2008年03月

2008年03月31日

AMS

トップページに記載されていますが、心斎橋のAMS/アルケミーミュージックストアは4月6日をもって店頭販売を終了します。
いままでご来店いただいていたお客様、ありがとうございました。
これからはネットショップとして販売を継続します。委託商品はそのままお預かりして販売していきたいと思っておりますが、商品を委託されておられる方々で店頭販売がないなら引き上げたい、一旦全商品を返して欲しいという方は随時ご連絡下さい。
申し出がない場合は引き続き委託を預かり、今まで通り月末締めで精算、翌月振込で支払います。よろしくお願いします。


今日はディスクユニオンのKさんが大阪にやってきた。自社商品の営業のついでに寄ってくださったのだが、ディスクユニオンは経営良好、昨期も黒字決算ということで、音楽業界で珍しく業績好調の話を聞いた気がする。

その背景には徹底した在庫管理、人事管理、店頭や卸や制作の営業管理が出来ているということだ。AMSはそのあたりが出来ていないので店頭販売がふるわない>営業縮小に至るわけである。これはもう会社の規模の問題もあるが、そもそも社長の器の違いであり、責任はやはり私にあると思っている。

営業成績はどうあれ、AMSを音楽情報やライブの告知などで有効活用してくれていたみなさんにはまたひとつ拠点がなくなるわけで、そこはたいへん申し訳ない。
ライブも出来るようにして1年くらいだが、先日も桝本くんがまた出演したいなどと言ってくれているのにお断りすることになって、こちらも申し訳ない。とうめいロボもまた活動再開したら出演しますと言ってくれていたが、こちらの都合で不可能になってしまった。これも申し訳ない。

なにより、自分はインターネットをしていない、AMSの店頭で商品を買いたいということでいつもCDを購入してくれていて、そしてアルケミー関連のライブには必ず来てくれていたHくんに対して、一番申し訳ないと思っている。

CDショップはいらない、ネット通販でなんでも手に入る、AMSがなくなったって困らない、とおっしゃる方も多いと思う。
じゃあ大阪で「G−モダン」をどこで買えばいいのかとなると、どこにも売っていない、T.美川のソロやメルツバウの新譜を店頭で買いたいと思っても、AMS以外には大阪にはなかなかないという現実はあるわけで、やっぱり少数かもしれないが困る人はいらっしゃるのではないか、そして少数を見切ることは、自分にとっては断腸の思いだったりするわけである。
でもきっと小さいお店でこういった商品を地道に揃えるお店はあるだろうし、これからも出てくると思っています。

でもね。
どこでも買えるものなら安いかなにか特典がつくか、送料無料で家から出なくて買えるほうが良い。どこにでもないものなら、店頭にあればそこまで買いに行く。ほかはネットで十分という時代だと思う。そしてどこにでもないものを、恒久的に揃え続けるのは、かなり難しい。
以前モダーンミュージックを裸のラリーズのブート屋だと卑下した発言をしたけれど、そうしていかないとなりたたないお店の事情もよくわかっているつもりだ。だがディスクユニオンのように徹底した営業戦略をすることも、モダーンミュージックのようにブートの販売で利鞘をかせぐことも、フジヤマのように赤字だけれども意地で営業を続けることも、私には選択できなかったという、ただそれだけのことである。

AMSは9年間の店舗営業だったが、いろいろなものを見せてもらったし、いろいろ思うことがあった。
象徴的に覚えているのは、80年代初頭にどらっぐすとうあのスタッフだった男が実はAMSの万引き常習犯で、それを私が捕まえた2003年くらいにあった事件。つまりは古い同志に裏切られたわけで、結局はこの程度のことなのだというアンダーグラウンドな音楽の底の浅さを身をもって思い知ったこと。

でも、じゃあAMSも本当にいつも誠実だったかというと、実際は中途半端なこともあったし、ちゃんと接客出来ていなかった部分もたくさんあったと思う。

以上、全部含めて、申し訳ない。


また時代がかわり、それがアルケミーデータショップになるのか、またぜんぜん違うものになるのかはわからないが、また、いつかどこかで。

4月3−5日はAMS内で楽しいフリマやってますので、よろしく。
4月6日AMS最終日は山本精一くんのライブがあります。こちらもよろしくお願いします。


kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!日常 

2008年03月30日

鼬の通り道

幽霊の話などを書くと、猿股茸美都子のKさんにウケが良い。

今日は直接話ができた。

私の生家では部屋数が足りず、私が中学3年生、姉が大学生の時にようやく姉の部屋が出来た。それは屋根の上の物干し台(昔の家には物干し台が屋根の上にあったものだ/三丁目の夕日参照)を取り壊して、そこにプレハブのような部屋を増設したものだった。屋根の上に小さな部屋が乗っかっているような感じで、今思うとよく台風などで飛ばされなかったものだと思う。

私が高校3年生の時、姉のその部屋を譲り受けた。姉はたしか近所のマンションに部屋を借りたはずだ。
姉が部屋を空にし、私に譲り渡す日、『この部屋ね、夜中のある時間になると揺れるけれど、揺れるだけだから、気にしないように』と言われた。

その部屋に寝るようになった最初の晩、確か深夜の12時過ぎだったと思う。
どこかからなにかが駆けてくるような物音がしたかと思うと、自分の寝ている部屋の真下をなにかが猛スピードで駆け抜ける音がして、部屋が「ゆっさ」と1回揺れた。

これか!と思ったが、それがなになのかは全然わからない。
動物が駆け抜けるような感じなので、鼬かなにかが駆け抜けているのかとも思うのだが、いつも同じ時間に、というのがヘンである。
また、なにかの動物が駆け抜けたところで物音はするにしても、部屋が揺れるのはどう考えてもおかしい。
それでも怖がることもなく、その一瞬の「ゴッ!」という物音と部屋の揺れも気にならなくなった。

神様か天狗か妖怪かなにかわからないが、私の屋根の上が彼の通り道なのだろう。
そこに部屋を作ってしまったため、その下を通らざるをえなくなったのだ、と思っている。

私が大学を卒業してその部屋をあけるまで、その物音の部屋の揺れは続いた。
その後はその部屋で寝泊まりしていないので、今でも夜中に部屋が揺れているのかどうかはわからない。

でも、きっと今でも毎晩のように「ゴッ!」という物音と部屋の下をなにかが駆け抜けること、そのことによって部屋が揺れている事象は継続している気がする。

でもその正体を、私は見たことがない。


kishidashin01 at 23:58|Permalinkclip!日常 

2008年03月29日

すまん!

ピンキーさんのライブに行けず、申し訳ない。
「一人」を演奏されたとのことで、ますます申し訳ない。


kishidashin01 at 23:42|Permalinkclip!ライブ 

2008年03月28日

フルスイング

とあるお方がNHKの土曜ドラマ「フルスイング」全6話をDVDRに焼いて送ってくれたので、数日かけて視聴。

実在したプロ野球の打撃コーチ高畠導宏氏が58才で福岡の高校教師に就任したという実話をベースに、教育の、教師VS生徒だけでなく教師in学校を描いた、感動的なテレビドラマだった。

もうテレビのドラマを見なくなってしまっているので、1時間弱の時間をドラマ視聴に集中するのが疲れた以外は、非常におもしろく、心打たれるものがあった。
原案になった書籍「甲子園への遺言」も読んでみたいなあ。

いくつか高畠氏の格言みたいな言葉が毎回出てくるのだが、「気力」とはなにか、という問いが最終回に出てくる。

さて、気力とはなにか、あなたも考えてください。


あと、人は相手を思うことで強くなり、相手から思われることでもっと強くなる、という言葉も、よかった。
生きることがさみしいと思う人に、ささげたい言葉だ。

http://www.nhk.or.jp/dodra/fullswing/index.html

kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!映画 

2008年03月27日

スターダスト・メモリー

ウディ・アレンの映画「スターダスト・メモリー」がようやく国内版DVDが発売になった。

スターダスト・メモリー


ウディ・アレンは日本でもファンの多い映画監督だと思うが、多作ということもあるのか、この「スターダスト・メモリー」だけは字幕入りのVHSビデオが発売になっただけで、レーザーディスクもDVDも日本版は発売になっていなかった。
ウディ・アレンのDVD-BOXが出た時にもこの映画は割愛されていたので、よほど人気がないのだなと思っていた。
アメリカでは早々にDVDが出ていたので米盤DVDを購入、日本のBSで放送した字幕版をDVDに焼いて、カップリングしてコレクションしていたのである。
国内版ということで、先週とりあえず購入。

映画マニアというほど映画の本数を見たわけではないが、映画館、テレビ放送、ビデオなどで、それなりの本数は映画を見てきたと思っている。で、映画の中で一番好きな作品は何ですかと訊かれることがあれば、まよわず「スターダスト・メモリー」をあげてきた。
そう答えると、たいがいの質問者はこの映画を見ていない。

ウディ・アレンといえば「アニーホール」「マンハッタン」「ハンナとその姉妹」が代表作で、しかし初期のドタバタコメディ好きな方も多い。
「ブロードウェイのダニー・ローズ」「カメレオンマン」「カイロの紫のバラ」あたりのセンチメンタリズム作品も映画通には評価が高いと思う。
「スターダスト・メモリー」はウディ・アレンの個人的な作品という見方が多い。そのため、どうしても他の作品のレベルの高さと比較されると、いまひとつ何を言いたいのかわからない作品と見られるのだろう。

いや、違う。
シニカルなのだ。
そしてそのシニカルにこそ、ウディ・アレンのセンチメンタリズムの極めつけが封じこめられている。

サッチモの「スターダスト」、最高に眩しいシャーロット・ランプリング、最高の幸せとは大好きな女性と過ごすなにげない時間なのだという真実。
ロードショーの間、3度映画館に足を運んだ、おそらく自分の生涯にとって最も大切な映画、かな。

早口で難解なセリフも多く、時系列も入れ替わり立ち替わりなので、DVDで見るにはよい映画だと思います。


一番好きなシーン?
浜辺の象のところです。
wood

kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!映画 

2008年03月26日

白球

仕事で甲子園へ。

koushi
甲子園に来たならと、選抜高校野球を少し観戦。
知っている人は少ないかもしれないが、高校野球は外野席は入場無料である。
(内野席は有料)
春休みにこんな場所が入場無料なら、自分が子供で近所に住んでいたら毎日遊びに来るなあと思っていたら、案の定、小学生風の子供がたくさん外野席に。
子供はほんの少しもじっとしていないですね。野球なんか見ていない。(笑)

これも知っている人は少ないが、野球のルールではホームベースから外野フェンスまでの距離は決められていない。
そう、決められていないのだ。
こんな球技はそうそう他にはない。

甲子園はラッキーゾーンが取り払われてからは、外野はずいぶん広くなった。つまりホームランは、広島球場のように狭い球場より、出にくい。

もっと言えば、内野と観客席の間のファールグラウンドの広さも決められていない。
野球はグラウンド(インフィールド)の外に球が出ても、捕球されればファールフライ捕球でアウトになる、珍しいスポーツだ。ほかのたいがいの球技はコートの外に球が出た時点でゲームには関係なくなるか、アウトや減点になるからだ。それほどゲームに重要なスペースであるのに、広さの定義や制限がない。

つまり野球のグラウンドの広さは、ファールグラウンドを含めて、無限である。

今日私が見たゲームは1対0の投手戦だった。私は途中からゲームを観戦しはじめたので、1回の表に入った1点の場面を見ていない。
なので、私が見たゲームは両チームともに1点の点数も入らなかった。
それでも、野球はおもしろい。


観客席のどこかに山本精一くんがいるはずだが、今日は会えなかったな。
彼は高校野球開催中は、ずっと甲子園にいるはずなのだが。


kishidashin01 at 23:40|Permalinkclip!日常 

2008年03月25日

白いカラス

「とことん石ノ森章太郎」という番組をBS2で放映中、昨夜帰宅した時に「人造人間キカイダー」をやっていたため、ついつい見てしまう。

キカイダー、ハカイダーなどは、自分の中学生時代にテレビで放映していた特撮番組「人造人間キカイダー」に登場していたキャラクターで、ロボットも涙を流すのだ、という哀しみが込められたストーリーやキャラ設定には、ずいぶんはまった。
木枯し紋次郎やハカイダーというキャラクターは、多分に自分の人格形成に影響を与えていると思う。ムーミンに登場のスナフキン、紋次郎、ハカイダーがおそらく私たちのような70年代に青春時代を過ごしている世代の3大ヒーローで、もう5〜10年後の世代にはガンダムやイデオンが欠かせない。今ならエヴァンゲリオンなんだろうか。

表があれば裏があり、裏にもいくつかの顔がある。
そんなことをマンガやアニメや特撮は、時々おしえてくれる。

いつか飯塚昭三(ハカイダーの声優)に、『ふん、どうせ、みんな死ぬのだ』というセリフをはいてもらい、録音して座右の銘の名言としてアルケミーからリリースしたいという夢がある。
同じセリフを岸田森や天本英世にも語ってほしかったが、もうかなわない。



hakai

kishidashin01 at 23:32|Permalinkclip!映画 

2008年03月24日

中田島砂丘にて

せっかく浜松に来たので、ライブの翌日の本日は旧友に会うことにした。

学生時代のアルバイト先での友人のSくんが旧天竜市に住んでいるので、月曜日だけれども休みをとってもらって約20年ぶりに再会したのである。

Sくんといっしょにアルバイトをしたり遊んだりしていたのは1980年から81年の2年間くらい。通う大学も違ったし、音楽の趣味もぜんぜん違っていて、以前このblogで紹介したHくんなどはレコードやエフェクターを借りたりした仲だったのだけれども、そちらの方面ではまったくリンクしない友人だった。
こちらは非常階段だなんだとわやくちゃな音楽をさんざんやっていた頃だったが、そういった話もSくんにはほとんどすることもなく、また彼がライブを見に来ることもなく、ひとりの友人として交流していたのは、今思えばとても不思議な気がする。

朝10時にホテルのロビーで会い、喫茶店で1時間半くらい話をしたが、まったくスタンスのかわっていないお互いにも驚くし、その後の人生の話をお互いにするのだけれども、生き方のスタンスが変わっていないので、常識で言えば突拍子もない出来事も彼がしたことならすんなり理解できてしまう。

例えば彼はネパールの2つの学校に6キロもの水道を引くという事業をボランティアで成し遂げてしまっている。
彼がたまたま旅行で立ち寄った先のネパールの子供、貧しいので鉛筆がなかなか買えないという。じゃあ次に行く時にリュックのよこに鉛筆を少し詰めて持っていく、ということをはじめた。その話が新聞に載り、話題になり、彼のところに大量の鉛筆が集まり、次に行く時には数千本の鉛筆を持っていくことになった。
しかし子供に会うと、実は学校に行きたくないという。なぜかときくと、学校には水道がないので谷底からバケツで水を汲んで学校に運ばなくてはいけない、その作業がしんどいのだという。じゃあ水道を引けないのか、ということを彼は考え、仲間と資金を集め、寄付をつのって、ついに学校に水道を引いてしまったのである。

彼はさらりと話すけれども、旅先で知り合った人、そこの出来事、なにか出来ないかという思い、その後の彼の熱意と行動力は、見事だ。

彼のエピソードにはこんな話がいくつもポンポン出てくる。そしていつもは、2児のパパの、ごく普通の公務員であるというところが、徳島の小西さんや神奈川のコサカイくんと共通するものがある。

彼の家の前には牧草地があり、前には川が流れ、メダカが泳ぎ蛍が舞い、夏にはカブトムシやクワガタが家に飛び込んでくるという。ふたりの男の子たちはは素晴らしい環境で育っていることがすぐにわかる。

なんて生き生きとした人生を送っているのだ。
君と友達だったことを誇りに思う。

24年前に彼の家に初めて立ち寄った時は、浜名湖が一望できる山の上の公園に連れて行ってくれた。その時の光景を、ふたりともが克明に記憶していたのは嬉しかったな。
あの時、山があまりに静かで、麓の小学校の子供達の声が山頂にまで届いていたんだよね。
あの時の子供の声は、たぶん一生忘れないよ。

今日は中田島砂丘に連れて行ってくれた。
日本の三大砂丘らしいが、鳥取砂丘、九十九里浜ほどは知られていないと彼は言う。
ウミガメが産卵に来るというその広大な砂浜、押し寄せる激しい波は、これまた見事で雄大だった。

また再会を約束し、浜松を後にした。
umiu





帰途、新名神を車で走る。
三上寛さんの昔のアルバムを尾谷と聞きながら、楽しく大阪までドライブ。
『しぼり具合によちゃあ、天ぷらあぶらもとれるって話だってさ』


kishidashin01 at 23:56|Permalinkclip! 

2008年03月23日

浜松でライブ

浜松LUCREZIAでライブ。

<WALL AGAINST>
若手ノイズ系らしいが今夜はPCと民族楽器によるコラージュっぽいサイケ電子音楽の模様。きっといろいろできるんでしょうね。がんばってください。

<地球儀>
ギターの中西くんは以前どこかで見たなと思っていたら、過去にLUCREZIAで対バンした経緯があった模様。この日はまだ結成あたらしいという女性ボーカルやアコーディオンを加えたアコースティックでレトロな雰囲気のバンドでした。

<JOJO広重>
ドラムに尾谷を加えてのDUO形式。新曲(新イントロ)を加えて1時間と少し。以前よりモニターがしやすくなっていてびっくり。エンジニア青木くんの腕が上がったか。

LUCREZIA3周年おめでとうごさいます。
コメントはステージから話したとおりです。
これからもがんばって!


kishidashin01 at 23:59|Permalinkclip!ライブ 

2008年03月22日

Alright Now

明日の浜松ルクレチアのライブのため、尾谷と打ち合わせ。

その中の話で、彼女が学生時代にロンドンまで行ってポール・コゾフのお墓を探しに行ったがたどり着けなかったというエピソードを聞く。

今はインターネットですぐ探せるよ、と10分くらい検索して発見、彼女をおおいに喜ばすことができた。

http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=6304735

このポール・コゾフが眠るGolders Green Crematoriumは英国でも最古級に古い霊園のようで、数々の有名人やミュージシャンが埋葬されているようだ。
しかしマーク・ボランは小さな墓碑があるようだが、ポール・コゾフやキース・ムーンは「このあたりのブロック」という平地に灰がまかれているだけで、いわゆる墓石のようなものはないようだ。

墓という概念自体が世界各国でそれなりに違うのだろう。日本のように墓そのものにこだわるのは、実はちょっと変わっているのかもしれない。占い師によれば墓相なんかもありますものね。
そういった"形"ではなく、心で故人を思うだけで、思いは通じるのではないか。そう思える。
もちろん墓を粗末にする必要はないが。

原っぱに灰がまかれているというスタイルは、なんだか自由なロッカーっぽくて、いいね。




kishidashin01 at 23:03|Permalinkclip!音楽