2008年08月

2008年08月31日

2001年カズーの旅

急に思い出した!
テンプル・シティ・カズー・オーケストラ。


最初に聞いたのは、どらっぐすとうあ。
持ってきたのは坂口さんだったか、谷口さんだったか、美川くんだったか。
それとも、誰だったかな。

フレッド・ブラッシーとか、ワイルドマン・フィッシャーとか、テンプル・シティ・カズー・オーケストラの入ったライノのオムニバス盤だったかな。

テンプル・シティ・カズー・オーケストラはCDも出て、日本盤も出て、買いました。そのタイトルが「2001年カズーの旅」だった。

ギャビン・ブライヤーズもいたポーツマス・シンフォニアもどらっぐすとうあで聞いた。石橋くんが好きでしたね。



テンプル・シティ・カズー・オーケストラは今年もライブをやっているらしい。
さすが。


kishidashin01 at 23:01|Permalinkclip!日常 

2008年08月30日

豚に真珠

新しい履き物を買ったら、必ず朝におろしてはかなくてはいけない。夕方や夜には履いてはいけない。

子供のころ、そう教わった。
これは新しい履き物を履いて夜に歩くと狐に化かされるからで、その深い理由はお知えてはもらわなかったけれど、例えば子供の頃、歯が抜けたら、上の歯は縁の下へ、下の歯は屋根に放り投げたものだったように、理由もなくその言い伝えにそった行動をしていたように思う。


「新・耳袋」という新書版の本は全10巻あり、枕元の本棚に常備してある。寝る前に時々取り出しては読んでいるが、狐に化かされる話はよく出てくる。
例えばこんな感じである。

「山の郵便配達」
山の奥のほうの家に郵便局員が配達に行くと、きれいな女性が和服で出てくる。こんなところまでご苦労さま、あがってお茶でも、とさそわれる。配達中ですからと1度は断るが、この家が最後の配達でしょと言われ、座敷にあがってしまう。女性は奥の部屋に入ったまま長い間出てこない。あまりに遅いので「奥さん、すみません、ちょっと」と声をかけるも女性が出てくる様子はない。さらに声をかけていると急に後ろから「そんなことを言っている場合じゃないだろ!」と怒鳴られる。郵便屋がふと気がつくと肥溜めに入ったまま向こう側の何もない広場に声をかけていたのを通りすがりの農夫に発見されたのだという。

「狐の化身」
北海道。友人と肝試しをすることになり、山の一本道の先にある神社に指定のものを置いてくるということになり、Yくんは夜の一本道をトボトボ進む。すると前に和服の女性がひとりで歩いている。その向こうからハイカー風の男が山を下りてきた。男は女性に駅はどこですかと訊く。女性は駅はこの道の下だけれども、ローカル線なのであと2時間くらい電車は来ないと言う。困ったなあというハイカーに女性はそれまでうちでお茶でも飲んでいきなさいよと声をかけている。ハイカーの男はそうですかと女性の後ろをついていって藪の中に進んでいった。Yくんはこの顛末をみて興味を持ち、ふたりの後をつけていく。なんだか女が男をさそっているように思えたからだ。藪の奥の屋敷の中にふたりは入っていったが、Yくんも屋敷の中に入り込んだ。家の中からは二人の話し声が聞こえてくる。やがて想像していたとおり、二人のあえぎ声が聞こえてきた。Yくんは障子に指で穴をあけて二人をのぞく。のぞき窓からはふたりのからんだ足が見えるがズズズと右にずれていいく。Yくんは少し右にずれてまた障子に穴をあけてのぞく。二人の足はまた右にズズズとずれていく。4回ほどその行為をくりかえしていた時に、後ろから「おまえ、何やってんだ!」と友人から声をかけられてYくんはハッと気づいた。Yくんは馬の尻の穴をのぞいていたのである。


私はこの2つの逸話が好きだが、ここまではっきりと化かされてしまうことは実際にはなかなかない。でももしかして、と後から思うような程度の化かされ方は、あんがい誰でも出会っているものだと思う。

例えば奥さんに内緒で浮気をしている人。そういう後ろめたいことをしている時にはよく化かされるものだ。かわいい女だ、自分の女房よりこの女と一緒になればよかった、体もいい、素晴らしい、なんて思っている時は要注意で、決してその相手が「生涯を共にする運命の相手」ではないどころか、とんでもない低級な化けものにひっかかっていることの方が多い。
たいていは狐ですらない。イノシシの方が多い。イノシシは、豚だ。豚を抱きしめて、最高の女だなどと思っているのだ。化かされているのである。
確かめるには、酒をたんまり飲ませて先に寝かせるとよい。夜の2時を回れば化けの皮がはがれる。トンマないびきをかいた豚が、自分の横に寝ているのを見るだろう。


kishidashin01 at 21:59|Permalinkclip!日常 

2008年08月29日

もう1回だけ

昨日、アウトサイダーを見ていたこともあって、オリジナル・ウルトラビデのことをいくつか思い出す。

ウルトラビデの過去音源を集めたLPレコードがARLP-001、つまりアルケミーレコードの第一番の作品だが、それを含めてアルバムは2枚出しているけれども、未発表音源はライブ、スタジオあわせて10時間分以上あって、今聞いてもとてもおもしろい。どこかの機会でリリースできたらと思う。

オリジナル・ウルトラビデをもう1回だけ再結成したい。ウルトラビデは1978年結成なので、今年30周年なのだけれど、どこかでいい機会を探していたのだけれど、ここがいいかなと思う場所がみつかった。

その思いをTaiquiくんとBIDEくんにメール。二人ともからすぐに前向きな返事が返ってきてうれしい。Taiquiくんはノースカロライナのフェスに出演するトランジットのアトランタからメールをくれた。アインソフかな。がんばってるね!

来年1月、大阪で、たぶん再結成(実際には2003年に再結成しているので、再々結成)します。お楽しみに!




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2008年08月28日

アウトサイダー

徳島の小西さんからミニコミ「アウトサイダー」のコピーが届いた。

これは故・林直人が1978-79年に3号だけ発行したパンクのミニコミである。当然私も当時購入し、自宅に持っているはずだが、現在行方不明中とあって、小西さんが気をきかせて送ってくれたものだ。

1978年、東京ロッカーズが関西にやってきて、たいしたことないと思いつつもそれに対峙する関西のバンドがないというジレンマが1号。
で、自主企画のライブをするぞ!と林くんががんばったら、アーント・サリー、後にINUになる腐れおめこ、ウルトラビデが出てきて急速に関西のシーンが出来てきたというのが2号、アーント・サリー、INU、SS、ウルトラビデ+アルコール42%で東京ツアーを1979年の春に敢行、そのレポが3号。

ずいぶん長く見ていなかったので、いくつか忘れていたことがあったり、覚えていることがあったり。

うごめいていたものが、林くんがミニコミの発行とギグの企画をしたことで急速に関西のアンダーグラウンドな音楽が動き出す瞬間をとらえた、ひとつの記録だ。

小西さんはこの秋の発行を目標に、ハードスタッフ・林直人特集号を編集中だ。
発行がますます楽しみになってきた。



で、Gモダーンはいつ出るの?

kishidashin01 at 21:23|Permalinkclip!読書 

2008年08月27日

モタコくんと飲む

先日のあべの銀座の件で、林くんや美川くんと一緒に行った居酒屋の名前が思い出せないでいると、それはたぶん「三喜屋」であるという回答を美川くんからいただいた。
そう、たぶんそうだ。ジーコという女の子も一緒にいたことも記憶していて、それも美川くんとの記憶と一致すたことも嬉しかった。

三喜屋、つまり三つの喜びとはなんだろうとも思うが、たぶん酒と料理と、そしてそこに飲みに行く友との喜びだろうと思う。お酒の飲めない方には残念だが、やはりお酒は飲めたほうがきっと楽しい。お酒の席という特別な時間をもてるからだ。


今日はオシリペンペンズのモタコくんとふたりで飲みに行けた。春にさそわれていたものの、なかなか時間がもてなかったのだが、ようやくである。

約5時間40分、飲んで話しましたが、最後はモタコくんのほうが酔ってしまい、お開きに。私は量もたいして飲んではいないが、そんなには酔わなかったかな。話が楽しかったしね。モタコくん、1件目はおごってくれてありがとう。

次回はぜひ友人も連れてきてください。私の話がその方々にどれだけおもしろいかはわかりませんが、引き出しは多いほうなので、いろんな話はできると思います。

今夜話した映画の件、ウッディ・アレンは1977年の「アニー・ホール」から1986年の「ハンナとその姉妹」の間の作品がおすすめです。おすすめは「カイロの紫のバラ」かな。

ガンジャというバーは初めて行きましたが、奥のギャラリーもすばらしいですね。
今日の展示の作家さん、すてきな作品多数。きっとメジャーなアーティストになると思います。またこのお店も行きますね。


新潟の能勢山くんより、10月のお寺でのライブについてのメールと確認事項。
はい、ぜひお寺の本堂で演奏したいですね。

小西さんもメールありがとうございます。
誰かがしてくれたことを、見ず知らずの誰かにかえすことでつながっていくこと、いい話でした。私もそれは実践していますよ。


人を愛することは、好きになることとは違う。
こころが重なることが、愛することなのだ。
そして、許すこと。これが一番むつかしいけれども。



kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!日常 

2008年08月26日

あべの銀座

昨日のレーニンの対バンの件、「首脳会談」で行われたとあったと、ギューンカセットのなにで判明。スハラくんありがとうね。

で、岡くんがギターひいてわたしがボーカルしているマントヒヒでのライブ写真があるが、それが首脳会談のライブのものかどうかは不明。
たぶん岡くんやほかのメンバーが出て、私は出演しなかったと思うのだけれども、記憶がさだかでないなあ。

マントヒヒでのライブとなると、共演したバンドは眩暈(めまい)、ヘデイクなんかがあったな。非常階段ではなくジュラジューム名義で八太+美川+私のトリオで出演したこともあった。のちに花電車を結成するヒラくんともマントヒヒで最初に会った。その時の彼のバンドはFROSTだったか、遊星ラビリンスだったか。たぶんFROSTだな。

マントヒヒは天王寺駅から徒歩5分くらいのところにあったジャズ(ロック)喫茶で、最後のマスターは後にアウシュビッツのドラマーとなる中島さんだった。もう私が出入りした時は中島さんがマスターだった気がする。
縦長の洞穴のようなお店だった。あべの銀座のちょうど真ん中くらいだったかな。

マントヒヒに行くまでに四分休符というジャズ喫茶もあった。カウンターの飲み屋、クラシックなバー、デッドストックも売っていたおもちゃ屋、銭湯などもあった。
バーには流しのおっちゃんがいたなあ。ギター持ってお客のリクエストにこたえていた。

再開発でもうずいぶん解体されたはずだけれど、まだあべの銀座、少しは当時のお店は残っているのかな。


kishidashin01 at 12:52|Permalinkclip!日常 

2008年08月25日

名前

1978年頃、京都の学生だった私は毎日のように寺町今出川のほんやら洞の向かい側にあったハードロック喫茶「ニコニコ亭」に出入りしていた。ここで耳をつんざく大音量でハードロックをきくためで、JBLスピーカーの前でもう耳の限界に近づくような凶音を日がな聞いていた。

お店では「キャプテン・ビヨンド」がお気に入りだったようで、行くとたいがいはキャプテン・ビヨンドの1stがかけられてた。

キャプテン・ビヨンドはディープ・パープルの初代ボーカリストのロッド・エヴァンスのバンドだったが、どうも末路はあわれなものだったようだ。
「偽ディープ・パープル事件」というのもあったようで、ロッド・エヴァンス以外はディープ・パープルのメンバーのそっくりさんを集めて、それでいながら「ディープ・パープル」として地方でライブをして金をかせぐという興行をした経緯があるらしく、時代も時代だとは思うが、なんともいえない顛末である。
英語版ですが↓
「偽ディープ・パープル」についてのページ(英語)

たしか似たような話がマンガ「ど根性ガエル」にあったな。野口五郎ではなく野ロ(カタカナのロ)五郎、森昌子ではなく森日日子(もりひひこ)とかが歌謡ショーをする話だったような記憶がある。


しかしバンド名の権利についての事件はその後もけっこうあったね。イエスのバンド名の権利はクリス・スクワイアが持っていて、メンバー全員がイエスのメンバーなのに「アンダーソン・ブラッフォード・ウエイクマン&ハウ」というバンド名の時もあった。そのバンドの来日公演行ったな。
ピンク・フロイドのバンド名もギルモアが権利を持っていたりしていたかな?
ソフト・マシーンの名前の権利も、途中からバンドに参加して最後までメンバーだったカール・ジェンキンスが持っているため、他のメンバーはソフト・マシーンの名前を使えず、「ソフトワークス」とか「ソフトヘッド」とか「ソフトヒープ」とかの名前でバンドを運営せざるをえなくなっていたはずだ。


バンド名の権利ねえ。結局は、お金かな?

偽非常階段はアストロの長谷川くんと日野繭子さんとコサカイくんでやったな。

1981年ころ、スターリンがその名前ではライブが出来なくなって「レーニン」という名義で大阪天王寺のマントヒヒでライブをしたことがある。非常階段が対バンでこちらも「異常階段」とか「異常猥談」とかにしよう、とかメンバーの岡くんと話していたのは覚えているが、実際対バンしたかどうかは覚えていない。たぶんしていないのではないかなあ。


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2008年08月24日

SAS

午後、灰野さんが東瀬戸くんや吉本さんと一緒に店に寄ってくれた。
ロシア盤の話になり、灰野さんにキャプテン・ビーフハートのMP3ディスクをプレゼントする。ザッパの「ホット・ラッツ」も収録されていたので、『このアルバムにビーフハートは入っていたっけ』『2曲目でボーカルを』などという話も。
灰野さんは複眼ギャラリーのLAFMS展をすこしのぞいていかれた模様。
12月14日、大阪nu-thingsでJOJO広重VS灰野敬二のライブ決定、よろしくお願いします。

佐伯SINRYOくんが顔を出す。私が執筆したあがた森魚さんのアルバム「乙女の儚夢」のライナーノーツを読みたいという。たまたまPCに原稿データが残っていたのでその場でプリントアウトしてあげる。あがた森魚・惑星漂流60周年ツアーに関して少し手伝う予定の模様。どこでつながったのかわからないが、がんばって!

GARADAMAのKAKINOKIも顔を出してくれた。頼まれていた「黒い太陽731」のDVDを渡す。かわりに「女高生・天使のはらわた」のDVDをプレゼントしてくれた。出演女優の問題で国内では公開や販売、クレジット表記が制限されているものらしい。しかしとんでもないトレードですね。
どちらも内容はそんなに...なんですがね。

帰宅後、サザンオールスターズの活動休止前の大規模ライブをテレビで少し見る。国民的バンドと言われるだけあって、繰り出される演奏のほとんどの曲は聞き覚えがありますね。ほんとうにすごいバンドだ。

サザンにはいくつか思い出がある。非常階段結成後だったか前だったかは忘れたが、1978年ころ、非常階段の初期メンバーだったZUKEくんの下宿に遊びに行くと、テレビを前に万歳三唱している。テレビの歌謡番組「ザ・ベストテン」にサザンの「勝手にシンドバッド」が登場したことを祝っているようである。確か新宿ロフトからの中継だったようで、まだマイナーバンドだったが破天荒なイメージのサザンをZUKEくんはどこかで見つけ、ひそかに応援していたようだった。

1981年、非常階段はその新宿ロフトに出演、当時の女性メンバーがステージでおしっこをしたことが話題になったが、後に雑誌「噂の真相」に『非常階段というバンドで女の子が新宿ロフトのステージで座り小便したらしいよ』『え?ほんと?』と、ロフトゆかりのサザンの桑田さんが嬉しそうに非常階段のライブについて反応していた記事が掲載された。ZUKEくんが喜んだのは言うまでもない。

サザンで好きな1曲があるが、タイトルが思い出せない。原由子の「少女時代」という曲が好きな理由は、何年か前のblogに書いた気がする。


オリンピックの閉会式、次回がロンドン五輪のためか、ジミー・ペイジが登場して「胸いっぱいの愛を」を演奏していた。2016年はぜひ東京開催を決定していただき、2012年のロンドン五輪の閉会式では灰野さんにでも登場してもらえたらいいかと思うが、どうだろうか。灰野さんは今世界で一番有名な日本人ギタリストなんだから。


kishidashin01 at 22:33|Permalinkclip!日常 

2008年08月23日

灰野さんと間違われる

ベアーズへ。今日は灰野敬二・山本精一DUO。
ライブ前に楽屋に行って灰野さんと少し話す。12月に大阪で一緒にライブをする予定で、その打ち合わせしながら近況などいろいろ。灰野敬二+ドラビデオとソロの新作DVDをいただく。

7時少し前にベアーズに着いた時入り口で見かけた山本くん、すーっと西の方角に消えていったが、そのままもどらない。開演時間を20分以上過ぎているのでちょっと心配になり、入り口付近を探していると、これまたすーっと戻ってきた。
その時に会場にやってきたBIKKEと3人でバッタリ。BIKKEが「あ、どうも...こちらが灰野さん?」と私に。山本くんが「なに言うてんねん、広重くんやがな」とふたりで大笑い。BIKKEも大慌てで「広重さん!お久しぶりです〜」と。確かに。アーントサリーのギタリストだった頃から会っていないから、29年ぶりですね。ラブジョイも私は、まだ見ていない。BIKKEはblogなどで写真は見ているから、そんなに久しぶりという感じはないけれど、話をするのは29年ぶり。
BIKKEは「私と同じくらいの年齢ですよね。お若くて」などとのたまう。山本くんさらにそれを聞いて「じゃあなんで灰野さんやと思うねん、灰野さんはおれらよりもっと年上や」(笑)

ああ、こんなことをしている場合ではない、もう出番です、と、山本くんと楽屋へ。灰野さんと3人で少し話して、それにしてもBIKKE、私を灰野さんと間違うとはと山本くんとふたりで苦笑するも灰野さんにその話はできず、ふたりをステージへ送りだしてドアをしめた。

引き出しの異常に多い二人の演奏は満員のベアーズのお客さんにも十二分に楽しめたのではないかな。私は中座させていただきました。
京都のリラダンズはどうだったのだろう。

kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!ライブ 

2008年08月22日

ひたむきさ

明日は複眼でLAFMS展、ベアーズで灰野敬二&山本精一、京都でリラダンズとかぶりまくっていて、たまたまLAFMS展の設営に来ていた坂口さんとバッタリで、明日どうします?という話になり、リラダンズはまた演るのではないかという見解であまり心配していない、という共通の見解でした。
私は灰野さんと12月のライブの打ち合わせがあるのでベアーズに行く予定。



オリンピック、星野ジャパンの野球、韓国戦に負けたので金メダルはなくなり、銅メダルか4位、という結果になったのでなんだかみんながっかりしているらしい。そちらの筋からコメントを求められるも、何も言うことないですとすげない返事をしておく。

開幕前から野球はキューバ、アメリカ、韓国、日本の4チームが残ることは(戦力の差から)もう決定的で、それなら最初からこの4国でやれば、などとしらけた見解もある中、日本はプロ野球のシーズン中にもかかわらず、チームの主力選手をぶっこぬいてチーム編成したために『これで金メダル確実』みたいな雰囲気ばかりで、実際は短期決戦に向けた試合などなく、シーズン中のプロ野球みたいな試合をしているので、どこで修正するのかと思っていたら最後までそのままで、そして今日負けたくらいで全員ががっかりしていることこその奢りであることにすぎない。
日本金メダルの夢(?)をうち砕いたのが、今は読売ジャイアンツ所属の外国人選手であるイ・スンヨプの逆転ホームランというのがなんとも皮肉で、そして象徴的。
巨人はスンヨプをクビにするのか?戦犯は岩瀬?GG佐藤?やっぱり星野?と、なんとも夕刊紙のようなゲスなイメージばかりが浮かんでは消える。

それに比べれば(といっても種目が違うので単純に比較はできないが)女子ソフトボールの純粋さとひたむきさは光った。金メダル授与の時、選手みんなが胸にお守りをさげていたのが印象的。日本人だねえ。そして、かっこよかったよ。

男は、ダメだな。



kishidashin01 at 23:35|Permalinkclip!日常