2009年08月

2009年08月22日

非常階段ワンマンライブwith坂田明

いよいよ本日ですね!

非常階段結成30周年ワンマンライブ atベアーズ 2009.8.22.
ゲスト:坂田明


多数のご来場お待ちしています!
大阪での非常階段のライブは年内はもうありませんので、よろしくお願いします!


kishidashin01 at 00:22|Permalinkclip!ライブ 

2009年08月21日

渋谷でトーク

午前中に時間があったので、映画「色即じぇねれいしょん」を見に行く。
エンディング・テーマは村八分だし、音楽は大友良英さんだし、監督は田口トモロウさんだし、というわけだが、もっとおもしろくできたはず、という部分はいくつもあるなあ。
でも1970年代に私も京都で中学生、高校生だったわけで、共感できる部分はずいぶんありました。

私がこのブログで時々書いている、中学&高校時代の恋愛の話などにベースは似ていますものね。
私もちゃんと小説にして書いておこうと思います、はい。


夜は渋谷・アップリンクファクトリーでトークイベント。
スタジオボイス編集長の松村くんとの話はまあまあおもしろくできたかな。
なんのこっちゃい西山さんも来てくれていたので、レポはそちらにでも。(笑)

しかし、どうしてもやんちゃやってたことの話になりますねえ。
実際おもしろいし、しかたないですね。
3時間もしゃべってしまいましたね!




kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!音楽 

2009年08月20日

21日に渋谷でトークイベント

明日21日(金)、渋谷アップリンク・ファクトリーで私のトークイベントあります。


『非常階段の30年間』
2009年8月21日(金)19:00開場 / 19:30開演

出演:JOJO広重(非常階段)
聞き手:松村正人(現在休刊中のSTUDIO VOICE誌編集長)

会場:アップリンク・ファクトリー
(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F)

料金:1,800円
★メール予約はコチラから
http://www.uplink.co.jp/factory/log/003148.php

非常階段の話題のみで2時間あまりのトークショーというのは過去にないかもしれませんね。たいがいは関西のアンダーグラウンドを語ったり、なにか別のアーティストや動きに関係して話をすることが多かったように思います。

また非常階段というと、1980-1982年くらいの、いわゆる「過激なパフォーマンス」についてばかり語られることが多く、実際その頃の話がバカっぽくておもしろいのはおもしろいのですが、もう少しノイズとか演奏について話せたらいいなと思っています。

休刊中(まあ復刊はないでしょうけれど)のスタジオボイス最後の編集長・松村くんとのトークも楽しみにしています。
関東近辺の方、ぜひご来場ください。


kishidashin01 at 11:40|Permalinkclip!音楽 

2009年08月19日

Oくんのこと

小学校3年4年の時にクラスメイトだったOくんは時計屋の息子だった。

今でこそ時計屋なんて流行らない職業かもしれないが、1960年代の時計屋は宝石屋もかねていたこともあり、花形の商売だった。そもそも腕時計というもの自体が高級品で、おいそれと誰もが持っているものではなかったのである。ショーケースに並んだ高額な腕時計を子供も大人もあこがれのまなざしで見ていた、そんな時代だった。

当然、時計屋のせがれであるOくんは「ぼんぼん」である。つまりはお金持ちの子供なわけで、同じクラスメイトの中でもいいものを持っているガキ、ということになる。
子供ははしっこいから、そういった金持ちの子供には、群がる。自分たちが買えないような玩具やゲームを持っているからで、本人よりもそっちが目当てで友達になるケースも多かった。

Oくんの家は自分の家と近いこともあり、よく遊んだ。ゲーム、プラモデル、野球、プロレス、戦争ごっこ、モデルガン、なんでもござれ。親に内緒で持ち出したマッチでプラモデルに火をつけて遊び、見つかって大目玉をくらったこともある。神社の境内で捨て猫をみんなで飼ったこともあった。

Oくんとは小学校5年生でクラスが別れた。それからはあまり一緒に遊ばなくなった。

5年生になってから私は進学塾に行くようになり、京都市内の私立中学を受験することになった。
しかしまじめな受験生であるわけもなく、さぼって図書館で漫画を読んでいたり、デパートで遊んでいるところを親戚のおばさんに見つかったりして怒られたりしていたので、親はさぞかし不安に思っていたのではないかと思う。
6年生になっても塾の成績もあまり良くなく、志望の中学は合格ラインスレスレといったところだった。

塾の仲間から、前年度の入試問題と解答を掲載した本が発行されていることをお知えてもらい、河原町三条にあった駸々堂書店に買いに行った。すると前年度の問題集と一緒に、おそらく売れ残りであったのだろう、1冊だけ前々年度の入試問題集が売っていたのである。私は『学校もまさか前の年に出した問題をそのまま今年も出すことはないだろう。しかし前々年度の問題を数値などを変えて出すことはあるのではないか』と思った。そしてその1冊だけ残っていた古い問題集を購入し、それを中心に勉強したのである。

試験当日、私の感は当たっていた。ほとんどの問題が前々年度の出題の数値や角度を変えたものだったのである。私は試験を書き込む時間があまってしまい、試験中に絵をかいていたほどであった。
試験の帰り道、母親に連れられて受験に来ていたOくんを見かけた。Oくんも私に気がつき『広重が...』と唖然としていたのを覚えている。私は一人で受験に来ていたこともあり、親同伴だったOくんを「やっぱりぼんぼんやなあ」と思って見ていた。


私は入試に合格した。
塾の連中もあきれていた。塾の算数の試験で0点を取ったりしていたヤツがそこそこの私立中学の入試を突破したことは、たいへんな驚きだったようだ。

合格祝いに親が腕時計を買ってくれる、ということになった。当時の合格祝いといえば万年筆と腕時計が定番だった。
Oくんの家にSEIKOの腕時計を父親と一緒に買いに行くと、Oくんのお父さんが接客してくれた。

合格祝いですか、どこの中学に。え?

お父さんはOくんを呼び出した。
『広重くん、受かったらしいよ』
Oくんは暗い顔をして「ふーん」と言ったまま、立ちすくしている。Oくんは受験に落ちていたのである。

合格した私。合格祝いの時計を買いに来た父親。同じ学校を受験して落ちたOくん。そのOくんの父親が私に時計を売るということ。

誰も悪くはないが、こんなに気まずい空気もほかにはなかった。
すまん、Oくん、オレは努力したわけではなく、たまたま具合の良い問題集を丸暗記しただけなのだ、とは、けっして言えなかった。

Oくんの実家の時計屋は、まだある。
Oくんが後を継いだかどうかは、知らない。


kishidashin01 at 13:16|Permalinkclip!日常 

2009年08月18日

19日東京鑑定会・フリー参加OKです

8月19日(水)の渋谷・アップリンクファクトリー前・レストランTABELAでのJOJO広重占い鑑定会ですが、空き時間ができました。その間は予約なしでフリーで来ていただいてかまいません。


<場所>
渋谷・アップリンクファクトリー前・レストランTABELA
地図はこちら↓
渋谷・アップリンクファクトリー

<時間>
8月19日(水) 16:00-18:00


予約したい方は当日の朝10時までにfuturedays@mail.goo.ne.jp
にメールで予約ください。
鑑定は予約の方を優先します。

またフリーで来ていただいて、その場が鑑定中だった場合、お待ちいただくことになりますので、ご了承ください。


8月20日、21日の鑑定会もまだ余裕あります。

8月20日(木) 14:00-16:00
8月21日(金) 14:00-18:00

こちらも参加希望の方はメールにて予約ください。


ではよろしくお願いします!


kishidashin01 at 08:46|Permalinkclip!占い 

2009年08月17日

ROCK + 料理

D-DAYの美子ちゃんよりメール。
先日の阿佐ヶ谷のトークショーの時にメ−ルアドレスをお知えたので、きちんとメールをくれたのである。

ブログのアドレスも書いてあったので、ここに紹介します。
MICO'S KITCHEN

メールには『料理が好きなのでゆくゆくは「ROCK+料理ブログ」にするつもりでーす』とあったので、楽しみにしていますね。

「ROCK+料理ブログ」と言えば、夜邪のサロンちゃんのブログはそれに近いかも。
いや、「ROCK+料理+旅ブログ」か。。。
サロンのhappy life!

kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!音楽 

2009年08月16日

坂田さんのコラム(3)

坂田明のぷかぷか人生

「君はそんな吹き方をしていたらいつかきれるぞ」と、言われ続けてきたわけなんだよ、ね。

そしたらやっぱりキレたんですよ。

57のときに、脳溢血。

キレるわけねえよって言ってたらキレて。

なんだやっぱりキレるんだ、と。ははは。

後遺症がないわけではないけれど、克服はできてると思います。

若いときの体じゃなくて、老人の体ってものをきちんと鍛えることによって、もっとその、いい演奏ができる状態になってきてると思うんだよね。自分で言うのもなんだけど。

山下洋輔トリオでやってた20代のころなんてのはね、力まかせなんだよね。

力まかせで吹いていたんだよ。

150何キロの速球でさ。

ストライクなんて入んない荒れ球でガンガン空振りさせるような。

その時のほうがスピードはあったかもしれない。

でも問題はスピード感なんだよね。

「スピード感」と「スピード」は違うのよ。

そうじゃん、だって、昔のヤクルトの安田みたいな「ふにゃふにゃー」って、縫い目が見えるような球を投げといて「どうだ、打てるか!」みたいなね。

それに近いところが、常にわれわれにはあるよね。

つまりは前の球との落差なわけ。

サックス吹いて、音楽で生き残ろうといろいろやってきたんだけど、脳溢血みたいなことになるとさ「おいおい、これは今までのようにはいかないぞ」と。

もう1回、自分の基礎をね、インフラを作り直さないと。

だから治っていく過程というのはとてもおもしろかった。

今もおもしろいね。

きちんとトレーニングを続けていると息の出し入れがとても楽になるから、よく吹けるんだよ。

「人間が生きてるってのは、息を吸って吐いてるうちに何かやってるってことなんだな」ってあらためて思う。

これ吸ったまま吐かないと「息を引き取る」ということになるわけだ。

引き取っちゃうとまずいんでね。やぱりね。
(サックス奏者 坂田明)



スピード感とスピードは違う、というのは、よくわかるなあ。

非常階段を1979年に頭士くんと結成した時、私は頭士くんに『もっと疾走感が欲しいんだ』と語っていたことを思い出した。

非常階段の疾走感。それを実現できたライブは、何回かあるなあ。
8月22日のワンマンライブとかでそれが実現できたら、いいなあ。




kishidashin01 at 22:12|Permalinkclip!読書 

2009年08月15日

ドキュメンタリー頭脳警察

東京の住所に映画「ドキュメンタリー頭脳警察」のマスコミ試写会案内はがきが届いていた。

うーん、行ってみたいけれど、日程があうかな。

頭脳警察のオフィシャルサイトも本日オープンのようです。
頭脳警察オフィシャルサイト


トシさんとは9月22日に京都アバンギルドで共演の予定です。
久しぶりだなあ。楽しみにしています!


kishidashin01 at 17:20|Permalinkclip!映画 

2009年08月14日

阿佐ヶ谷でトーク

阿佐ヶ谷ロフトAで、遠藤ミチロウくんとトークイベントに参加。

D−DAYの美子ちゃんにも13年ぶりに再会。ほかにも懐かしい人、久しぶりの人にもたくさん会えてうれしかったな。
美子ちゃんはフジヤマのボーリング大会や野球大会のことも覚えていてくれていましたね。楽しい思い出は覚えているねえ。

トークでは10月10日に行われる新宿ロフトでの「原爆スター階段」についての前フリや、過去のスター階段のこと、1981-2年くらいのスターリンや非常階段の映像紹介、思い出話などに花が咲きました。
たくさんのご来場ありがとうございました。藤田哲さんも質問ありがとうね。来場してくれていたのに、ほぶらきんの写真のお礼言えなかった。

とにかく10月10日の原爆スター階段は可能な限りやるぜ!ということで。(笑)
前売りチケットも200枚は超えているということで、まだ未購入の方はお早めに。

音楽ライターの小野島さんや懐かしい野々村さん、飛び入りでトークも参加してくれた毛利さん(この人おもしろかった!)などと高円寺で打ち上げ&飲み会。楽しいひとときでした。連れていってくださったバーでBGMが佐井好子>森田童子>スラップ・ハッピー・ハンフリー、しかも大音量!こんなバーが高円寺にあるとは、さすがです。

kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!音楽 

2009年08月13日

オトナになった日

京都から東京に車で移動。

途中、福井県の高浜を通る。

私は福井県高浜に親戚がいて、小学生の1年生〜6年生までは毎年夏休みに高浜に連れていってもらっていた。

親はお盆休みの時期にしかいないが、私はそのままひとりで親戚の家に滞在していたことが多かった気がする。
親戚のおばさんも孫が遊びに来たように思ってくれていたのだろう。

暑い夏、当時はエアコンもなく、昼間はランニングシャツとパンツ1枚で過ごしていた。
昼間は海で海水浴をしていたが、家の裏に空き地があり、夕方はそこで近所の子供たちと遊んだり、ひとりでなにかをして遊んでいたことも多かった。

小学5年生の時だったと思う。
いつものようにランニングとパンツで、スコップを持って雑草を掘り返して遊んでいた時、女子高生がそばを通りかかり、こちらを見た。
その時、下着しかつけていない自分がむしょうに恥ずかしくなったのを覚えている。
スコップをふりまわし、背の高い雑草を切り倒してまわり、照れ隠しをしていた。

それから外にでる時にはズボンをはくようになった。
親戚のおばさんには「暑いのに、なんでズボンはくの?パンツでいいじゃない」と言われたが、何もいわずにいた。

女性を意識したのか、下着のままで遊んでいる自分を恥じたのか、それはわからない。
おそらく両方だったろう。
そして、その時に子供からオトナになったのだと思う。


あの日の福井県高浜での夕方の景色は、妙に覚えている。



kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!日常