2009年01月

2009年01月21日

お前はただの現在ですらない

朝、徳島の小西さんから電話。
19日に東京で開催されたトークイベント『ハードスタッフ・ナイト』が盛況に終わったこと、美川氏が来場し、おもしろく興味深いトークをしてくれたことなど、いろいろ報告いただいた。お気遣いありがとうございます。私も東京に住んでいたら駆けつけていたでしょう。

主催の方のblogはこちら。
ナンダロウアヤシゲな日々

さて、小西さんの名前で検索すると、当日会場に訪れた人らしいblog発見。
恋する距離

このblogの方、「ハードスタッフナイト」に参加した感想を以下のように書いておられる;
********************************************
居心地の悪さを感じる。
もちろん「ハードスタッフ」で伝えられている人も、物も、価値のあるものばかりで、日本人ならすべての人が読むべきだとは思うけれど、もし文学のことも音楽のことも分からない人達に、単なる自己満足だろう、としたり顔で言われたら、一体どうすればいいんだろう。労働者を社宅から追いやって路上で凍死させているような大企業の経営者達が日本をリードする人材だとしたら、そういった人間が理解できるようなものを見せてやらなければ、ただの手慰みだと言われるんじゃないか。
そんな恐怖感がずっとつきまとっている。
********************************************


いえいえ、そんな恐怖感は持たなくていい。

「単なる自己満足」という言い方がまず、間違っている。「自己満足」は単なる以外にありえない。

そして自己満足から発している行動に、なんら恥じらいを感じる必要もない。
音楽が好きな人が人前で演奏をすることも、文章を好きな人がエッセイや小説を書くことも、商売も勉強も、自己満足から始まっているからだ。
誰も頼んでいないのに、バンドマンは演奏をしている。誰も頼んでいないのに、商売を始める人のなんと多いことか。学校を選ぶのも、職業を選ぶのも、結婚相手を選ぶのも、みんな自己満足じゃないか。

マニアックな音楽や文学を志向している人たちだけに向けて「ハードスタッフ」や「ハードスタッフナイト」があったわけでもないし、もちろん「日本をリードする人材」にわかるようなものをつくるつもりで「ハードスタッフ」や「ハードスタッフナイト」があるわけではない。
そもそも「日本をリードする人材」って、何かね。金融機関や政治に関係している人がそういった人材?じゃあ、まさに「ハードスタッフ・ナイト」に出席していた美川氏こそは、日本の大手金融機関から国に対して金を貸していたような仕事をしていた人だ。じゃあ彼がそうなのかね?

徳島の北島町という、それこそ映画館もないような県の、田んぼと畑しかないような小さな村の一個人が、アーサー・マッケンや林直人のアウシュビッツや、長谷邦夫や伊福部昭や紀田順一郎にどんどんつながっていくのだ。このことがどんなに凄いことか、君はわからないのか。
個人の自己満足が深まれば強靱なパワーが生まれ、自分の思っている以上の力を出し、政治や金融やどんな偉そうな文化人や芸術家もなしえないようなこと、個人と個人の心と心をつなぐような奇跡のようなことができるのだ。
君はわからないのか。

「日本をリードする人材」なんてくそくらえだ。そんな連中にわかるようなものなど、一切作るつもりはない。そいつらは金のために生き、女や酒や快楽にしか興味がなく、日本を動かしている仕事をしていると思ってご満悦に生きている連中がほとんどじゃないか。せいぜいオバマの演説にでも感動しているがいい。

橋を作っているのは政治家でも建築家でもアーティストでもない。
本当に作っているのは土建屋のおっちゃんであり、現場の兄ちゃんが汗かいてコンクリをこねて、鉄材をかつぎ、ボルトをしめてるのだ。
そんなおっちゃんに仕事の後のビールを飲ませる居酒屋のねえちゃんこそが「日本をささえている」のだ。



kishidashin01 at 22:52|Permalinkclip!日常 

2009年01月20日

焼き肉にしの

東京からカード関係の友人・Sさんが家に泊まりにきたので、おもてなし。
近所の焼き肉屋「にしの」へ。
焼き肉にしの

カウンターのみ、個別に七輪の炭火が出てきて、鮮度の良いお肉!
最高でした。炭火が脂を落とすので、焼き肉なのにヘルシーな感じ。
しあげに食べたの冷麺も冷たくておいしかった!林檎が入っていたのには驚きました。

駅からも少し離れているので、ちょっと行きにくい店かも。
隠れ家的にちょっといいお店。おすすめです。


kishidashin01 at 23:43|Permalinkclip!日常 

2009年01月19日

ダークナイト

映画を見ろ、と言わんばかりに大量の映画DVDをおいていったHさん。
未見だった「ダークナイト」がその中に入っていたので鑑賞。

主役はバットマン、悪役はジョーカーとトゥフェイスだが、やはり本作の真の主役はジョーカーですね。
狂人でありながら、荒唐無稽なテロリストでもありながら、完全に愉快犯という設定は、まさに現代の犯罪に直結する不気味さがある。
目的が欠如している犯罪の深層は、やはりどこか狂気に通じるものがあるのだけれど、それを単純に悪とは呼べない空しさにおそわれる。

矛盾もいっぱいある映画ではあるけれど、今までのバットマン映画の中では一番残酷で、そしてやりきれなさの残る1本でした。

このジョーカー役のヒース・レジャーは故人なんですね。こんな役所を演じるからだよなあ。罪が重いや。

ダークナイト 特別版 [DVD]
ダークナイト 特別版 [DVD]



kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!映画 

2009年01月18日

Uさんのこと

野球カードのお客さんだったUさんが久しぶりに顔を出してくれた。

ちょっとした挨拶に来てくれたのだけれど、思い出話をしてくれた。

14−5年前はUさんはちょくちょく野球カードを買いに来てくれて、私と同じ世代、そして阪急ファンだったこともあって、いつも懐かしい野球の話をしていた。
しかし14年前の阪神淡路大震災、Uさんの家も被災し、長年ためた野球関係の新聞スクラップやファンブックなど、思い出のコレクションもすっかりだめになってしまった。しかし被災した家の跡地から、奇跡的に野球カードのコレクションだけは取り出せたそうだ。

被災後しばらくして、当時あった心斎橋の大阪のカードショップにUさんが来てくれた。そのころは元アウシュビッツの中島さんが私のカード屋と同じ部屋にレコード屋も開設しており、Uさんの記憶だと、そのお店に私と中島さんがいたという。
その時に私と中島さんの顔を見て、ああ、帰ってきた、というう気持ちがしたのだという。
確かその時にUさんから、被災はしたがカードは取り出せたという話を聞き、その逸話はベースボールマガジン社の出版物に掲載されたはずだ。

もう14年なんですねと、Uさんの笑顔を見れて、とても嬉しかった。
Uさんはその後結婚され、昨年は2人目のお子さんも生まれたという。
すっかり家庭の人となり、野球カードはもうほとんど集めていないらしいが、阪急やオリックスの話をいくつかさせていただき、お互いに感慨深い気持ちになって、別れた。

Uさんとは、これからはきっとなかなか会う機会はないかもしれないが、私はオリックスの活躍を見るたびに、阪急ブレーブスのなにか懐かしい記憶にたどり着くたびに、Uさんのことを思い出すだろう。

野球カードなど、野球など、この世になくったって誰も困らない。
でも、ほんとうに小さな、吹けば飛ぶようなものにも、小さな心は宿っている。
それさえ忘れなければ、どんな絶望的な世界にも、光はあるんじゃないかな。

そんなふうに思いました。
Uさん、来てくれてありがとう。
また、いつかどこかで。お元気で。


kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!日常 

2009年01月17日

ギンガの行方

山本精一著「ギンガ」は無事復刻されたはず、だが、大阪の書店にはまだ入荷していなかった。
来週かな?

アマゾンではもう「在庫あり」になっているので購入できる模様。
ギンガ (P-Vine BOOks) (P-Vine BOOks)
ギンガ (P-Vine BOOks)


タワーレコードでは発売記念サイン会も。
TOWER BOOKSイベント情報〜山本精一トーク&サイン会〜

その前日の2月10日は吉祥寺、スターパインズカフェで埋火と、山本精一のライブがある。埋火/わたしのふねのレコ発ライブだが、山本精一は珍しく『歌います』とのこと。

私も当日は客席で埋火と山本さんの歌を聞かせてもらいますね。
翌日のトーク&サインイベントも見に行こうかな。

「ギンガ」はページ増強されて、とにかくもおもしろい本なので、みなさんぜひ読んでみてください。

kishidashin01 at 23:27|Permalinkclip!読書 

2009年01月16日

とうめいな・こころ

とうめいロボの公式ページが更新され、来月発売されるとうめいロボのセカンドアルバム「とうめいな時間」について、ちひろちゃん自身が文章を書いている。
toumeiroll-soda ball

とてもすてきな文章なので、ここに全文転載したいくらいなんだけれど、やっぱり上からLINKを飛んで、彼女のページで読んでください。


「ちひろ」から「とうめいロボ」に改名した最初のライブが私と岡山・ペパーランドで共演した2006年夏のステージだったと思う。
その秋には自身でレコーディングし、2007年にギューンカセットから1stアルバム「otete」が発売になった。
2007年の秋に、ちひろちゃんにセカンドアルバムの話をしたのが11月の十三ファンダンゴのライブの後。その後の打ち上げの席で、私と美川くんで、ちひろちゃんの目前で"ルルカリルカ"を歌ったのがいい思い出になっている。
2008年の夏に「とうめいな時間」のレコーディング。そして来月、ようやくアルバムが発売になる。

もちろんちひろちゃんの気持ちがいっぱいこめられたアルバムで、そしてちひろちゃんを応援している仲間の気持ちがいっぱいつまったアルバムだ。
それなのに、だからこそ、こんなに「とうめいな」アルバムに仕上がったのだと思う。

昨年の「埋火/わたしのふね」に続く、この私のブログを読む人のすべての耳に届けたい、そんなアルバムです。
とうめいな時間


期待して、待っていてください。


kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!音楽 

2009年01月15日

ツメタイイキ

ベアーズにライブを見に行く。息が凍るような寒い日でしたね。

<20GUILDERS presents 東西サイケ成人の日!>
ということで、スズキジュンゾくんのツアーだけれども、どうも東京から来た感はほとんどなく、大阪らしいグダグダ度満載の、大阪らしい成人の日(?)でした。

*ノイズわかめ
今まで見たノイズわかめのライブで一番よかったなあ。ドラムとベース、私が70年代に京都で見た裸のラリーズのサウンドにそっくりでした。ドラムはこんな音だったし、ベースはこんな音だったよ。これが誉め言葉になるのかどうかはわからないけれど。最後から2曲目、特によかったです。

*高山謙一 with 宮下敬一
宮下くんのギターにIDIOTが詩を朗読するスタイル。宮下くんがツメタイイキノママ...のリフを引き出してはまたコズミックに戻っていく感じで、もう少しIDIOT節を聞かせてほしかったかな。あと、少し長すぎましたね(笑)
芥正彦 with ブラック・オペラ を思い出しました。

*ヒューマン・シャワー(河端一+砂十島NANI)
時間調整的に短い時間で凝縮したライブ、さすがでした。二十歳になったらLSDは...のギャグ、ナカヤさんは『すべってる!』と辛口でしたが、私はなかなかおもしろかったです。しかし今日の客席、20才以下の人はいなかった気がします。

*20GUILDERS
ジュンゾくん、歌がうまくなっている!ギターも!1年ぶりくらいに見ましたが、成長しているなあ。

ベアーズのカウンター前、石森章太郎ネタで河端くん&ナカヤさんでなにげに盛り上がったですね。リュウの道やブルーゾーンの話も。原画収集の話からディープ・パープルの盤違いの音質の話になるあたり、さすがでした。

先日ナカヤさんからもらったディープ・パープルの「Rapture Of The Deep」はもっとグダグダかと思っていたら、なかなかよかった。というか、この良さは長くパープルを聞いてきた世代、おそらく47才以上の人でないとわからないかもしれないくらい、まあ一般社会にはなんの関係もない音楽だけれども。
今日はそのお礼にパープルのDVDRをナカヤさんにおかえし。
パープル、本当に3月か4月に来日?そうならナカヤさんと見に行きたいな。


kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!ライブ 

2009年01月14日

ぼくたちは、もっと、短い

ハードスタッフ・小西さんのインタビューの、この部分が好きだなあ。

------------------------------------------------------------------

--10号の後記で、“私は私のために、私が私を取り戻すために、この
ハードスタッフを作るのだ、命の洗濯のために”と明言しておられま
す。 

小西:下世話なレベルですが、就職したての1年か2年は仕事を覚えて
それをこなすだけで精一杯だったですからねえ。家に帰るとグッタリし
て何もやる気が起こらなくて、このまま自分はずーっと年をとるのかな
と思ったことがあって、途方にくれたんですよ。
そんな時に久し振りに自転車で徳島駅前の本屋さんに行って、好きな
本を一杯買って家に帰ってコーラを飲みながら読んでいる時に、ここ
に私の幸せがあったと思ったんですよ。
これは流されてはいけないと思ってミニコミもちゃんと作って。そう
いう意味でこれが命の洗濯の場だと素朴な気持で書いたんです。

------------------------------------------------------------------

おもしろい学校なんてどこにもないよ、まめぴよちゃん。
子育てがたいへんなのはどこだって一緒だよ、柴山くん、コサカイくん。
体調がわるいとかいうのは、誰のせいでもないよ、各地のブログの人たち。

ここから先は、自分でやるしかないのだ。
やらないで後悔するのではなく、出来る限りやって、それでもだめならそれはそれでいいのだよ。

時は
短く
僕たちは
もっと、短い
(森田童子)





kishidashin01 at 23:35|Permalinkclip!日常 

2009年01月13日

あの世とこの世の境はあまりにも薄く

『あの世とこの世の境はあまりにも薄く/怒鳴り散らすぼくの声はあまりにも小さい』

これは私の「神を探しに」という曲の歌詞だけれど、来月発売になるとうめいロボのセカンドアルバム「とうめいなじかん」(発売元・Pヴァイン/2月6日発売)も、実は収録されている歌の多くはなにかとなにかの「境目」を歌っているという。

そう、境目は、本当に少しの幅でしかない。

生と死。
境目は一瞬だ。
例えば今日交通事故にあう人がいるとする。家を出る前に靴の紐が切れた。これで事故をまぬがれることになる。
1秒時間をずらせば死ぬ人も死ななくなり、逆に1秒の差で死ななくてもいい人が死ぬこともある。

絶望と希望も、実は一瞬の差でしかない。
どうしようもない状態が、少しバランスをかえたり目線を少しずらすだけで、まったく違う風景になることがある。
どん底の状態が、実はそれが「底」で、そこから逆転して急上昇することもある。

未来はあきらめるとやってこないが、もしかしたら未来はあるかもしれないと思うだけで前途は少し明るみが増し、未来はあると確信すると一瞬にして目前に展開するのである。

思うこと。それが一番重要なのだ。
だから心にさわやかな風を吹き込み、気持ちをすがすがしくし、深いところまで思うことが出来るようになるようにいろいろなことを学ぶのである。



『いのちの/正体は/愛だよ』(てがみ/とうめいロボ)



kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!日常 

2009年01月12日

24年前の相撲

大相撲初場所が昨日から始まった。

幕内に上がってきた248kgの巨漢・山本山はほんとうに巨大だ。大関昇進した安馬あらため日馬富士は今日で2連敗してしまったがやはり楽しみな力士。帰ってきた朝青龍は横綱崖っぷち。白鵬は絶好調と、見所は多い。
しかし、こんなものなのだが、こんなものでいいのかなあとも思う大相撲だが、やがてこんなものなのだと慣れてくるのかもしれない。


相撲の思い出が、ひとつある。

1982年3月に京都から東京に引っ越した。
22年間住んだ京都を後にした、初めての引っ越し、一人暮らしだった。
その頃、ミニコミを通じて知り合った早川くんという2才年下の友人と会社をおこした。私は22才、彼は20才になったばかりだったと思う。

早川くんとは仕事をしたり遊んだり、たくさん思い出があるが、彼と始めた音楽ビデオの輸入販売の仕事は順調に進み、渋谷にお店を出したり、会場を借りて上映会をしたりして、今で思えば「会社ごっこ」はそれなりにうまくいっていた。
彼は前衛的な映像作家/ケネス・アンガーと交流があり、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが音楽を担当した「ルシファー・ライジング」の16mmフィルムを持っていた。この映画と、レッド・ツェッペリンのドキュメンタリー映画「狂熱のライブ」の2本立ての上映会を企画し、毎回たくさんの入場者があった。

音楽ビデオの上映会は、1983-1985年頃、大阪方面では林くんやロック喫茶のマントヒヒのマスター・中島さんらがやってくれていた。売上の何%かをもらうような段取りだったと思うが、大阪の上映会も順調で、林くんがインディーズレーベルのアンバランスレコード時代に作った借金や、つぶれかかっていたマントヒヒの営業も、このロックビデオ上映会でずいぶん救われたそうだ。後年までこのことは林くんが感謝していたのを覚えている。

1985年の成人の日だったと思う。
それまでの総決算的な意味合いで、中之島公会堂の大ホールを借りて、ルシファー・ライジングと狂熱のライブの2本立て上映会を企画した。
そこそこお客さんは入ったが、満員とはいかなかったかな。
映画は2本で3時間くらいあるので、お客さんを入れ、フィルム上映をスタートしてしまえばスタッフであった我々のすることはあまりない。

チケット売り場/もぎりの、公会堂の入り口の少し広くなっていた場所に、林くん、中島さん、林くんの友人だったケンタくん、私、早川くんの5人が雑談しながら立っていた。急に早川くんが「相撲をとろう!」と言い出した。
たぶん早川くんは、大阪の仲間とは私を通じて話しは聞いているけれども、あまり直接的なつきあいがないので、東京組と大阪組の交流のためになにかしようと気をつかったのではないかと思う。
また早川くんは当時人気のあった力士の「千代の富士」に顔が似ていたので、学生時代にクラスで放課後などに遊びで相撲をとっていたこともあったようで、腕に自信があったのかもしれない。

大阪組の面々はこの早川くんの申し出にけっこう迷惑そうだったが、結局は早川くんとケンタくんが相撲をとったように記憶している。私や林くんは参加せず、そばで見ていた。ケンタくんが早川くんに転がされて、親睦の相撲大会は終わった。

早川くんはその時に林くんが着ていた、上からかぶるタイプの黒いクラシックなコートを気にいっていた。林くんは天王寺の古着屋でそのコートを安く見つけてきたようで、早川くんは林くんにその値段ならぼくも欲しいからまた見つけたら買っておいて欲しい、と軽い気持ちで頼んだようだった。

1年か1年半くらい後、もちろん早川くんもそのコートのことなどすっかり忘れていたころ、林くんは『早川くん、遅くなってごめん。頼まれていたコートを見つけたから』と、彼のサイズにあった黒いかぶりのコートを東京に持ってきた。
早川くんは、あの時に軽い気持ちで頼んだことをずっと気にかけてくれていたなんて、と、ずいぶん驚き、林くんの思いに感謝していたようだった。


2003年、林くんが亡くなった時、メールで早川くんにも訃報を伝えた。
早川くんからあの時のコートの思い出のことでも言ってくるかなと思っていたが、そのことには一切ふれず、けっこうそっけないメールの返信がきて、ちょっとがっかりした記憶がある。結局早川くんは林くんの葬儀には来なかった。


早川くんとはそれっきりになった。
その後は会っていないし、連絡もとっていない


kishidashin01 at 22:58|Permalinkclip!日常