2007年08月
2007年08月31日
FUTURE IMPERFECT
1982-83年くらいに活動していた枚方のバンド「オーバン」。
そのメンバーだったTくんとは最近はメールのやりとりをしていたが、彼はアフリカのニジェールに赴任していたが、一時帰国しているようで、その合間に会うことになった。
会うのは約4年ぶりか。
彼に頼まれていたルー・リードの音源と、木枯し紋次郎の映像をわたす。
元ほぶらきんのマネージャーにして「ゴースンの一生」をリリースしたオルセンレコードの主幹でもあったSさんも同席。3人で飲みに行く。
オーバンをやっていた頃はまだTくんは高校生だったこと、私はもう忘れていたが、私が彼にスティーブ・ハーレイやガン・クラブをおしえた話など。
また阿木譲の話、SさんとTくんは印刷所でロックマガジンに付録のソノシートを張り付ける作業(アルバイトではもちろんなく、無料奉仕)の時に出会ったことなど。
またSさんからはほぶらきんの「ゴースンの一生」がなぜEPではなくソノシートになったかなどの経緯も聞けた。
Tくんは1982年に門前仲町の私のアパートに泊まりがけで遊びに来たことがある。
帰る朝、門前仲町のミスタードーナツで食事をした。彼も私もそのことはなぜかよく覚えている。
私はもう20年以上も、アルケミーレコード設立以前から、自分の後輩になるバンドたちのめんどうをみたり、かわいがったり、やろうとしていることの応援をしたりしているが、オーバンはそういうふうに接した最初のバンドだと思う。
自分がすすめる音楽をおもしろがってくれたり、私の励ましがバンドによい影響があったり、双方に気持ちが交流するような瞬間を大切にすること。そういう関係はオーバンが最初だったのだ。
その後、ハナタラシの山塚くんや、赤痢やサバートブレイズ、近年ではオシリペンペンズや勝手に応援しているとうめいロボの例を出すまでもなく、20数年間、私はオーバンに接した時と同じく、自分の知っている音楽や経験を伝えたり、応援したりしているのだ。
たぶん今でもTくんに伝えたのと同じく、スティーブ・ハーレイやガン・クラブはいいよ、と、それを知らないミュージシャンには語るだろう。
今日も25年前と同じように『スティーブ・ハーレイのソロは「ホボ・ウィズ・ア・グリン」「カンディディケイド」「イエス・ウィー・キャン」「ポエティック・ジャスティス」。。。』などとタイトルを紹介していたように思う。
同じことを継続すること。
それが本当に大切なことなのかどうなのかは、私にはわからない。
また私の人生が終わったころに、評価でもなんでもしれおくれな。
また会おう、友よ!
そのメンバーだったTくんとは最近はメールのやりとりをしていたが、彼はアフリカのニジェールに赴任していたが、一時帰国しているようで、その合間に会うことになった。
会うのは約4年ぶりか。
彼に頼まれていたルー・リードの音源と、木枯し紋次郎の映像をわたす。
元ほぶらきんのマネージャーにして「ゴースンの一生」をリリースしたオルセンレコードの主幹でもあったSさんも同席。3人で飲みに行く。
オーバンをやっていた頃はまだTくんは高校生だったこと、私はもう忘れていたが、私が彼にスティーブ・ハーレイやガン・クラブをおしえた話など。
また阿木譲の話、SさんとTくんは印刷所でロックマガジンに付録のソノシートを張り付ける作業(アルバイトではもちろんなく、無料奉仕)の時に出会ったことなど。
またSさんからはほぶらきんの「ゴースンの一生」がなぜEPではなくソノシートになったかなどの経緯も聞けた。
Tくんは1982年に門前仲町の私のアパートに泊まりがけで遊びに来たことがある。
帰る朝、門前仲町のミスタードーナツで食事をした。彼も私もそのことはなぜかよく覚えている。
私はもう20年以上も、アルケミーレコード設立以前から、自分の後輩になるバンドたちのめんどうをみたり、かわいがったり、やろうとしていることの応援をしたりしているが、オーバンはそういうふうに接した最初のバンドだと思う。
自分がすすめる音楽をおもしろがってくれたり、私の励ましがバンドによい影響があったり、双方に気持ちが交流するような瞬間を大切にすること。そういう関係はオーバンが最初だったのだ。
その後、ハナタラシの山塚くんや、赤痢やサバートブレイズ、近年ではオシリペンペンズや勝手に応援しているとうめいロボの例を出すまでもなく、20数年間、私はオーバンに接した時と同じく、自分の知っている音楽や経験を伝えたり、応援したりしているのだ。
たぶん今でもTくんに伝えたのと同じく、スティーブ・ハーレイやガン・クラブはいいよ、と、それを知らないミュージシャンには語るだろう。
今日も25年前と同じように『スティーブ・ハーレイのソロは「ホボ・ウィズ・ア・グリン」「カンディディケイド」「イエス・ウィー・キャン」「ポエティック・ジャスティス」。。。』などとタイトルを紹介していたように思う。
同じことを継続すること。
それが本当に大切なことなのかどうなのかは、私にはわからない。
また私の人生が終わったころに、評価でもなんでもしれおくれな。
また会おう、友よ!
2007年08月30日
桜の木の下で
11月と12月のライブがトントンと決まる。
kishidashinのライブが11月3日にファンダンゴで。
映写機もパワーアップしたので、楽しみだ。
共演はとうめいロボ、インキャパシタンツ。
インキャパシタンツの美川くんはソロアルバムを出して、それを送ってくれた。
なんともかわいらしいジャケットだが、中味はインキャパシタンツ1/2です。
3曲目が気に入りました。
昨夜はベアーズで猿股茸美都子が「神を探しに」を演奏してくれたことを知らされる。
昨夜は中座したので私は聞けていない。ごめんね。
できたら、9月8日のアルケミズムでも演奏してください。
60億人が一斉に叫ぶ
神はどこにいるのかと
ぼくは思う
リリーに聞けと
kishidashinのライブが11月3日にファンダンゴで。
映写機もパワーアップしたので、楽しみだ。
共演はとうめいロボ、インキャパシタンツ。
インキャパシタンツの美川くんはソロアルバムを出して、それを送ってくれた。
なんともかわいらしいジャケットだが、中味はインキャパシタンツ1/2です。
3曲目が気に入りました。
昨夜はベアーズで猿股茸美都子が「神を探しに」を演奏してくれたことを知らされる。
昨夜は中座したので私は聞けていない。ごめんね。
できたら、9月8日のアルケミズムでも演奏してください。
60億人が一斉に叫ぶ
神はどこにいるのかと
ぼくは思う
リリーに聞けと
2007年08月29日
未来
岩崎宏美/未来、と言ってわかるのは山本精一くんかししょうくらいか。
それともばるるさんや須原くんもわかるのかな?
というわけで(というわけではないが)、ベアーズへ。
ノイズわかめのリハ中におじゃまする。
須原くんとファンダンゴ20周年のイベントのことなど打ち合わせる。
猿股茸美都子のみなさんとも少し話す。
ノイズわかめを見に来たTaiquiくんと会えたのは嬉しい驚きだった。
12月のライブに少し声をかけていただいた。メンバーとも協議の上、またよければさそってください。
12月最後のほうのベアーズ20周年ライブに出演を依頼される。
これも嬉しいですね。
未来は/幸運は、人が運んでくれる。
ノイズわかめを見て、猿股茸美都子のライブ途中で中座させていただきました。
最後までみれず、ごめんね。
そういえば(というわけではないが)岩崎宏美もいまはテイチクレコードのインペリアルに所属である。
非常階段やJOJO広重と同じレーベルにいらっしゃることはご存じないでしょうが。。。
愛欲人民バトルロイヤル収録の、山本精一ギター、北嶋建也ボーカルの「ロマンス」が聞きたくなった。
それともばるるさんや須原くんもわかるのかな?
というわけで(というわけではないが)、ベアーズへ。
ノイズわかめのリハ中におじゃまする。
須原くんとファンダンゴ20周年のイベントのことなど打ち合わせる。
猿股茸美都子のみなさんとも少し話す。
ノイズわかめを見に来たTaiquiくんと会えたのは嬉しい驚きだった。
12月のライブに少し声をかけていただいた。メンバーとも協議の上、またよければさそってください。
12月最後のほうのベアーズ20周年ライブに出演を依頼される。
これも嬉しいですね。
未来は/幸運は、人が運んでくれる。
ノイズわかめを見て、猿股茸美都子のライブ途中で中座させていただきました。
最後までみれず、ごめんね。
そういえば(というわけではないが)岩崎宏美もいまはテイチクレコードのインペリアルに所属である。
非常階段やJOJO広重と同じレーベルにいらっしゃることはご存じないでしょうが。。。
愛欲人民バトルロイヤル収録の、山本精一ギター、北嶋建也ボーカルの「ロマンス」が聞きたくなった。
2007年08月27日
2007年08月22日
チャージ400円
せっかく発掘した1978-82年あたりの関西のライブチラシ、パンフ類、ちゃんと整理してAMSで展示会やトークイベントをやろうかと思う。
大阪のスタッフYとかんたんに打ち合わせる。
詳しくは近日告知できると思います。
ウルトラビデ、アントサリー、SSのライブの1979年のチラシを見ていると、チャージが300円とか400円とかだったり。
LPレコードはしっかり2500円とかしていた時代だったから、それにしても安いなあ。
『500円とかにしたら、誰も来ないんじゃないか』などとメンバーと話していたころを思い出す。
またワープロとかもなかった時代、活字への渇望もずいぶんあったように思う。
広告や雑誌からの文字の切り張りのチラシも多い。
こんな時代のこと、もっといろいろ話したい、と思う。
自慢話じゃあないよ。
もっともっとかっこ悪い思い出ばかりだ。
だからこそ、話したい。
30年ほど前に、何を考えて、何をしていたか、しようとしていたか。
INUもアーントサリーもSSもウルトラビデもいっきに見れて400円だった時代のことを。
大阪のスタッフYとかんたんに打ち合わせる。
詳しくは近日告知できると思います。
ウルトラビデ、アントサリー、SSのライブの1979年のチラシを見ていると、チャージが300円とか400円とかだったり。
LPレコードはしっかり2500円とかしていた時代だったから、それにしても安いなあ。
『500円とかにしたら、誰も来ないんじゃないか』などとメンバーと話していたころを思い出す。
またワープロとかもなかった時代、活字への渇望もずいぶんあったように思う。
広告や雑誌からの文字の切り張りのチラシも多い。
こんな時代のこと、もっといろいろ話したい、と思う。
自慢話じゃあないよ。
もっともっとかっこ悪い思い出ばかりだ。
だからこそ、話したい。
30年ほど前に、何を考えて、何をしていたか、しようとしていたか。
INUもアーントサリーもSSもウルトラビデもいっきに見れて400円だった時代のことを。
2007年08月21日
サーバーダウン/本棚
アルケミーレコードのホームページが表示されないトラブルがおとといから続いている。
これはサーバーのトラブルで、ちょっと長引いている様子
こんな感じです。
このブログはほぼ毎日、300アクセスくらいあるのだが、おとといからは200アクセスくらいに落ちている。
このブログに直接アクセスしている方(200名くらいかな?)は問題ないが、アルケミーのホームページのLINKからアクセスしていた方(100名くらい?)は見れてないということか。
このままホームページがなくなるなんてことはないが、せっかくインキャパシタンツの新譜が出たり、弊社主催のライブイベント「アルケミズム・ウエスト」の開催日も近いのに、なんとも、である。
まあ、コンピューターのサーバーなんて、こんなもんですよね。
過度の信用は禁物。
今日は自分の部屋の片づけ。
5月末に引っ越してから、実は段ボールの山に囲まれて寝起きしていたようなもので。
荷物を置く予定のところに別の物があり、それが退くのを待って、という感じで遅れていた片づけ作業にようやく取りかかれた。
本の整理は楽しいですね。
本棚を作っていくと、どんどん時間が過ぎていく。
でも自分の本棚なんて、もう20年くらい、たいして変わっていない気がする。
白井喬二「富士に立つ影」、もう1度最初から読み直したいな。
おもしろい話なので、未読の方は、ぜひ。
これはサーバーのトラブルで、ちょっと長引いている様子
こんな感じです。
このブログはほぼ毎日、300アクセスくらいあるのだが、おとといからは200アクセスくらいに落ちている。
このブログに直接アクセスしている方(200名くらいかな?)は問題ないが、アルケミーのホームページのLINKからアクセスしていた方(100名くらい?)は見れてないということか。
このままホームページがなくなるなんてことはないが、せっかくインキャパシタンツの新譜が出たり、弊社主催のライブイベント「アルケミズム・ウエスト」の開催日も近いのに、なんとも、である。
まあ、コンピューターのサーバーなんて、こんなもんですよね。
過度の信用は禁物。
今日は自分の部屋の片づけ。
5月末に引っ越してから、実は段ボールの山に囲まれて寝起きしていたようなもので。
荷物を置く予定のところに別の物があり、それが退くのを待って、という感じで遅れていた片づけ作業にようやく取りかかれた。
本の整理は楽しいですね。
本棚を作っていくと、どんどん時間が過ぎていく。
でも自分の本棚なんて、もう20年くらい、たいして変わっていない気がする。
白井喬二「富士に立つ影」、もう1度最初から読み直したいな。
おもしろい話なので、未読の方は、ぜひ。
2007年08月20日
乙女の儚夢
情報が解禁になったようなので。
ディスクユニオン/Super Fuji からベルウッドの旧譜が続々紙ジャケット再発されているが、9月にあがた森魚さんの初期3枚「乙女の儚夢」「噫無情」「僕は天使ぢゃないよ」がリリースされる。
私はこの3枚のライナーノーツを書かせていただいた。
乙女の儚夢
この3枚は70年代によく聞いた。
切なさでは「乙女の儚夢」だし、音楽的な完成度では「噫無情」のそれは非常に高いと思う。
あがた森魚さんとは接点はないし、1度もライブ演奏を見たこともない気がする。
「乗物図鑑」をヴァニティからリリースした時、ウルトラビデのTaiquiくんや、SSのしのやんが参加したことくらいが接点かな。
自分が若いころに聞いたアルバムのライナーノーツを、後年書かせていただけるのは、嬉しい。
佐井好子さんのCDのライナーを書いた時もそう思った。
長く生きていると、いろいろありますね。
アマゾンで買うのもいいですが、ディスクユニオンで3枚セットで買うといろいろおまけもつくはず。
ユニオンさんの通販をご利用ください。
ここ!
AMSには「乙女の儚夢」のオリジナル盤の中古もおいてあります。
これは早い者勝ちで。
ディスクユニオン/Super Fuji からベルウッドの旧譜が続々紙ジャケット再発されているが、9月にあがた森魚さんの初期3枚「乙女の儚夢」「噫無情」「僕は天使ぢゃないよ」がリリースされる。
私はこの3枚のライナーノーツを書かせていただいた。
乙女の儚夢
この3枚は70年代によく聞いた。
切なさでは「乙女の儚夢」だし、音楽的な完成度では「噫無情」のそれは非常に高いと思う。
あがた森魚さんとは接点はないし、1度もライブ演奏を見たこともない気がする。
「乗物図鑑」をヴァニティからリリースした時、ウルトラビデのTaiquiくんや、SSのしのやんが参加したことくらいが接点かな。
自分が若いころに聞いたアルバムのライナーノーツを、後年書かせていただけるのは、嬉しい。
佐井好子さんのCDのライナーを書いた時もそう思った。
長く生きていると、いろいろありますね。
アマゾンで買うのもいいですが、ディスクユニオンで3枚セットで買うといろいろおまけもつくはず。
ユニオンさんの通販をご利用ください。
ここ!
AMSには「乙女の儚夢」のオリジナル盤の中古もおいてあります。
これは早い者勝ちで。
2007年08月18日
大江山でのできごと
先週の日曜日、夜中に車で高速道路を移動した。
中国自動車道の吉川ジャンクションから舞鶴若狭道を北進すると、高架の道路は白髪岳という山の間に入っていく。
昼間走ると非常に景色のよい山々の風景が見られるが、夜中に走ると、ちょっと不気味である。
真っ暗な山の間を道路が入っていく。とにかく暗い。対向車がなかったり自分の前後にも車は走っていない状況だと、なんだか黄泉の国へ車で向かっているような気分になる。
福知山を過ぎ、綾部から宮津方面の縦貫道へ。
この高速道路はトンネルが多い。
そして複線化されていない。
まあ、そんなに混む道ではないので、単線で十分である。
しかし遅い車が前に走っていると、なかなか追い越せない。
この日は道はすいていて、前にも後ろにも走る車はなかったので、スイスイと車を走らせる。
しかし、大江山にさしかかったあたりで前方を走る車が見えてきた。
その車は40キロくらいで走っているようで、だんだん追いついてくる。
車の後部は、なんだかすすけていて、茶色く汚れている。ナンバーがしっかり見えないほどだ。
どうも大型のバンのようで、4列か5列くらいの座席シートがあるようなタイプの車。たぶん土建屋か工事かなにかの、現場の人々を運ぶようなバンだ。
後部の窓ガラスも汚れていて中が見えないが、何人かの人が乗っているように見える。
私の車はそのバンの後方に追いついた。
そこまではずっと80キロくらいで走っていたので、40キロ走行の車の後ろに続くのはなんだかのろい気がするが、急ぐ旅でもないので、しばらく車の後ろについて走っていた。
すると、その前方のバンはスピードを落とし、道路の左側に寄っていく。
どうも私の車を先に行かせようと気をつかっているようだ。
しかし路側帯がそんなに幅があるわけではなく、その車の右側を追い抜くにしてもあまり十分なスペースはない。
だがしかたないので、こちらも速度を落とし、ほぼ停車したような感じのバンの右側を低速で通り抜ける。
通り抜ける際、バンの中を見てみると、乗っていたと思っていた乗客は誰もいない。
ひとりとして乗客はいなかったのだ。
そして車はなんだか妙に古ぼけている。
かなり古いタイプの車で、車種がわからない。
そして運転席を見ると、なんと運転手も乗っていない。
「ええっ」
と思った時には私の車はもうそのバンを追い抜いていた。
バックミラーでそのバンを見ていたが、路肩に停車したままなのか、フロントのライトのみが光ったまま、動かない。
やがて私のバックミラーから、その灯りも消えた。
私はそのまま、車を走らせて、大江山を抜けた。
中国自動車道の吉川ジャンクションから舞鶴若狭道を北進すると、高架の道路は白髪岳という山の間に入っていく。
昼間走ると非常に景色のよい山々の風景が見られるが、夜中に走ると、ちょっと不気味である。
真っ暗な山の間を道路が入っていく。とにかく暗い。対向車がなかったり自分の前後にも車は走っていない状況だと、なんだか黄泉の国へ車で向かっているような気分になる。
福知山を過ぎ、綾部から宮津方面の縦貫道へ。
この高速道路はトンネルが多い。
そして複線化されていない。
まあ、そんなに混む道ではないので、単線で十分である。
しかし遅い車が前に走っていると、なかなか追い越せない。
この日は道はすいていて、前にも後ろにも走る車はなかったので、スイスイと車を走らせる。
しかし、大江山にさしかかったあたりで前方を走る車が見えてきた。
その車は40キロくらいで走っているようで、だんだん追いついてくる。
車の後部は、なんだかすすけていて、茶色く汚れている。ナンバーがしっかり見えないほどだ。
どうも大型のバンのようで、4列か5列くらいの座席シートがあるようなタイプの車。たぶん土建屋か工事かなにかの、現場の人々を運ぶようなバンだ。
後部の窓ガラスも汚れていて中が見えないが、何人かの人が乗っているように見える。
私の車はそのバンの後方に追いついた。
そこまではずっと80キロくらいで走っていたので、40キロ走行の車の後ろに続くのはなんだかのろい気がするが、急ぐ旅でもないので、しばらく車の後ろについて走っていた。
すると、その前方のバンはスピードを落とし、道路の左側に寄っていく。
どうも私の車を先に行かせようと気をつかっているようだ。
しかし路側帯がそんなに幅があるわけではなく、その車の右側を追い抜くにしてもあまり十分なスペースはない。
だがしかたないので、こちらも速度を落とし、ほぼ停車したような感じのバンの右側を低速で通り抜ける。
通り抜ける際、バンの中を見てみると、乗っていたと思っていた乗客は誰もいない。
ひとりとして乗客はいなかったのだ。
そして車はなんだか妙に古ぼけている。
かなり古いタイプの車で、車種がわからない。
そして運転席を見ると、なんと運転手も乗っていない。
「ええっ」
と思った時には私の車はもうそのバンを追い抜いていた。
バックミラーでそのバンを見ていたが、路肩に停車したままなのか、フロントのライトのみが光ったまま、動かない。
やがて私のバックミラーから、その灯りも消えた。
私はそのまま、車を走らせて、大江山を抜けた。