2011年07月

2011年07月31日

萩市にて

佐々木さんのカレー屋さん、オニオン座を訪問。繁盛していてなにより。

明日の夏祭りを手伝う予定で準備いろいろ。

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2011年07月30日

深夜ドライブ

山口県萩市に向かって深夜のドライブ。徹夜の運転は久しぶり。


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2011年07月29日

文句の多いあなたへ

させていただくのだよ。

どうしてわからないかなあ。

いやだいやだでは、しかたがないねえ。

せっかく開いた運が、また閉じていくのが見えるようだ。

いやだいやだと言われる身になってみれないいのにね。

わかんないんだろうなあ。


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2011年07月28日

本人が望む望まないに関わりなく

人はいつか死にます。

なんの意味もなく生まれてくる人なんていません。

みんな役割を持って生まれてくる。

ある人は長く、ある人は短く生きる。

その時間の中で、自分が望むかどうかに関わりなく、

しなければいけないことをする。してしまう。

ある時は人にしてもらう。

ある時は人のためになにかをする。

本人が望む望まないに関わりなくするべきことをした後に

本人が望む望まないに関わりなく死はやってくる。

この「本人が望む望まないに関わりなく」ということ、重要。



でもね、若い人が死ぬのは、ちょっとつらいね。

前にもあげたけれど、おすすめ図書、あげておくね。

生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える (PHP文庫)
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2011年07月27日

発狂の夜

先日、京都アバンギルドでのライブ直前、主催のizumoさんや日比谷カタンさんらと食事へ。その時に、渋谷の「青い部屋」というライブハウスが閉店したという話題になって、私が『そう言えば「青い部屋」のあった近くに「発狂の夜」というライブスペースがありましたよ』という話題をふると、みなさんはその存在を知らず、そのネーミングにずいぶん驚かれていた。

そう言えばあの店はその後どうなったのかと思えば、taiquiくんが調べてくれたのはこちら。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0818.html

「発狂の夜」は永寿日朗さんという方が新宿で経営していた変態バーみたいな場所で、それが渋谷に移転したようにうかがえる。「燃えた」というのは火事になったのだろうか。

私が「発狂の夜」に1982年に出演したのは、経緯は忘れたが、なにかアンダーグラウンドなグロテスクな映像にノイズ演奏をかぶせるというシロモノで、ライブ前は憮然としていた永寿日朗さんがライブ終了後、「君たち、こういうの好きなの?だったらここでいろいろできるよ!(女性を縛って)吊したりできるよ!」と天井を指さしたのをよく覚えている。天井には鍵フックが埋め込まれていた。


これを見ると「発狂の夜」には工藤冬里くんやコクシネルなども出演していたようだ。1981-1983年くらいにあったライブスペースだったんですかね。
http://plaza.rakuten.co.jp/lifeaffair/9002


kishidashin01 at 22:59|Permalinkclip!音楽 

2011年07月26日

ビヨンド/エンディング




2008年、福岡のライブイベント「Against 2008」の前日、別会場でトークイベントがあり、ゲストとして呼ばれた。

トークの後、来場者と雑談中、外国人数名の団体から『JOJO、おまえの一番好きなホラー映画はなんだ』ときかれ、『ルチオ・フルチの「ビヨンド」』と答えたところ、なんだそんな映画化と失笑され、ずいぶん不愉快な気持ちになったのを覚えている。もっと私が若かったら、殴っていたかもしれない。

今、このエンディングを見るとずいぶんちゃっちい気がするが、最初に見た時の衝撃は大きかった。
あの世とは、きっとこういった荒涼とした世界だろう、当時はそう思ったし、今もそう思っている。


kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!映画 

2011年07月25日

命日

今日は林直人くんの8回目の命日だった。

林くんは関西パンクシーン、アンダーグラウンドロックシーンのゴッドファーザー的な存在の人物で、1978年に関西初のパンクのミニコミ誌を創刊したり、大阪で最初のパンクギグを開催。1979年以降、その後の関西のパンクやハードコアなどの初期のライブをブッキングしたり、バンドを育てたりした立て役者である。インディーズレーベルも創立、私とアルケミーレコードを立ち上げたのは1984年だった。

1993年に自らのバンド・アウシュビッツを解散してからは一線から身を引いていたが、2003年に癌で亡くなる直前はソロやセッションなどでシーンに少し帰ってきていた時期があった。

林くんに世話になった人間は多い。
もちろんトラブル(多くは酒の上での)もあったが、林くんを悪く言う人はそんなには多くない。
関西の音楽シーンの基礎を作った人物、という肩書きはあまりにも大きい。

今日は彼の墓参ということで四天王寺に出向いた。
墓を前に少し話をしたよ。

心斎橋のライブハウスで追悼イベントも行われた。

心がちょっと、さわいだ。


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2011年07月24日

東京ボアダム@京都メトロ

というわけで、昨年非常階段が出演した「東京ボアダム」の京都編をやるというので、やはりこちらもということで、非常階段で出演。非常階段の京都でのライブは約8年ぶり。

今日は私の過去のブログに登場した経緯のある、小学校時代の同級生のFくん+2名が来場。彼らは当然小学校の同級生が約40年後にこんなバンドをやっているとは露思っていないわけで、さぞかし驚いたと思うが、楽しんでくれたようでなにより。
私も小学校時代の同級生の前で演奏できたり、私の年齢の半分くらいの若者にまじって/むけて/一緒に爆音と絶叫でノイズの大嵐を展開できたのはとても嬉しい。故郷に錦を飾るとはこのことかもしれない。

対バンはほとんど見れなかったが、数年ぶりの対バンとなったヨルズ・イン・ザ・スカイのトランス感は非常によかったと思う。bedというバンドは京都のバンドなのだろうか。センチメンタルなメロディラインとコードが秀逸。きっと凄くいいバンドになって、人気が出ると思います。

次の非常階段はFREE DOMMUNE ZERO ですね。8/19、よろしく。


kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!ライブ 

2011年07月23日

京都でライブ

京都アバンギルドでソロのライブ。

昨日、音楽評論家の中村とうようさんが自殺で亡くなられた経緯があり、今夜のライブはとうようさんに捧ぐ形にしてみた。

セットリスト
1)オレトオマエ!
2)死にたいだけ
3)デスダイブ
4)生きている価値なし(ショートバージョン)

びろうどねこさん、カタンさん、マドナシくん、環(taiquiくん&izumoさん)という並びからすると重すぎた内容かもしれないが、今日しかできないということもあって強行させていただいた。どうだったろうか。

さりとて、今日は5組ともがそれぞれのカラーをかもしだしていて、いい内容でした。
またいつかどこかで。



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2011年07月22日

週末はライブ2DAY

今週の土日は珍しく連続してのライブ。

23日は京都木屋町アバンギルドでソロ。
24日はやはり京都、今度はメトロでの東京ボアダムに非常階段で出演。

京都で2日続けてというのも、滅多になさそうだ。

京都のみなさん、よろしくお願いします。


kishidashin01 at 23:26|Permalinkclip!ライブ