぼくは小学校1年生の時から記念切手を集めていて、自分のコレクションをふやすのに、うさぎやの店頭で切手の並んだバインダーを見せてもらい、いつも長い間悩んで、何枚かの切手を購入していたはずだ。
ぼくの記念切手コレクションは、このうさぎやで買うか、時々母に連れられて買い物に行った、四条通りにあったデパート「大丸」か、京都駅前にあった「丸物」の古銭・切手コーナーで購入するしかなかった。
ある日、切手の専門誌が発行された。
確か「スタンプマガジン」という名前の雑誌で、切手収集がブームになってきていたので、それに乗じて発行されたものだったのだろう。
そこには東京の切手専門店が広告を出しており、そこのプライスはうさぎやでの店頭価格と比べると、破格なほど安かった。
ぼくはもううさぎやで切手を購入することはなくなった。
通販を利用し、東京の切手専門店でコレクションを充実させるようになった。
毎日のように切手を買いに行ってたうさぎやのおばさんは、きっとぼくがパッタリ来なくなったのを不信におもったのに違いない。
ぼくが鉛筆かなにかを買いにうさぎやに入った時、おばさんが
「ぼく、新しい切手がはいったよ。バインダー見ていく?」
と声をかけてきた。
ぼくは通販を利用して安値で切手を買っているので、もうそのバインダーを見る必要はなかった。多分ぼくが買っている価格より高額な値段がついているだろう。そう容易に想像できたが、おばさんの顔を見てしまうと、それを断る度胸はなかった。
おばさんはバインダーを見せ、ぼくは手にとった。
パラパラとページをめくっていくと、やはりそこに並んだ記念切手の値段は、ぼくが通販で買っている金額よりかなり高かった。
さあ、なにかを買ってくれる、と信じて待っているうさぎやのおばさん。
もう買う気はないのに、バインダーを見ているふりをしているぼく。
こんなに気まずい時間はなかった。
なにか用事を思い出したのか、ふとおばさんが店の奧に引っ込んだ。
ぼくはその隙に切手のバインダーをカウンターに返して、お店を飛び出した。
ああ、もううさぎやには行けないな。
そう思った。
実際、もっと大きな文具店が自宅近くに開店し、文具はそちらで購入するようになり、うさぎやには行かなくなった。
うさぎやのおばさんはお店の前でも見かけなくなり、おばさんの妹さんというウワサの新しいおばさんが店頭に立つようになった。元々いたおばさんもたまには見かけたが、ああ今日はいるんだなというくらいの感慨しかなかった。
ある日、うさぎやの前に葬式の装飾がされているのを見た。
うさぎやのおばさんが亡くなったようだった。
ぼくはあの日、記念切手を買わないでお店を飛び出したことを、なんとも悪いことをしたような気がしたが、誰にもそんな話をすることはなかった。
おばさんの葬式の後、ぼくは学校帰りにうさぎやに寄った。
亡くなったおばさんの妹さんが出てきたので、ぼくは頼んで記念切手の入ったバインダーを見せてもらった。
もう切手ブームも終わりに近づいていたし、切手の入ったバインダーも歯抜けのようになっていて、補充がされていないのはあきらかだった。
ぼくはその売れ残りの切手の中から、下北半島国定公園の切手を買った。
カラー印刷で、肌色の部分がきれいな記念切手だったが、値段が中途半端に高かったため、なかなかコレクションに加えてなかった1枚だった。
東京の専門店で通販で買ったほうが安いのはわかっていたが、ぼくはなんだか亡くなったうさぎやのおばさんへの罪滅ぼしのような気持ちだったのだろう。お小遣いを出して、その下北半島の切手を買った。
約40年くらい後に、ぼくは下北半島でCDのジャケット用写真を撮ることになった。
その場所に降り立った時、あの切手のデザインそのままの風景に感動し、ずいぶん久しぶりに「うさぎや」のことを思い出した。
実家に帰る機会があり、小学校の前を通った。
うさぎやの跡地はまるで面影もなく、一旦そのあたり全面を取り壊したのだろう、新しいマンションが建っていた。
「うさぎや」って、いい名前だったな。
ぼくはそう、思った。
確か本当の名前は「木村商店」みたいな普通の名前のお店だったと思うが、ぼくたちは「うさぎや」と呼んでいた。
記憶がさだかではない。
4才上の姉が、確か以前は店頭でうさぎを飼っていたので、そこから「うさぎや」と呼ぶようになった。
そんなエピソードを話してくれていた気がする。
「うさぎや」は基本文房具店だったが、簡単な日用雑貨も販売していた。
しかしぼくにとっては"記念切手"を販売している一番身近なショップでもあった。
ぼくは小学校1年生の時から記念切手を集めていて、自分のコレクションをふやすのに、うさぎやの店頭で切手の並んだバインダーを見せてもらい、いつも長い間悩んで、何枚かの切手を購入していたはずだ。
ぼくの記念切手コレクションは、このうさぎやで買うか、時々母に連れられて買い物に行った、四条通りにあったデパート「大丸」か、京都駅前にあった「丸物」の古銭・切手コーナーで購入するしかなかった。
ある日、切手の専門誌が発行された。
確か「スタンプマガジン」という名前の雑誌で、切手収集がブームになってきていたので、それに乗じて発行されたものだったのだろう。
そこには東京の切手専門店が広告を出しており、そこのプライスはうさぎやでの店頭価格と比べると、破格なほど安かった。
ぼくはもううさぎやで切手を購入することはなくなった。
通販を利用し、東京の切手専門店でコレクションを充実させるようになった。
毎日のように切手を買いに行ってたうさぎやのおばさんは、きっとぼくがパッタリ来なくなったのを不信におもったのに違いない。
ぼくが鉛筆かなにかを買いにうさぎやに入った時、おばさんが
「ぼく、新しい切手がはいったよ。バインダー見ていく?」
と声をかけてきた。
ぼくは通販を利用して安値で切手を買っているので、もうそのバインダーを見る必要はなかった。多分ぼくが買っている価格より高額な値段がついているだろう。そう容易に想像できたが、おばさんの顔を見てしまうと、それを断る度胸はなかった。
おばさんはバインダーを見せ、ぼくは手にとった。
パラパラとページをめくっていくと、やはりそこに並んだ記念切手の値段は、ぼくが通販で買っている金額よりかなり高かった。
さあ、なにかを買ってくれる、と信じて待っているうさぎやのおばさん。
もう買う気はないのに、バインダーを見ているふりをしているぼく。
こんなに気まずい時間はなかった。
なにか用事を思い出したのか、ふとおばさんが店の奧に引っ込んだ。
ぼくはその隙に切手のバインダーをカウンターに返して、お店を飛び出した。
ああ、もううさぎやには行けないな。
そう思った。
実際、もっと大きな文具店が自宅近くに開店し、文具はそちらで購入するようになり、うさぎやには行かなくなった。
うさぎやのおばさんはお店の前でも見かけなくなり、おばさんの妹さんというウワサの新しいおばさんが店頭に立つようになった。元々いたおばさんもたまには見かけたが、ああ今日はいるんだなというくらいの感慨しかなかった。
ある日、うさぎやの前に葬式の装飾がされているのを見た。
うさぎやのおばさんが亡くなったようだった。
ぼくはあの日、記念切手を買わないでお店を飛び出したことを、なんとも悪いことをしたような気がしたが、誰にもそんな話をすることはなかった。
おばさんの葬式の後、ぼくは学校帰りにうさぎやに寄った。
亡くなったおばさんの妹さんが出てきたので、ぼくは頼んで記念切手の入ったバインダーを見せてもらった。
もう切手ブームも終わりに近づいていたし、切手の入ったバインダーも歯抜けのようになっていて、補充がされていないのはあきらかだった。
ぼくはその売れ残りの切手の中から、下北半島国定公園の切手を買った。
カラー印刷で、肌色の部分がきれいな記念切手だったが、値段が中途半端に高かったため、なかなかコレクションに加えてなかった1枚だった。
東京の専門店で通販で買ったほうが安いのはわかっていたが、ぼくはなんだか亡くなったうさぎやのおばさんへの罪滅ぼしのような気持ちだったのだろう。お小遣いを出して、その下北半島の切手を買った。
約40年くらい後に、ぼくは下北半島でCDのジャケット用写真を撮ることになった。
その場所に降り立った時、あの切手のデザインそのままの風景に感動し、ずいぶん久しぶりに「うさぎや」のことを思い出した。
実家に帰る機会があり、小学校の前を通った。
うさぎやの跡地はまるで面影もなく、一旦そのあたり全面を取り壊したのだろう、新しいマンションが建っていた。
「うさぎや」って、いい名前だったな。
ぼくはそう、思った。
2012年11月26日
渋谷アップリンクでライブ
「早川義夫と穂高亜希子の世界」と題して、渋谷アップリンクファクトリーでライブ。
今年の9月に早川さんと関西四国ツアーをしたので、その時のメンバーで東京でもライブをしましょうということになっていたのだ。
出演は早川義夫、穂高亜希子をメインにして、JOJO広重、熊坂るつこがサポートをするもの。
最初は穂高亜希子さんのピアノ弾き語り。
緊張したのだろう、ミスタッチもあったが、それでも透き通るような彼女のボーカルは見事だった。
穂高さんの歌はどんどん強くなり、たくさんの思いを伝えられるようになっているように思う。
途中で私とるつこさんが参加、私の曲、「悲しみ」「春の雪」を3人で演奏。
第二部は早川義夫さんとるつこさんのDUO。
早川さんはソロの曲がメインで、途中仲井戸麗市さんの「My R&R」、その歌の中に『JOJO広重!』とインサートして歌っていただき、恐縮!嬉しかったです!
最後に「ラブ・ゼネレーション」。
もうこの曲は大好きで。
早川さんが『ぼくらは』と歌いだすだけで背筋が伸びる。
アンコールは私と穂高さんが入って「からっぽの世界」。
いいライブだった。
また機会があれば、この4人でライブがしたいな。
今年の9月に早川さんと関西四国ツアーをしたので、その時のメンバーで東京でもライブをしましょうということになっていたのだ。
出演は早川義夫、穂高亜希子をメインにして、JOJO広重、熊坂るつこがサポートをするもの。
最初は穂高亜希子さんのピアノ弾き語り。
緊張したのだろう、ミスタッチもあったが、それでも透き通るような彼女のボーカルは見事だった。
穂高さんの歌はどんどん強くなり、たくさんの思いを伝えられるようになっているように思う。
途中で私とるつこさんが参加、私の曲、「悲しみ」「春の雪」を3人で演奏。
第二部は早川義夫さんとるつこさんのDUO。
早川さんはソロの曲がメインで、途中仲井戸麗市さんの「My R&R」、その歌の中に『JOJO広重!』とインサートして歌っていただき、恐縮!嬉しかったです!
最後に「ラブ・ゼネレーション」。
もうこの曲は大好きで。
早川さんが『ぼくらは』と歌いだすだけで背筋が伸びる。
アンコールは私と穂高さんが入って「からっぽの世界」。
いいライブだった。
また機会があれば、この4人でライブがしたいな。
2012年11月25日
2012年11月24日
JOJO広重・第四十四回東京鑑定会・2012年12月開催のお知らせ
<<JOJO広重・第四十四回東京鑑定会・2012年12月開催のお知らせ>>
アップリンク・ファクトリー前「TABELA」での鑑定会、おかげさまで毎回好評です。
本当にありがとうございます。
2012年12月は以下の日程で開催します。
希望の方はご予約ください。
<場所>
渋谷・アップリンクファクトリー前・レストランTABELA
地図はこちら↓
渋谷・アップリンクファクトリー
<日程>
12月22日(土)全コマうまりました
12月23日(日)13:00-15:00(他のコマは埋まりました)
12月24日(月・祝)12:00-15:00
<料金>
30分5000円、1時間10000円
時間内なら何件でも占います。2名1組で来ていただいてもかまいません。
3名以上同時は不可能です。ご了解ください。
お名前、生年月日、希望の日程と時間、鑑定時間30分 or 1時間の希望を書いて
「東京鑑定会希望」とタイトルの上、下記アドレスまでメールください。
futuredays@mail.goo.ne.jp
例えば鑑定内容がご自身の恋愛運の1件のみなら30分くらいで収まりますが、ご家族の運気や病気など内容が広がりますと30分ではなかなか難しいです。そのあたり内容によってはご相談ください。
ご希望の日程と時間に添うようにしますが、予約が重なった場合、調整をお願いする場合があります。ご了解ください。
ではご検討よろしくお願いします。
<ご注意ください>
最近お問い合わせの時、Yahoo!メール・Docomoメールをご利用のお客様から「メールが届きません!」とのご連絡をよく受けます。
フリーメールのアドレスをはじく設定だされているケースがほとんどです。そちらの受信アドレス設定にお気をつけください。
JOJO広重
アップリンク・ファクトリー前「TABELA」での鑑定会、おかげさまで毎回好評です。
本当にありがとうございます。
2012年12月は以下の日程で開催します。
希望の方はご予約ください。
<場所>
渋谷・アップリンクファクトリー前・レストランTABELA
地図はこちら↓
渋谷・アップリンクファクトリー
<日程>
12月22日(土)全コマうまりました
12月23日(日)13:00-15:00(他のコマは埋まりました)
12月24日(月・祝)12:00-15:00
<料金>
30分5000円、1時間10000円
時間内なら何件でも占います。2名1組で来ていただいてもかまいません。
3名以上同時は不可能です。ご了解ください。
お名前、生年月日、希望の日程と時間、鑑定時間30分 or 1時間の希望を書いて
「東京鑑定会希望」とタイトルの上、下記アドレスまでメールください。
futuredays@mail.goo.ne.jp
例えば鑑定内容がご自身の恋愛運の1件のみなら30分くらいで収まりますが、ご家族の運気や病気など内容が広がりますと30分ではなかなか難しいです。そのあたり内容によってはご相談ください。
ご希望の日程と時間に添うようにしますが、予約が重なった場合、調整をお願いする場合があります。ご了解ください。
ではご検討よろしくお願いします。
<ご注意ください>
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