2008年09月

2008年09月20日

and You and I

先日はもう1年以上も話しをしていなかった雑誌の編集人・Mくんから原稿依頼がきたり、今日はもう2年以上会っていない女性ふたりと、夜に電話で話をした。

そういえばこの間会ったタイロウくんの奥さんとも会うのは1年ぶり、その前の週にはダンスマカブラのワッティと8年ぶりくらいに会った。
来週末に名古屋である「ACID MOTHERS 階段」には、岐阜の友人のSさんが来てくれるというが、彼女に会うのも3年ぶりである。

私が相手に必要とされて会う時もあるし、私に相手が必要で会うこともある。そして必要とかそうでないとかではなく、なにかにつながるために会うこともある。
多くの出会いや再会は、いろいろな意味合いがあり、何の意味も価値もなく会うことは実はほとんどない。その相手に意味はなくても、その先に別の意味が待っていることもあるものだ。

多くの人に会い、多くの笑顔に会い、多くの気持ちに会い、多くのなにかを伝え、多くのなにかをもらい、多くの人にそれをかえしていく。
人がすること、しなくてはならないこととは、これだけのことだ。
これだけなんだよ、ほんとうは。


まがっているものは、少しずつのばしていこう。
偏っているものは、バランスよくととのえよう。
過剰なものは減らし、足りなきを補うべし。

そうしてから、新しい一歩を踏みだそう。
未来はまだまだ、残っている。





kishidashin01 at 23:47|Permalinkclip!日常 

2008年09月19日

行ってかえります

赤痢というバンドでドラマーだったあやちゃんは今はカナダ在住である。
あやちゃんは音楽好き、映画好きだったが、ここ数年は大相撲にはまっている。
でもカナダでは大相撲は放送していないので、私が毎場所のBS放送を録画し、DVDRに焼いて送っている。

1日5時間、15日間で75時間分のDVDRを送るのだが、これを3回は見るというのだからもうあやちゃんは立派な相撲通である。
十両や幕下力士の誰がいいとか、細かい技についてはもちろん、行司のクセや土俵に近い常連のお客さんについてまでメールで語ってくれる。こちらも送りがいのある贈り物になっている。

相撲だけではなんなので、カナダでは見る機会も少ないであろう邦画のDVDを毎回数枚づつ添えて送っている。
先日は「天然コケッコー」を送ったのだが、その感想をメールでくれた。素敵な文章なので転載します。


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『行ってかえりま〜す』

送って頂いた映画、天然コケコッコーの中で、出かける時に子供達が言っていた、「行ってかえりま〜す」のフレーズの妙な説得力に、改めて日本語って面白いな〜と感じました。
そう、いつだって、行ったら、帰ってくるんだもんね。
帰って来たいんだもんね。

Sさんの年間ベストフィルム、「天然コケコッコー」、とても楽しみました。穏やかな山並みに、平和な田んぼと田んぼ道。
目正月になる美しい景色の映画は、大好きです。

映画の中の子供たちは皆、大変自然で、どこかの村の日常を覗き見している気にさせられました。始終、子供の目線で捉えた村の表現に執着したのがよろしかったのではないかと思います。

幾度となく、そして、意図なく、まわりの人を傷つけてしまい、その事実に気づいているそよちゃんが、祭の場で言った不用意な発言に、ちょっとした「お仕置き」をする2人の女の子たち。そよちゃんは、その小さな意地悪をゆ〜っくり自分の中で消化して、堪えきれずに泣き出してしまう。あの場面は、才気に溢れてました。

この監督は、子供だけが感じられる喜怒哀楽や好悪を覚えているのでしょうかね。いつも、おしっこに付き合ってあげている、さっちゃんを置いて、そよちゃんは、大沢くんとの時間を選ぶ。残されたさっちゃんは、おしっこを我慢して、膀胱炎に。翌日、責任を感じたそよちゃんは、ばつが悪そうにさっちゃん家へ。階段を上り、登場と同時に潔く謝るそよちゃんの足を、何のためらいもなく、やわらかい笑顔とともに抱きしめるさっちゃん。
さっちゃんは、たださよちゃんが好きで、好きで、置いてかれても、まだ大好き。
さよちゃんは、許しを求めてたけど、さっちゃんには、まだ恨むとか、責めるとか、おそらく、許すと言う心的態度さえもないのでしょう。長くこの世にいると、いらない 負の感情までドンドン吸収してしまって、困るわ。さっちゃんが持つ情けの概念を失わずに、負には目を閉じ耳を閉じ、利口な大人になる道はないかしら(笑)

この映画には、私が知っている日本の日常の匂いを感じました。実際には嗅げない、頭がしっている匂いです。いつ何時も、どこかで作られているいい映画を見過ごすのが、苦痛でたまらない私に「天然コケコッコー」との出会いをくれて、ありがとね。

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そう、恨むとか責めるとかはもちろん、許すという気持ちさえもない、そんな心が誰にでもあったのだよね、小さなころにね。

どんなことがあっても、最後まで人間が信じられるのは、そういうことなんだろうな。

あやちゃん、メールありがとう。
また日本の映画、送りますね。




kishidashin01 at 20:45|Permalinkclip!映画 

2008年09月18日

なにわでカピバラ

昨日の京都のライブのため、心斎橋でレンタカーを借りた。
昨夜は遅くなったので自宅に乗って帰り、今朝出勤前にガソリンを満タンにして返却しようと、いつものなにわ筋近くのGSに向かって車を走らせる。

と、GSの手前のビルの1階、道路に面している部分が檻になっていて、なにか大きな動物がいる。
カピバラだ!

いやー、都会の真ん中でカピバラに会えるとは思いませんでした。
大阪コミュニケーションアート専門学校(OCA)エココミュニケーション学科で飼育しているのですね。
今度じっくり見に行きます。

カピバラのいる専門学校

kishidashin01 at 23:32|Permalinkclip!日常 

2008年09月17日

京都でライブ

京都のアヴァンギルドでライブ。

<BusRatch>
何度となく対バンしている気がしますが、今日はライブ前に毛利さんと占いの話をしたせいか、なんだか理解が深まった気がします。あ、音楽のことです。

<ANTOINE CHESSEX>
1981年に京都にいたら、きっと非常階段に入れていたと思います。顔がゴリラのようで。。。

<JOJO広重&MASONNA>
静かにやるはずが大ノイズ大会に。

<Joke Lanz>
シアトリカルなノイズでしたね。

須原くんや堀くん、大阪からありがとうね。

京都組、HIDEくんやTaiquiくん、石橋くんなどにはあえず、やや残念!


kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!ライブ 

2008年09月16日

どうでもいいけど

貧乏人はゴミでも食っておけと。

三笠フーズ
の事故米問題って、三笠フーズだけじゃなくって、事故米扱っているとこはどこでもやってて、売っている国も買っているその先も、安い事故米で儲けようってことでしょ。どうせこんな安い米を買うヤツは味なんかわからない、カビや毒ったって実際に健康被害が出るわけではない。高いと買わない、安ければ買う消費者ども(貧乏人ども)よ、ほらほら買えよ、と。安けりゃ買うんだろ、と。
国もグルなんでしょうと、どうしても思えるわな。金持ちはそんな安い米は買わないよと。

で、金持ちはなにやってんだか。
リーマンショック
誰も本当の金持ちじゃないじゃん。架空の利益、架空の金持ち。そんなのいつか破綻するでしょ。バカじゃないの。前期では何百億もの利益出していたアーバンコーポレーションの破綻なんて、いったいなんなの。
もう数千円、数万円あれば、もう10万円あればなんて規模で真剣に音楽だの映画だの芸術だの出版だの企画だのやってるやつらは、まるでなんなんですか。金持ちから見たら、ゴミ以下かね。で、えらそうな連中が儲けるだけ儲けて、ダメになったら会社つぶして世間に迷惑かけて。銀行だっておれらには1円も貸さないけれど、そういう会社にはたくさん貸しているわけでしょ。で、やばくなったら引き上げると。銀行もグルじゃん。最低の人間じゃん。

安城や岡崎だったからいいけど
愛知県豪雨で「岡崎だったからいいけど…」 麻生氏発言に岡崎市が抗議
って言うヤツが次期総理なわけでしょ。笑っちゃうよねえ。岡崎の人間は少々死んでもいいけど、名古屋なら困ったでしょってか?
総理になれるかよ、こんな人間が。最低さね。


どうでもいいけどさあ。
どーでも、いいけど。



kishidashin01 at 23:23|Permalinkclip!日常 

2008年09月15日

それでも私は

FMNサウンドファクトリーの石橋くんのblogに興味深い書き込みがあり、思わず反応してしまった。
FMN SOUND FACTORY

CDっていったいなんなんだろう、これからどうなるのだろうという疑問と不安は、ミュージシャン、大手レコード会社、インディーズレコード会社、CD流通業者、輸入盤業者、大手CDショップ、小さなCDショップ、中古盤屋、ツタヤなどのレンタル屋、プレス業者、レコーディングスタジオなどには大きな問題である。

私はあと20年と書いたが、別にCD制作が20年先までもつということではなく、なにがしかの活動できるのが20年くらい(石橋くんや我々の世代は70才になってしまうので)ということだ。

実はCDショップはあと2年と言われている。アマゾンとタワー、ユニオンくらいは残るかもしれないが、他はショップだけでは無理だろう。別の売上をたてる営業をするか、インターネット上でなにかをしなくてはいけない。

CDという形態も残るだろうが、もっと形態は変わるかもしれない。最近のロシア盤のように、MP3圧縮の音楽データのみを収録したCD-ROMかDVD-ROMかブルーレイDISKみたいな形になるのではないかな。石橋くんの書き込みを見るとヘンリー・カウの10枚組BOXが出るらしいけれど、MP3に圧縮すればおそらくCD-ROM1枚で収まってしまうからだ。

携帯音楽プレイヤーもCD、MD、カセットのものはほとんど駆逐され、i-podを中心にしたデジタルのものが圧倒的だ。とすれば音楽の聞き方自体がもうそういう方向であるから、やはり音楽は最初からMP3のデータでいいということになる。MP3データでいいのにわざわざ「圧縮しなければいけない」WAVEファイルにしてCDで販売しているのは、あきらかに時代にあっていない。
そもそもデータを買うのにCDショップにフィジカルに出かけて行かなくてはいけないのは、道理にあわない。ネットショップで買うか、誰かにコピーしてもらえばそれでいいからだ。

高倉さんが『どんなに本が売れないと言ったって、本屋がなくなるわけでもなければ、本を読む人がいなくなるわけではない』と希望に満ちた言葉を残しているが、音楽に関して言えば『どんなにCDが売れないと言ったって、CDショップやメーカーはなくなるかもしれないが、音楽を聞く人がいなくなるわけではない』となる。
音楽は本ではないし、映画でもない。本は読まなくてはいけないという労働がどうしても必要(音楽は聞きながせる)、映画は映画館上映>DVD販売>テレビ放送という転売先が2種+海外マーケットがある。音楽はもっともっと安易にコピーできてしまう。そして日本のポピュラー音楽はノイズを除いてほとんどは海外に転売できない。

唯一、ノイズという音楽は、パッケージされていることに意味があるため、普通のポピュラー音楽よりCDやレコードなどの形は長く残ると思う。
リスナーがコレクターとしての意味合いの絆が強い種類の音楽であることも理由のひとつだけれども。


それでも我々は
『こなごなに砕かれた 鏡の上にも  新しい景色が映される』
と、希望の言葉を語るべきだろうか。

まめぴよちゃんのような、我々の音楽の一番若いリスナーに、生な意見を聞きたいところである。


kishidashin01 at 23:12|Permalinkclip!音楽 

2008年09月14日

イブニング・スター

弊社から発売している原爆オナニーズのCDアルバムに「デザート・アイランド・ディスク」という作品がある。
たしかタイロウくんが『無人島に持っていく1枚』という思いをこめてつけたタイトルだった。

高校生のころ、音楽が本当に好きだった。
好き、というだけなら、今よりも好きだったろう。いや、自分の人生の中で一番音楽が好きだった時期は高校生の頃だったように思う。小遣いをため、昼食をぬいて昼食代を小遣いに振り替え、バイトもして、とにもかくにもLPレコードを買った。

そんな時代に、友人と話す中に、無人島にひとりで行くことになったら何のLPを持っていくか、ということが話題によくあがった。
5枚まで選べるとしたら?いや無人島には電気はないからレコードを持っていっても無駄では?そんなこと言うな、オレは電気がなくても持っていく、などなど、夢想家のような話を何度もしていた。

自分で選んだのは「クラウス・シュルツ/イルリヒト」「ピーター・ハミル/イン・カメラ」「スラップ・ハッピー」「フリップ&イーノ/イブニング・スター」の4枚は覚えているけれど、あと1枚が今は思い出せない。「ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター/スティル・ライフ」だったか、「ホークウインド/宇宙の祭典」だったか。確信はないが、たぶんホークウインドだったかな。

「イブニング・スター」を初めて聞いた時は、なんだか運命的な出会いのような、そんな特別な気持ちになったことを覚えている。キング・クリムゾンのロバート・フリップと、イーノが出会って、こんなに魂を果てまで連れて行ってくれるような音楽を人間が作れるのだろうかと、心底陶酔した。

今聞けばずいぶん荒っぽい演奏でもあるし、ある程度の作曲の上のインプロだったこともわかるが、盲目的に音楽を聞いていた17才の高校生にはそんなことはわからない。ただただ無限に繰り返されるようなギターとキーボードの音に身をまかせていたのだろう。そんな風に音楽を聞く時間が、無限のようにあるように思っていた。

大人になって、この「無人島に持っていくはずの5枚」のアルバムは、とんと聞かなくなった。もちろん人には推薦するけれど、自分ではもう回数を聞きすぎて、その収録曲のほとんどを記憶しているので、今更もう聞かないという感じである。
人間の「本当に好き」な気持ちの、なんと儚いことよ。

でも今でも「イブニング・スター」のアルバムジャケットを見ると、なんとも切ない気持ちになるし、聞いたことのない人には無条件ですすめる。
「遠くに連れて行ってくれる音楽」としては今ではギャビン・ブライアーズの方が上だと思うが、やっぱり自分が死ぬ時はフリップ&イーノを選択するかもしれない。

林くんと、どういう理由かは忘れたが「イブニング・スター」というミニコミを出したことがある。80年代の終わりころだったろうか、90年代のはじめだったか。
さっぱり売れなかったことだけは覚えている。

Evening Star


kishidashin01 at 23:46|Permalinkclip!音楽 

2008年09月13日

誰にも頼まれず、やること

複眼ギャラリーの「岩井知子新作展」を見に行く。
複眼ギャラリー

絵画作品、布ファブリック、木製品にハンダゴテでデザインをほどこしたものの3種類の作品群。私は布を一部分脱色させてデザインした作品が特に秀逸だったと思う。

岩ちゃんやギャラリーオーナーの村田さんなどと話をしているところにチラシを持参した若い青年登場。オシリペンペンズのモタコくんらを主人公にした映画「尻舟」のチラシが出来上がったので持ってきたという。彼は監督の宮本杜朗くんだった。

よくチラシを見ると、公開日や上映館もなにも書いていない。
撮影は終わったがまだ完成していない、上映の見込みもまだたっていないという。
じゃあ、このチラシはいったいなんなんだ。
shiribune

きっと宮本くんはこのチラシをつくらずにはいられなかったに違いない。
ものを作る最初の衝動は、もう言葉や常識では語ることのできない、なにか内側から押さえようもなく飛び出るものがあるのだと思う。若ければ特にそうだろう。
スポンサーもなく、自腹で自主映画をつくることのたいへんさは、私の過去にも映画監督、助監督だった友人がおり、彼らの破天荒な生活を知っているだけに、なんともいえない気分になった。

そう、誰に頼まれたわけでもなく、作品を作りたい、なにかをなしとげたいという気持ち。それこそが実際になにかを動かし、夢を実現し、世の中や人を動かし、なにかを伝え、なにかを残せるのだろう。
自分の損得だけを考えて行動したり、口ばかりでなにもしないのではなにもおこらない。

この映画「尻舟」はモタコくんや巨人の和田くんらが出ていること、ミッコくんやペンペンズのメンバーらが協力している以外はなにもしらないし、まだなにも見ていないので推薦するわけにはいかないが、チラシを見ただけでもビンビン伝わってくる関西の得体の知れないパワーがある、アップリンクのKくん、ほらほら、見てみたいでしょ!


なにもないこと、なにもないところにたどりつくこと、なにもないことを作り出すこと。


「尻舟」、完成したら見せてくださいね。
DVDよりは、スクリーンで見たいなあ。映画なんだから。

kishidashin01 at 23:09|Permalinkclip!映画 

2008年09月12日

夢は朝ひらく

どうしようもなく切ない夢を明け方見てしまって、気分はブルーなまま1日をすごした。


色情の因縁って、あるのだな、と思う。
強い恋心は、過剰すぎるといけないね。
命をかけてする恋など、本当はあってはいけないのかもしれない。



所詮この世は 男と女
意地に裂かれる 恋もあり
夢に消される 意地もある

鶴田浩二「傷だらけの人生」


kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!日常 

2008年09月11日

夢は夜ひらく

明け方、夢を見た。
どこかのライブハウスにいて、楽屋でミュージシャンたちと話をしている。少し離れた場所で、亡くなったはずの林くんが誰かと話をしている。あれ、林くんは亡くなったはずなのに、と気がつき、となりの男に『今年は西暦何年?』と訊いている自分がいた。

ここのところ、ハードスタッフ12号のために林くんについての原稿を書いたり、他の方が書いた林くんについての原稿を読む機会が多かったので、夢に見たのではないかと思う。

林くんのみならず、すでに亡くなった友人は何人もいる。例えば易のようなものを勉強しだしたのは、こういった友人たちのことがきっかけだった。
不幸なこと、うまくいかないことは、人間が生きているうちには何度もあるだろう。でも、若くして死ななくてもいいのではないか。その避凶の道のひとつを模索する中で、勉強することになったのだと思う。

100%当たる占い師なんていないし、なんでもわかる人間なんていない。細木とか、江原だとか、なんでもわかるなら、ビンラディンがどこにいるのか、当ててみればいい。そもそも世の中に迷宮入りの事件なんてなくなる。占い師はみんな金持ちなわけでもないし、病気にならないわけでもないではないか。パワーストーンを売っているお店のオーナーは、その石のおかげで運がよくってみんな大金持ちか?そんなわけはないよなあ。

人間は神ではない。しょせん人間でしかないのだ。ただ、大きな難を小さな難にすることは出来る。エラーする回数をへらすことはできるはずだ。難が来ることを「なし」にはできないし、1回もエラーしない人間なんていない。

そもそも『インディーズレーベルをやりたいのですが』『ロックバンドを組みたいのですが』なんて言い出せば、どんな占い師に見てもらっても『それは儲からないからやめておきなさい』と言われるに決まっているではないか。占うまでもないわなあ。(笑)

でも、インディーズレーベルはなくならないし、バンドはなくならないし、儲からなくてもやるやつらはたくさんいる。そしてやったことで悪いことばかりではなく、お金では得られないような喜びだっていっぱいあるし、素晴らしい仲間と出会えることもたくさんあるはずだ。

答えはひとつではない。ありえない。
答えがひとつしかないなら、すべての結婚は失敗であることになるぜ。(笑)


人間は何度も失敗し、エラーし、後悔し、反省し、怒り、涙し、でも許し、いとおしさや優しさの中に希望を見つけていくのだ。
「夢は夜ひらく」とは、そういうことなのだ。



kishidashin01 at 23:27|Permalinkclip!日常