2008年10月

2008年10月11日

新朝日軒

昨夜11時27分大阪発の急行きたぐにで新潟入り。

世間は3連休とあって、A寝台、B寝台、グリーンもすべて満席。
こんな混みあったきたぐにの乗車は初めて。

新潟で昼間はカードの仕事。
夕方に終えて、ホテルにチェックインしてから町へ。
床屋を探す。

地方に旅に出て、地元の床屋に行くのを、ちょっとした楽しみにしている。
最近は1000円カット、のような安かろう悪かろうな床屋が幅をきかして、昔ながらの床屋はずいぶん減っている気がする。

新潟の古町を少し離れると、一筋の通りに床屋の宣伝灯が4個も並ぶ光景を見つけてびっくり。そのほかに美容室もいくつかあるので、なんだか”ヘアカット通り”とでも名づけたいようなストリートですね。
「カットサロン銀座」という店にもひかれたが、おじいさんとおばあさんが仲良くテレビを見ている、なんだか昭和なスタイルの床屋「新朝日軒」に決めた。

すっきりしていただきました。
すばらしい床屋さんでした。地元の方も、旅の方も、ぜひこのお店、使ってあげてください。

さてさて、能勢山くんとちょっと飲みに出てきます。


sinasahi

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2008年10月10日

アウシュビッツ'84

1999年に十三ファンダンゴでエッグプラント閉店10周年記念同窓会ライブ、というのが行われた。

それに出演した覚えはあるし、断片的にああだったこうだった、という記憶があるが、ここに林君がアウシュビッツで出演した、という記憶がある。

今編集中の、小西さんのハードスタッフに掲載する林直人年表のため、この日がどうだったかを知りたい。

まずは原爆オナニーズのタイロウくんが残した記録、テイチクから出た編集盤に原爆の過去のライブデータが掲載されている。

1999年11月28日にアウシュビッツと原爆が出演したことはわかった。
他は?そしてアウシュビッツはどういう編成だった?

マルかバツの吉本さんに話を聞くが、自分は会場に行っていないという。
けーやんがベースで出演したのでは、ということは明らかになった。ではナイトギャラリーのシングル盤を出したメンバーでは?と訊くと、ドラムは中島さんではなかったのでは、というあいまいな記憶。もしや今北くんだったか?コウヘイくんでは絶対なかった気がする。

たしか大野くんもファークテイルズの再結成で出ていたのでは、と吉本さんが言うので複眼ギャラリーに戻って大野くんに訊くと、いやフォークテイルズの再結成は別の日でした、と。
確か同窓会ライブはホワイトゴスペリアンズで出演した、そしてそれが今のヴァーミリオン・サンズ結成への導線となったことを話してくれた。

いや、同窓会ライブにはダンスマカブラもレイプスも出演、みんな一緒に「今日もどこかでデビルマン」を歌った気がする。なんだか出演者が多すぎないか??

こういう記録&記憶はスハラくんかと思ってマゾくんに連絡してもらったが、それは見に行っていないとのこと。

うーん、記憶がみんなあいまいか、と思い、夕方になってから、このイベントに出演した原爆のタイロウくんに電話。アウシュビッツはやはりシングル盤のメンバーで出演、ドラムは中島さん、ベースはけーやん、これは間違いない。
残りのメンバーの杉さんがキーボードでいたかどうかは不明だが、これは週明けに杉さんに電話すれば回答をえられそうだ。
徳さんは会場で会ったが、演奏はしていなかったのではないかとのこと。


するとネットでこんなの発見。
"EGGPLANT同窓会 〜10years after" at 十三FANDANGO

おお!
写真が残っていれば完璧でしたが!
そうか、2daysだったんですね。
これでナゾがとけました!



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2008年10月09日

25 Years On

25Yearsとはホークローズの曲名だけれど、今日は20年前、25年前のことなどを探る。
徳島の小西さんからハードスタッフ12号の最終的なツメの部分、林直人年表の校正を急いでする必要があるからである。

例えば1979年3月のINU、ウルトラビデ、SS、アーントサリーによる関西NO WAVEツアーで何日にどこに出演したかは、当時のチラシが残っているので正確にわかる。しかし町田康公式WEBサイトのライブ記録を見てみると微妙に違っていて、もう一度考証しながら確認することになる。(おそらく町田くんのサイト掲載の日と場所は違っている)

これは29年前の記憶である。しかしマイナーで演奏したウルトラビデのライブ、それを見に来てくれていた灰野敬二さんがライブ途中で中座したことなんかは鮮明に覚えている。とても不思議な感じだ。

25年前は京都の西部講堂で「スター階段」でしたね。林くんとリハのあとに園芸ショップに大型のスコップを買いに行き、西部講堂の裏に落とし穴をほって遊んでいた。枯れ葉でうまく穴を隠しておいたら、石橋くんが2回もひっかかって落ちてくれたことをよく覚えている。

夕方、GARADAMAのKAKINOKIがやってきたので、一緒に記憶の掘り起こし。1992年の名古屋クアトロ、たしか夏のお盆の時期にスケジュールがぽっかりあいたので、急だが何かやってくれと名古屋クアトロのブッキングマネージャーに頼まれ、急遽サバートブレイズとアウシュビッツでブッキングを入れたものの、クアトロのスケジュール欄には掲載も間に合わず、ろくに宣伝もできなくて惨憺たる客入りだったことを思い出したり。これでも16年前の記憶だものなあ。この日のブッキングがサバートブレイズとアウシュビッツ両バンドの解散の遠因になっているような気がするが、まあもう遠い記憶の霧の中だ。

さて、10月28日発売のハードスタッフ12号、お楽しみに。
関西パンク&ロックの歴史に興味がある人には、十二分に楽しめる1冊になりそうだ。



kishidashin01 at 22:28|Permalinkclip!日常 

2008年10月08日

Gモダーン28号

年1冊ペースとなった「Gモダーン」の最新号、28号が届いた。
ボリュームがずいぶん落ちた気がするが、中身はなかなか濃い。レギュラー執筆陣のがんばりがすごいですね。しかしそれは新しい書き手がなかなか育ってきていないことでもあることで、ネットでたいがいの物事がすんでしまうこの時代で、紙文化としての音楽雑誌の意味や価値をもっと考える必要がある。

内容は小沢靖さんの追悼記事がよかったなあ。今井和雄、園田佐登志、コサカイフミオ3人の、どの文章もよかったです。人柄や彼の出す音が聞こえてくるような文章でした。私も小沢さんとは金田くんの企画で1回だけ演奏させてもらいました。懐かしい、そしてよい思い出です。

工藤礼子さんのインタビューもおもしろかった。彼女のサウンドの根底にあるものがうっすらと見えてくるような、そんな内容でした。写真も、いい。14-15ページ見開きの写真、本当に素晴らしい。

新譜レビューでは非常階段の「蔵六の奇病」のドイツのレーベルからリリースされた盤の評を、第五列の主要メンバーでもあった金野さんが書いてくれている。これも素晴らしい文章なので、ぜひお読みいただければと思う。
この金野さんの文の中に出てくる『虔十公園林』の話はこれですね。

虔十公園林

とてもいい話なので、必ず読んでください。


今月にはハードスタッフもリリースされますね。楽しみです。
まさに読書の秋、かな。
gmoda



kishidashin01 at 20:06|Permalinkclip!読書 

2008年10月07日

さようなら、王さん

パリーグ最終戦、雨、5位と6位の最下位争い、ソフトバンクホークスと楽天イーグルスの試合。王監督の現役最終戦という意味合いはあったにせよ、仙台クリネックススタジアムの満員の観客の前で延長12回の試合ができた両球団の監督と選手は幸せものだと思う。

王さんは1959年プロ野球入り、私の生まれた年に巨人に入団しているわけで、当然私も子供のころから王さんのプレイを見て、野球に親しんできた。一本足打法は草野球でみんながマネしていたし、豪快なホームランには子供たちはみんなあこがれたものだ。

巨人は嫌いだが、王さんは好きだという野球ファンも多くいた。王さんが嫌いという野球ファンにはほとんど会ったことがない。現役最終年にも30本の本塁打を打ちながら、「王貞治のバッティングができなくなった」と清く引退。スーパースターらしい幕切れだった。

それに比較して今日の監督としての最終戦、試合の経過はどうあれ、最下位決定の試合というのはなんとも信じられないエンディングである。
ああ、でもそれでいいのかもしれない。勝つことが勝負であるけれども、勝つことだけが勝負ではない。

試合終了後、楽天の野村監督から花束を渡される王さん。
もうプロ野球の「プロ」の意味を知る選手は、プロ野球の現場には王さんと野村監督しかいない。これでノムさんひとりになったと思う。

試合終了後の野村監督の挨拶は見事だった。来年も野村の野球を見れる東北の野球ファンは、やっぱり幸せものだと思う。


WBCの監督は王さんかもしれないね。
それもいいかもしれない、と、思える。
「お疲れさま」という言葉は、本当はいらないよね。


kishidashin01 at 23:00|Permalinkclip!日常 

2008年10月06日

赤塚トリビュート

スタジオヴォイス最新号の見本誌が届いた。

今回は音楽のページで「赤塚不二夫トリビュート~四十一才の春だから~」について2000字、1ページ書かせていただいた。

正味のところは原稿に書いたとおりだが、補足すれば、個人的には矢野顕子の曲「BAKABON」が一番よかったな。もちろん今回のアルバムのための書き下ろしではなく、もう15年以上前に歌われた曲だが、このテイクの方が新しい人たちが新しく録音した赤塚不二夫トリビュート曲の何倍もトリビュートしているのはどういうこっちゃ、と思いますねえ。


でも
『これでいいのだ』
とは、実際に生きていると、なかなか言えない言葉ですよね。

『これもいいのだ』
とか
『これで、まあ、いいのだ』
とか
『これでもいいのだ』
とかになっちゃうよね、現実は。



で、あんたは『それでいいのか?』



赤塚不二夫トリビュート~四十一才の春だから~


kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!日常 

2008年10月05日

ウルトラビデの夕べ

夕方から雑誌DOLLの連載記事(筆者は西村くん)のための、ウルトラビデの取材。
HIDEくん、Taiquiくん、ナカヤさん、私の4人揃うのはずいぶん久しぶり。
JR新大阪駅で写真撮影、その後喫茶店で1時間と少しのインタビュー。

ウルトラビデは1978年結成なので、今年で30周年だ。
で、2009年1月31日、大阪なんばベアーズで30周年記念再結成ライブを行います。

メンバーにとっても、私にとっても、ウルトラビデというバンドはその後の音楽生活の原点のようなバンドだ。
30年前のメンバーが皆まだ現役で、毎月のように今もライブハウスで演奏していることは誇りでもある。
今度の再結成では、ちょっとおもしろいライブにしたいな。

このウルトラビデ、大阪1回きりの再結成の予定だけれど、高知なら行きたいなと。
井上くん、またどこかで、よろしく。(笑)

しかし、30年って、なんだかたいへんな年数ですね。
だってウルトラビデ結成した時に生まれた子供、今は30才ってことでしょ。
こんなに長く演奏することになるとは思わなかったな。

まだまだ、できるかな。


osaka

kishidashin01 at 23:27|Permalinkclip!音楽 

2008年10月04日

ジョージ・ロイ・ヒルと山添くんのこと

ポール・ニューマンが亡くなったこともあって、彼が出演の映画がテレビで立て続けに放映されている模様。
今日はBSで「明日に向って撃て!」を放映していて、帰宅後、なんとなく見てしまった。

ジョージ・ロイ・ヒルは好きな映画監督だ。いつだったか、アルケミーの作品の多くの写真をとってくれている山添くんに、確かライブハウス・ファンダンゴの楽屋の前で「広重さんの一番好きな映画監督は誰なんですか」と訊かれ、ジョージ・ロイ・ヒルの名前をあげたところ、山添くんがたいそう喜んでくれたことを覚えている。

山添くんにはアウシュビッツ、ダンスマカブラ、赤痢、SOB、レイプス、ガーリックボーイズ、コンチネンタルキッズなど、90年代前半にアルケミー関連アーティストの写真をたくさんとってもらった。
彼は渡仏し、立派なCMカメラマンになったが、帰国した時に「アルケミーで写真をとった経験がその後の自分の仕事に生きてきています」と語ってくれ、とても嬉しかった。

林くんが亡くなったあと、林くんの写真をたくさん持ってきてくれたこと、その後、林くんの霊前にお線香をあげにいってお母さんと話をしたことを私に話してくれたこと。数年前のことだけれど、ずいぶん鮮明に覚えている。

ジョージ・ロイ・ヒルの映画はとてもセンチメンタルだ。時代に取り残されたもの、人を描かせたらこの人の右に出るものはなかなかいなかった。「明日に向って撃て!」「スティング」「華麗なるヒコーキ野郎」「スラップショット」「ガープの世界」、そしてカート・ボネガットの傑作「スローターハウス5」。
この6本の映画は、もし見たことがなかったら、必ず見たほうがいいよ。若いうちに見てください。
私は「スティング」以降は映画館で見ていると思う。「明日に向って撃て!」の時は小学生だった。きっと後年テレビで見たはずだが、劇中のバカラックの「雨にぬれても」は今でも最高の映画の1シーンのひとつだと思う。

今はジョージ・ロイ・ヒルの映画は、私にとっては山添くんとつながって、故・林直人くんやたくさんのバンド仲間の写真の思い出とつながっている。

素敵な記憶と、少しセンチで悲しいような思い出もここにつながっているところが、ジョージ・ロイ・ヒル的で、それもいいなと思っている。


山添くん、昨年、初台の路上で、まるで映画のシーンのように、偶然出会いましたね。今も東京に住んでいるのですか。また、会いたいですね。




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2008年10月03日

Yさんの思い出

中山双葉ちゃんのレコーディング3日目。
ギタレレ、歌、ベースに加えて、声やいろんな音がどんどん曲に追加されていく。
双葉ちゃんの歌が、まるで映画の1シーン、絵本の1ページのように彩られていく様が、メンバーもエンジニアも本当に楽しそうだ。
音楽の素晴らしい瞬間とは、こういう瞬間であって、そこのど真ん中にいる面々には当然の結果であるが、至福に包まれている姿を見るのはこちらも本当に嬉しい瞬間だ。
もうひといき、がんばれ。

がんばる双葉ちゃんを見ていて、昔、ほんの数ヶ月だけけれど、高校2年生の時にあこがれていた、クラスにいた女の子のことを思いだした。なんだかルックスはとうめいロボのちひろちゃんと、双葉ちゃんをたして2で割ったような、そんな女の子だったなあ。
実際には彼女と私との接点はほとんどなかったし、彼女の記憶の中にも私はいないと思う。数年前、どこかのフリーペーパーに書いた原稿、いくつかは紛失しているが、彼女のことを書いた部分が見つかった。ここに再録します。(ネット公開は初、かな)


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 高校二年生の終わり頃、クラスにちょっとかわいいYさんがいた。彼女は頭が良く、英語が大好きな普通の高校生だった。同級生のTくんも彼女のファンで、ふたりしてYさんのことを想っていたのではあるが、実際にはふたりとも告白するまでには至らなかった。私は○○さん(注:中学3年生〜高校2年の夏までつきあっていた女の子)のことを引きずっていたし、Tくんは単にシャイだったのであるが。
 ある土曜日、Yさんは風邪で学校を休んだ。その日は英語の授業があり、英語の好きなYさんはとても残念だったろうな、と思った。私はその日の英語の授業を丹念にノートにとり、レポート用紙に克明に授業内容を書き移して、Yさんの机の引き出しに入れておいた。もちろん私が書いたということはわからない。彼女が休んだ英語の授業分を、そのレポート用紙で少しでも取り戻せれば、という程度の気持ちだった。
 月曜日に登校してきたYさんは、もちろんそのレポートを見つける。私は遠いところからその様子を見て楽しみ、Tくんにそのことを話して喜んでいた。
 しかしYさんは、その英語の授業を記録したレポートに感激したらしく、誰がこれを机に入れてくれたのか、探し始めたのである。もちろん男の書き文字であるから、クラスの男子の誰かだということはわかるが、Yさんにはさっぱり検討がつかない。そこで彼女は、クラスで最もガチャガチャした性格の女子の友人に、このレポートを書いたのは誰か、捜索を頼んだようだった。『このクラスにYさんに想いをよせている男子がいる、その男子はYさんの休んだ日に、英語の授業を記録して机にこっそりいれておいたらしい』という甘酸っぱいウワサがあっという間に女子の間に広がった。つまりは、たいへんなことになったのである。
 当然私は名乗り出ることはしなかった。またTくんにも、このことは口外しないよう釘をさした。するとらちが明かないYさんは、自分なりに推測しだした。"彼女になにか借りのあるような男子はいないか?"というわけである。実はその数日前、Tくんは、Yさんから筆記用具を借りていたことがあった。そこでYさんは、あの時のお礼にTくんがレポートを書いてくれたのだ、と、ひとり納得してそう信じてしまった。
 彼女が休んだ土曜日の、翌週の土曜日の午後だったと思う。Tくんが私のところにやってきて「おい、広重、大ショック発言!オレ、Yさんにつきあってくれ、って、申し込まれた!」と話す。当然私もショックだったが、「いいじゃないか、お前もYさんのことが好きだったから、つきあいなよ」と話すと、Tくんは「いや、Yさんはあの英語のレポートをオレが書いたと思っている。オレは自分じゃないと否定したのだが、彼女は信じてくれないんだ。あれを書いたのはお前だから、本当はお前がつきあうのが筋だ。オレはYさんとはつきあわない」と言ってくれた。お前がつきあえ、いやお前が名乗り出ろ、と押し問答になったが、結局YさんはTくんとつきあうこともなく、私も名乗り出ることもなく、高校二年生の三学期は、終わった。
 後日、私に「あの時は、愛に友情が勝ったなあ」と笑顔で話すTくんに、私は照れくさくも、なんだか最高に嬉しかった。



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2008年10月02日

すてきな女の子

中山双葉ちゃんのレコーディング2日目。

仕事もあって、全部には立ち会えていないのだけれど、今回のアルバム、とてもいい感じですよ。

双葉ちゃんの歌詞がいい。
そして、演奏も歌も、彼女自身も、すごく成長している気がするなあ。

ジョナサン・リッチマンのような、軽くて、ちょっと重くて、楽しくて、ちょっと悲しくて。そんなアルバムに仕上がる気がしています。

女の子って、いいな。
そんなふうに思ってしまいました。

埋火、とうめいロボと続いて、双葉ちゃんで3組目のプロデュースしていますが、発売はP−ヴァインから、年末12月〜来年2月くらいの間のリリース予定です。
女の子のボーカル好きの方、もう少し待っててくださいね。



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